1927年の夏、アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)はイギリス支援のために金利を引き下げた。
望んだわけではないが、FRBは株式投機にきっかけを与えた。
これは経済弱体化の兆候と一致した。
五分の四がクレジット融資による株式投機は、相場の上昇に煽られて配当とかけ離れてしまった。
クレジットの基礎となる資金は一部は外国からのものだった。
もちろん通貨当局は株式投機の支援などする考えはなかったが、経済問題、とくに農業問題をこれ以上悪化させないため、潤沢な金銀保有をやめて処分することにした、この比較的協調的な政策で、ウォール街の暴落は遅れた。
しかし、ヨーロッパの主要国を動かした金融引締政策で、アメリカへの資本流入が妨げられたときに暴落は起こった。