遂にこの日を迎えてしまいました。
オペアとしての仕事最終日。
時間を無駄にしないように細かく週に分けて目標を立てて過ごした1年間。
「わーあと20週間だよ!どうしよ!」なんて言っていた時が嘘のよう。終わりってこうもあっけなくてこうも切ないものなんだったっけ。
自分のことを上手く表現しきれずに、何が本当の自分なのかわからなくてアイデンティティすら見失いかけていたこと。
メキシカンガールに幾度と無くドタキャンをくらったことで考えだした文化の違い。そこから感じる多様な文化が入り交じって構成されるアメリカという国の本質。
携帯無くしたり、コンロに油ぶちまけたり、オーブンつけっぱなしにしたり、もはや追い出されるんじゃないかという立て続けのミステイク。
自分の思う通りにいかないのが当たり前な子育てという葛藤。
地震という悲劇を自国の外側から知ったこと。そして、自分の国の現状をたくさん流れる状況の中から汲み取って自分なりにできることを探求する日々。
日常の生活に余裕が出てきて物足りなさを感じるせいか、身近な人に色々と求めすぎってしまったこと。
自分のキャラが分からなくなり迷走し始めるも、それさえも受け入れて一緒に笑ってくれる仲間に出会い。
自分の身体の不調をきっかけに健康について見直したこと。
たくさんの素晴らしい人との出会いで自分の知識と経験の少なさに悔しくなってやけくそに勉強したこと。
お酒でたくさん失敗したこと(笑)
いや~どれも素敵な思い出です。こう考えると色々あったなー。いろんな事にいちいち悩んでたけど、それも一年後の今から見てみるとその時の悩みなんてちっぽけなものって思えるから、あの時悩んだことも今の自分に活きてるのかな。
そう思えるようになったのも上手くいかないことの連続の育児という形でアメリカで過ごしたからかも。ただでさえ、異国の地で過ごすって挑戦の連続だけど、育児って本当に挑戦の連続。こうやってもダメ、ああやってもダメ。じゃ今日はこうしてみようとか。あれしながらこれもしてって目も手も2倍あったらいいのにって何度思ったことか。
着替えにかかる時間も30分から3分になるのに何ヶ月もかかったし、バランスのいい食事してほしいからおかげでフードプロセッサーの達人になったし、キャラ弁作り上手になったし(笑)何事も挑戦、やってダメならまだ違う形で挑戦すればいいってぶぶとフランキーから学んだなぁ。
いきなり泣き出すし、ぶつし、蹴るし。挙句の果てに「go away!」って叫ばれるし、もちろんダメージ受けるってわかっていたことだけど、自分が実際に体験してみると予想以上のとんでもない辛さ。いや、本気で(笑)それでも今までやってこれたのは彼らの笑顔と成長を日々感じることができるから。どうしても完璧主義になりがちなんだけど、「いい加減は良い加減」っていうことに気付くことがようやくできた。
でも、どんなに勉強しようとしても時間って限られていて全てを知るなんて絶対に不可能だということは通説として語られているけど改めて体感した。それでも、勉強すればするほど自分はまだまだ知らないことが多くて世界から取り残されることはどんどん怖くなっていくし、それでもまだまだ追いつけない自分へのもどかしさが募ってしまっていく時期が結構続いてた。
もちろん自分を含め大事な人を守るためにも世の中を流れを知ることは大事だけど、人間誰でも得意不得意はあるし、自分の専門分野で輝けるようにもっと深みのある人間になりたいな、と強く思った。日本の大学生として。女として。人間として。
そして、育児を通して考えた今までの自分の生活。ぶぶと向き合う上で私が大事にしてきたのは「自発性」と「思いやり」。これからの人生は生きていく上で自分でいろんなことに興味を持って生活していく上で自分のしたいことが見つかってくるし、人間の関わらない社会なんて存在しない。悪さをしない「いい子」がもてはやされる文化が日本には(アメリカの一部も)残りがちだけど、そんな文化が未来に対して前向きな気持ちを持てない人を育ててしまうんじゃないかと。早く大人になりたいなって思うこどもが増えることが今の社会に必要な1つだと思う。
自発性を育てるためにある程度のイタズラは付き合ったり、でも相手のことを考える気持ちを持ってほしいから、誰かを傷つける行為は注意したり。自分の中でどこで線引きをしたらいいのかわからなくて迷うこともあったけど、誰に対しても笑顔で挨拶できてオモチャもシェアできてユーモアたっぷりなぶぶさんを見てると、私のまで嬉しくなってくる。もちろん私の考えることをいいことと考える人が100%ではないことは分かっているつもり。
例えば御行儀よくご飯食べることがいいこと、片付けできることがいいこと、運動できることがいいこと、勉強ができることがいいこと、が考える人がいることも当然だと思う。でも一度にたくさんのこと要求したら苦しなくなっちゃうしね、私のこだわりはあくまでこの二つってこと。
21歳の私でさえ他人の子供の世話でこんなに考えてるんだから、きっと自分の親も色んな葛藤がありながら私のこと育ててくれたんだろうなぁ。基本私の親は私のすることには一切干渉せずに全ての選択を子供に任せるタイプ。受験生の頃、周りの友達は親から志望大学の相談に乗ってもらえるのがすごく羨ましくて、親と衝突したこともあった。「私のことなんてどうせ興味ないんでしょ?」って。あー恥ずかしい(笑)母との喧嘩といえば必ず罵声と涙抜きでは語れない大討論。父はいえば、口数は少ないけどぐさっと胸にささることを言ってくれるタイプ。
高校1時間半の所に通うことも、今の大学に決めるのも、アメリカに行くのも今まで全部自分決めているつもりでいた。ひょっとしたら天狗にさえなっていたかもしれない。でも、そうやって自分で決定できるような力を育んでくれたのは親のおかげなんだということを今ようやく気づいた。遅すぎたか?ごめんね(笑)
でも、日本に帰ったら私は学生。もちろん親孝行はしたいんだけど、まだしたいことがたくさんあるんだ。だから、もう少しだけ甘えさせて下さい(笑)いつか可愛い(予定)孫の顔を見せるからね!
という訳で最終回ということで長くなってしまったよー。いやーここまで何時間もかけている割には内容がまとまってないなぁ(笑)しかし、以前宣言したようにこのブログはここで一旦終わりにするつもりです。どうも、これからの私情を書くには広がりすぎてしまってね(笑)
でも、新しいブログは開設するつもりなので、聞いてくれればお伝えします!
それでは今までありがとうございます!
まーたー会う~日まで~♪
オペアとしての仕事最終日。
時間を無駄にしないように細かく週に分けて目標を立てて過ごした1年間。
「わーあと20週間だよ!どうしよ!」なんて言っていた時が嘘のよう。終わりってこうもあっけなくてこうも切ないものなんだったっけ。
自分のことを上手く表現しきれずに、何が本当の自分なのかわからなくてアイデンティティすら見失いかけていたこと。
メキシカンガールに幾度と無くドタキャンをくらったことで考えだした文化の違い。そこから感じる多様な文化が入り交じって構成されるアメリカという国の本質。
携帯無くしたり、コンロに油ぶちまけたり、オーブンつけっぱなしにしたり、もはや追い出されるんじゃないかという立て続けのミステイク。
自分の思う通りにいかないのが当たり前な子育てという葛藤。
地震という悲劇を自国の外側から知ったこと。そして、自分の国の現状をたくさん流れる状況の中から汲み取って自分なりにできることを探求する日々。
日常の生活に余裕が出てきて物足りなさを感じるせいか、身近な人に色々と求めすぎってしまったこと。
自分のキャラが分からなくなり迷走し始めるも、それさえも受け入れて一緒に笑ってくれる仲間に出会い。
自分の身体の不調をきっかけに健康について見直したこと。
たくさんの素晴らしい人との出会いで自分の知識と経験の少なさに悔しくなってやけくそに勉強したこと。
お酒でたくさん失敗したこと(笑)
いや~どれも素敵な思い出です。こう考えると色々あったなー。いろんな事にいちいち悩んでたけど、それも一年後の今から見てみるとその時の悩みなんてちっぽけなものって思えるから、あの時悩んだことも今の自分に活きてるのかな。
そう思えるようになったのも上手くいかないことの連続の育児という形でアメリカで過ごしたからかも。ただでさえ、異国の地で過ごすって挑戦の連続だけど、育児って本当に挑戦の連続。こうやってもダメ、ああやってもダメ。じゃ今日はこうしてみようとか。あれしながらこれもしてって目も手も2倍あったらいいのにって何度思ったことか。
着替えにかかる時間も30分から3分になるのに何ヶ月もかかったし、バランスのいい食事してほしいからおかげでフードプロセッサーの達人になったし、キャラ弁作り上手になったし(笑)何事も挑戦、やってダメならまだ違う形で挑戦すればいいってぶぶとフランキーから学んだなぁ。
いきなり泣き出すし、ぶつし、蹴るし。挙句の果てに「go away!」って叫ばれるし、もちろんダメージ受けるってわかっていたことだけど、自分が実際に体験してみると予想以上のとんでもない辛さ。いや、本気で(笑)それでも今までやってこれたのは彼らの笑顔と成長を日々感じることができるから。どうしても完璧主義になりがちなんだけど、「いい加減は良い加減」っていうことに気付くことがようやくできた。
でも、どんなに勉強しようとしても時間って限られていて全てを知るなんて絶対に不可能だということは通説として語られているけど改めて体感した。それでも、勉強すればするほど自分はまだまだ知らないことが多くて世界から取り残されることはどんどん怖くなっていくし、それでもまだまだ追いつけない自分へのもどかしさが募ってしまっていく時期が結構続いてた。
もちろん自分を含め大事な人を守るためにも世の中を流れを知ることは大事だけど、人間誰でも得意不得意はあるし、自分の専門分野で輝けるようにもっと深みのある人間になりたいな、と強く思った。日本の大学生として。女として。人間として。
そして、育児を通して考えた今までの自分の生活。ぶぶと向き合う上で私が大事にしてきたのは「自発性」と「思いやり」。これからの人生は生きていく上で自分でいろんなことに興味を持って生活していく上で自分のしたいことが見つかってくるし、人間の関わらない社会なんて存在しない。悪さをしない「いい子」がもてはやされる文化が日本には(アメリカの一部も)残りがちだけど、そんな文化が未来に対して前向きな気持ちを持てない人を育ててしまうんじゃないかと。早く大人になりたいなって思うこどもが増えることが今の社会に必要な1つだと思う。
自発性を育てるためにある程度のイタズラは付き合ったり、でも相手のことを考える気持ちを持ってほしいから、誰かを傷つける行為は注意したり。自分の中でどこで線引きをしたらいいのかわからなくて迷うこともあったけど、誰に対しても笑顔で挨拶できてオモチャもシェアできてユーモアたっぷりなぶぶさんを見てると、私のまで嬉しくなってくる。もちろん私の考えることをいいことと考える人が100%ではないことは分かっているつもり。
例えば御行儀よくご飯食べることがいいこと、片付けできることがいいこと、運動できることがいいこと、勉強ができることがいいこと、が考える人がいることも当然だと思う。でも一度にたくさんのこと要求したら苦しなくなっちゃうしね、私のこだわりはあくまでこの二つってこと。
21歳の私でさえ他人の子供の世話でこんなに考えてるんだから、きっと自分の親も色んな葛藤がありながら私のこと育ててくれたんだろうなぁ。基本私の親は私のすることには一切干渉せずに全ての選択を子供に任せるタイプ。受験生の頃、周りの友達は親から志望大学の相談に乗ってもらえるのがすごく羨ましくて、親と衝突したこともあった。「私のことなんてどうせ興味ないんでしょ?」って。あー恥ずかしい(笑)母との喧嘩といえば必ず罵声と涙抜きでは語れない大討論。父はいえば、口数は少ないけどぐさっと胸にささることを言ってくれるタイプ。
高校1時間半の所に通うことも、今の大学に決めるのも、アメリカに行くのも今まで全部自分決めているつもりでいた。ひょっとしたら天狗にさえなっていたかもしれない。でも、そうやって自分で決定できるような力を育んでくれたのは親のおかげなんだということを今ようやく気づいた。遅すぎたか?ごめんね(笑)
でも、日本に帰ったら私は学生。もちろん親孝行はしたいんだけど、まだしたいことがたくさんあるんだ。だから、もう少しだけ甘えさせて下さい(笑)いつか可愛い(予定)孫の顔を見せるからね!
という訳で最終回ということで長くなってしまったよー。いやーここまで何時間もかけている割には内容がまとまってないなぁ(笑)しかし、以前宣言したようにこのブログはここで一旦終わりにするつもりです。どうも、これからの私情を書くには広がりすぎてしまってね(笑)
でも、新しいブログは開設するつもりなので、聞いてくれればお伝えします!
それでは今までありがとうございます!
まーたー会う~日まで~♪














