数年前の沖縄県北谷町国体通り上勢頭の交差点歩道である。

 

この異様なバグに気づくだろうか?

 

 

赤のラインが歩道である。

 

真ん中は側溝で左は私有地となっている。

 

なんと、歩道の幅員全てが街路樹となっていたのである。

 

 

道路管理者に状況説明と対応説明を行い、現在はこのように歩道がある状態とした。

 

このように、沖縄では多くの「社会バグ」が存在しており、社会プログラマーの私が

日々、改善をいるのであります。

日本で生まれ、育つと数々の「理不尽」なことに出くわす。カテゴリーで挙げるならば、

学校、会社、地方自治体などである。

 

まず、学校であるが、これはもはや理不尽を学ぶ場として受け入れた方が良い。

令和時代こそ、教師のストレス発散による暴力などは、ずいぶん減った印象があるが、昭和は強烈だった。

そして、会社もまた、ほぼ理不尽が蔓延している。

 

さて、自治体の話をしてみよう。役所、役場ほど理不尽なものはない。彼ら公務員は自分たちは偉いという完全に間違った思想で仕事をしている。公務員は全体の奉仕者である。奉仕する対象は国民であり社会であり、よって国民より上になることはない。

 

彼らの手法は、役場というホームにふんぞり返り、国民を出向かせるのである。そして、何かあれば、追い出すなどを行う。さらに、1人の国民に対し複数人の公務員で攻撃を仕掛けてもくる。

 

そして、全体の奉仕者であるにも関わらず、増え続ける国民の祝日に便乗して、自らも休みを増長させているのである。なぜ、奉仕者の休みが増えるのだろうか。公務員が休むと役場は閉まる。市民サービスが停止するのであり、もはや意味不明なことになっているのである。

 

 

【ゾーンと集中】

 

究極の遺伝子「YAP遺伝子」の最高級版をもつ「YAMACHAN」の場合、一瞬で集中状態になる。集中の状態がしばらく続くと「ゾーン」的となり不可思議なことが起こる。

 

集中→ゾーン→無→異次元

 

意識を一点に集中させる逆を行う→意識のビッグバン

 

メンタル崩壊をし、それを乗り越えると新しい自分が誕生する。メンタル崩壊を繰り返すたびに、自分が進化する。これをドラゴンボールのスーパーサイア人理論という。

 

 

一般的な通常人間は、メンタル(精神)が不安定である。この不安定を安定に導く手段として、メンタル崩壊からメンタルファンタジーになった貴重な人間がYAMACHANである。

 

一般的な人間が、このメンタルファンタジーの領域に辿り着くのは難しい。メンタル崩壊の繰り返しを乗り越えなければならないからである。しかし、このメンタルファンタジーの状態を、一般的な人間のメンタル安定に活かすことは可能であると思われる。

 

Written by

SIGEYUKI YAMAZATO

 

一般的日常生活で使用させる単位は「万」までだろう。企業などになると「億」が登場し、国家的予算で「兆」となる。「京」以上は、日常生活では皆無であり天文学的数字とでも言えるだろう。

 

日本人で「垓」まで言える割合はどれぐらいだろうか。垓が分かれば賢い部類となろう。それ以上を言える者は、もはや学者レベルとなる。

 

恒河沙以降は、もはや仏教用語のような存在となっており興味深い。

 

 

 

 

 

定期的に飲酒で検挙される沖縄県の教職員たち。「テーゲー社会」を象徴する事案である。酒、祭り、飲酒、薬が社会を構成する戦後復興に失敗した社会作品である。

 

反面教師は当たり前であり、反面社会という言葉を誕生させ、これがテーゲー社会こと沖縄社会である。

 

沖縄で育つ子供や青年たちは、普通に成長すると、これらになる。一人一人が将来、普通の大人になるためには、沖縄の大人や教員から学ぶことなく、自身で学び続けるしかない。

 

 

珈琲豆麻袋ことドンゴロスのデザインは素晴らしい。

そんなドンゴロスを再加工する「コーヒーファンタジー」です!!

 

今回の作品は「アンダードンゴロス」

 

この紫や緑は、マンデリンの麻袋の紐をほどき、三つ編みにして作ったものです。

 

 

定期的に繰り返される沖縄県教職員の犯罪行為。もはや,人の前に立つ者たちとして失格の烙印が押された存在と言える。これらの不適切な教師なる職業者に,子供達は何を学ぶというのだろうか。

 

今後の教育を見据えるならば,昭和的義務教育は,半減するであろうし,それは早い方が良い。その間に教育を受けてしまった子供たちが被害者となるからである。

 

「ストレスのはけ口だったかもしれない。無意識にとってしまった。自宅に帰った後に窃盗だと認識した」

 

この文章を考察すると,無意識に物を盗む状態になることになる。これは,社会的に問題行動であり,校長以前の問題となってくる。

 

次に,窃盗だと認識したと言っている。認識した時点で,教育者であれば,その非を認め,店舗へウイスキーの返還と警察へ自首をすべきだろう。

 

これが,戦争でアメリカ領の約30年され、日本復帰50年を迎えた沖縄教育の現場である。

無道徳・無責任・てーげー。。。立派な大人が育つ環境とは、ほど遠い社会である。

 

定期的に繰り返される沖縄県教職員の犯罪行為。もはや,人の前に立つ者たちとして失格の烙印が押された存在と言える。これらの不適切な教師なる職業者に,子供達は何を学ぶというのだろうか。

 

今後の教育を見据えるならば,昭和的義務教育は,半減するであろうし,それは早い方が良い。その間に教育を受けてしまった子供たちが被害者となるからである。

 

「ストレスのはけ口だったかもしれない。無意識にとってしまった。自宅に帰った後に窃盗だと認識した」

 

この文章を考察すると,無意識に物を盗む状態になることになる。これは,社会的に問題行動であり,校長以前の問題となってくる。

 

次に,窃盗だと認識したと言っている。認識した時点で,教育者であれば,その非を認め,店舗へウイスキーの返還と警察へ自首をすべきだろう。

 

これが,戦争でアメリカ領の約30年され、日本復帰50年を迎えた沖縄教育の現場である。

無道徳・無責任・てーげー。。。立派な大人が育つ環境とは、ほど遠い社会である。

リーダーにおける、自己決断は極めて重要である。小さな決断から大きな決断まで、常に求められるのがリーダーである。リーダーの決断ミスは、個人のみならずチームの存続にすら影響するものである。

 

人間はミスを犯す生き物である。リーダーの決断ミスも必ず起こってしまう。この際に、自分自身の判断ミスを認めるか認めないかもリーダーの素質となってくる。一般的に起こりうる、判断ミスに動揺することがあるが、これが最も良くないものである。リーダーは常に「凜」としてなければならない。

 

「凜」とするには、自己決断に絶対なる自信がなければならないのである。