「天の岩戸の扉は
各自の魂の中」


全国各地に天の岩戸と呼ばれるもの
 
がありますが、
 
そんな場所の岩戸が開いても
 
意味がありません。
 
 
日本神話天の岩戸閉めとは
 
太陽が隠れたとします。

 
誰が考えても
 
太陽が隠れるような岩戸

あるはずもないことぐらい

解るはずなのです。


 
為に、学者は
 
日食のことではないかと考えました。 

 
恋をするならば、

貴女は私の太陽だ!
 


各自の魂に

[心の太陽]
 
隠れている 

太陽神は、

「ラ」-と呼ばれて来た 





大本教神諭予告した
 
三千世界の大立替
(天の岩戸開け)とは、
 
宇宙的規模で起きる
 
陽光の裁きのことです。

全ての御魂の総洗い総ざらえ。

個々の魂の中に
 
その仕組みをしておかない限り、
 
その裁きから逃げれるものが出るでしょう。
 
 
例え地底に潜ろうが、
 
絶対に逃げられないように
 
各自の魂の中に
 
天の岩戸そのものの仕組みが
 
なされているのです。 

ならずもの(破落戸)
では

防ぎ切れない 






各自の魂の中に秘められた
 
本当天の岩戸の扉は、
 
現在は閉められています。
 
この扉を一斉に開けることが、

主の神の伝家の宝刀。


ならずもの
(悪党・無頼漢・利己主義者)
 
とは成らずものと書きますが、
 
元は[破落戸]と書いたのです。
 
 
魂の中にある
 
陽光防御用の戸(扉)
 
破れて落ちている為
 
審判が始まると
 
どうにもなりません。 





私達が現在見ている光は
 
何も恐くはありません。
 
だが、天の岩戸が開けられた時
 
その恐ろしいまで光の裁き
 
言葉を絶することになるでしょう。

魂の汚れを絶対に許さない。

これは、自分はいくら神様だ

と言っていても容赦なく来るのです。

私はこの裁きの陽光どうやって防ぐか
 
考え続けました。 




一つには、自分自身
 
その陽光を受けても苦しまないように
 
自分の御魂を磨くということです。
 
 
私はその光の世界を見た時、

至福の世界ではあるが、

自分の様な汚れた魂の持ち主では

住める世界ではないと考えました。


お釈迦様ならば涼しい顔
 
至福の世界を楽しまれるであろう
 
と感じました。
 
為に、
 
お釈迦様は何を悟られたのだろうか
 
と考え続けたのです。
 
その結果ラ(良)心神。 
(人に内在する良心神りょうしんじん)
 
神ラーとは、
 
太陽神として知られる 

真性の天照皇大御神 




『12章最後の審判は天の岩戸開け
「天の岩戸の扉は各自の魂の中」』
上野公園さんHP
(現在は神之公園さん)より抜粋
 
ここまでお読み頂き、有難うございました。
 
寒い夜となっております。
身体を温めて、お休み下さい。
朝も寒さ対策をしっかりなさってお出かけ下さい。
 
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。