悪=自己の良心神を失う行為(1)
悪の種類
=
許される悪と
許されざる悪
→
赦される悪
=時には潤滑油になるもの
赦されざる悪
=自己本位や
弱者を虐げる行為
悪
=
悔い改めれば 即座に赦される悪 と、
償いをしなければ 赦されない悪
悪の字は
=「亞」の心であり、
=「亞」の字には
→
王(主の神)や司令官を亡き者として
墓に葬った意味があります。
主の神とは
=
唯一神のことではありますが、
=
私が大本教神諭が予告した
「九つ花」を紐説いて出した、
→
お釈迦様の悟りであった
人に内在する「良心」神
をも意味します。
私達は
=
自己の魂の中に存在する
「良心神(主の分魂)」を
墓に葬ってしまうと、
どうしても「悪」の中に入り込みます。
→
ですから、
自己の良心神を失う行為を
=【悪】と言うのです。
→
悪は
=「愛」を失うではないのです。
→
愛だけを神の概念とすると、
まるで道理すら解っていない者
となってしまうのです。
しかしながら、
私達はこの世を生きて行く為には
良心神の働きである「善」のみで
生きていけないことを学びます。
→
時には自分の良心を捨てなければ
生きていけないなのです。
生きて行くのに必死であれば、
人は時には
創造たる神の存在も忘れ、
良心を失ってしまうこともあります。
→
それは決して
責められるものではないのです。
→
この世に生を受けたならば、
この世で生きることが
第一義だからです。
→
人はこの世の苦しみに負けて
「自殺」することは
=
罪であることは、どの霊能者も語るのは
それは第一の「義」に入るからです。
もしも善だけを主張すれば、
→
他の命ある物を食して生きる行為
そのものまで否定
されなければなりません。
西洋人が唱える愛とは
=
非常に奇妙で、
→
牛や羊の肉は喰らっても鯨の肉は喰うな。
…
鯨が哺乳類であるのが理由ならば、
牛や羊だって哺乳類なのです。
→
事の道理を考えない間違った愛を言う人が
世には多いのです。
→
西洋人の場合は
=そこには白人優越主義等が見られますが、
→
白人世界が考えた主義が
正しい神の論理ではないのです。
ですから
平気で黒人を人間と見ずに奴隷化し、
また肌の色が黒いと差別します。
→
その黒人奴隷商人の先兵となったのが
=
一部のキリスト教の宣教師達でした。
→神の名を語る人の顔をした獣達の行為です。
→それは歴史が証明しています。
大本教の出口王仁三郎聖師は
=
「地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ」
と書き残されましたが、
→
神や仏の名を語った者達の卑劣な行為は
地獄にしか行けないのです。
→
神を説く者が
必ずしも善人とは言えないのです。
日本では
=
キリスト教を国教として入れさせない為に
鎖国制度が実施されましたが、
→
鎖国制度以前に 日本人も
日本に来た西洋人の宣教師によって
奴隷としてブラジルで売られていた記録が
ブラジルの裁判所で見つかりました。
→
西洋人宣教師に欺されて
異国に連れて行かれて売られたのでしょう。
もしも
日本にキリスト教を入れていれば、
=
日本も
西洋の植民地化された
かも知れないのです。
→中国におけるアヘン戦争もその一端でした、
→これは「不義の戦争」と呼ばれています。
→英国に「義」など無かったからです。
→これも歴史の証明です。
このアヘン戦争が
=
日本でも知られて
「吉田松陰や佐久間象山」等の志士により
→
国体を
江戸幕府体制から明治維新への変革
の一役となったわけです。
人が人を奴隷化する。
それは良心を失った者達の行為です。
旧約聖書に
=
ユダヤ人だけが神の選民で、
他の諸国民を奴隷化するような記述
がありますが、
→
それらは
自分に神が降りた式の預言者の言葉であり、
その預言者に
本当に神が降りていたのかどうか
実は疑わしいのです。
→
それは
後の預言者が
前の預言者の言葉を疑わしいと
述べていることからも解ります。
→
巷には、
自分には
天使長ミカエルがガブリエルが降りて来る式の
霊感女子が後を立たずに花盛りですが、
→
霊界を見聞すれば
蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊だらけの中で、
それが本物だと言う証拠は
どこにもないのです。
幸いこの日本では
=
蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊も
神霊として祀られますので、
→
そうした存在があることは
理解しやすいのです。
しかしながら
一神教の世界では
=
蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊の存在が
説かれていない為に、
→
霊感者に何が降りているのか
の吟味がまるでされておらず、
そんな存在の言葉すら
預言者によって創造神からの言葉式に
なったきらいがある
のです。
基本的に
どこかの民族が神の選民だとしても、
それ以外の民を奴隷化するなどは
本当の創造神の言葉でないことぐらい
自分に「良心」神があれば解ること
なのです。
そうした
間違った預言者達による行為を
正当化させているのが
イスラエルと言う国家です。
→
もしもユダヤ人に
神は「良心だ!」の意識が少しでもあれば、
どうしてあれだけパレスチナの人に
無茶な行為が出来るでしょうか?。
→
同じ神を抱くのであれば
仲良く出来るのが本当だからです。
【人は言葉や肌の色は違っても、
胸(宗)を開けば皆同じ】
宗教の宣伝使達は、
その宗(胸)の教えを間違えている
のです
神之公園さんブログ『人に内在する良心神』
2016.10.01 より抜粋
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=445#trackback
ここまでお読みいただき、お時間をありがとうございました。
自分に内在する良心神と共に本日もお過ごし下さい
惟神霊倍坐世 かんながらたまちはえませ。