神とは仏とは  ex大黒天、大国主命
「三ツ目青黒憤怒相」の大黒天様とは
額の第三の目とは
猿顔の人達とは
日本は神国とは
神は「公」仏は「私」とは
旧約聖書[禿げは貴方の罪ではない]とは
公私混同のやり方から公の神の道へ とは

 

 

 

よく言われることですが、
神が過ちを赦されるのは一度限り
それに対して

仏は「三度」迄も過ちを赦されると言います。
…それが言葉の由来は違いますが
【仏の顔も三度】の諺です。
 


では、神と仏とではどう違うのかです。
=霊と言う意味ではどちらでも霊です。
そこに違いはありません。
=ただ、その働きにおいて違うとは言えます。

 

基本的にとは
=インドのお釈迦様の教えから来た存在で、
今の歴史以前の太古の人霊であった存在が主体です。

 

日本で言う神
日本古来からの存在
仏と同じ様に人霊もありますが、
=仏教と違って

「自然霊的」な要素の存在も含みます

 

一部に勘違いがされていることに、

 

仏教の大寺院には
=必ずその寺院を守護している神社があります。
→その為に

「仏が上で神は下」は誤った見方

となります。
→仏の世界は神ほど力が無い為に
神の力が必要な面があるわけです。
霊的戦いともなれば、
何の武装しない仏では何の役にも立たないの
側面があるのです。

 


日本では
仏教の「大黒天」様
出雲の「大国主命」様としています
が、

=インドの「大黒天」様と
出雲大社の「大国主命」様が同じ御神霊?。

 

→まったくその要素が違っていると解ります。

なのに同じ御神霊だとすれば、
日本神話の「天孫降臨」の話は
=変だ
と思わなければおかしいわけです。

 

…大黒天様は元々インドの神とされています。
それがどうして出雲大社の祭神なのか?。
→では、間違えて出したのかとなりますと、
別に間違ってはいないのです。
同じ神なのです。。
だがそこに???となります

 

 

 


私が神霊世界に足を踏み入れた頃、
私の前に

【三ツ目青黒憤怒相】の大黒天様
姿を見せられたことがありますが、

 

三ツ目青黒憤怒相とは
=穏やかでニコニコ顔の大黒天様とは
まったく似ても似つかないお姿です。
=憤怒とは怒り顔でしかも三ツ目

 

…私はその姿を見ていて

「三ツ目の時代」とは、何時の時代なのか

と考え込んでいました。

 

ともかく今の人類の歴史では
「三ツ目」の時代は考えられないのです。

今の人類の頭蓋骨は

その三ツ目の部分が塞がってしまった
という説があります。

 

いずれにしても今の人類の歴史では
どうにも紐解きようがない
のです。

→人類の歴史で文明を考えれば、
一万年前も遡ってしまうと「石器時代」

となってしまいます。

 

→ですからほとんどの人は
と呼ばれる存在は、
・・・文明が起き出した頃の王権的な立場の人

が神に成っている。
そうした観念から離れられていない

ように見られます。

 

 

 

 

 

この「三ツ目」の場所は、
=現代では仏の額の
「ほくろ」とか「びゃくごう(白毫)
」と
されている場所ですが、
チャクラがある場所としては知られています。
→それは何の意味も解っていなかった人達が
ほくろ的な解釈をした
と考えられます。
 



「客神」を通す場所なので
「客+頁(かしら)」で、

 

頭部から客神たる神を入れる場所であり、
「心眼」と呼ばれる【心の眼】に通じます

 

ですから、

両目を瞑っていてもこの三ツ目の部位で
霊的映像を見ることが可能
となっているのです。

 

私は盲目の霊能者幾人かと出会いましたが、
盲目であっても霊的映像をカラーで見る

ことを知っています

 

←→だがそうしたことを学者に言えば、
絶対にあり得ないと否定論しか言いません。
概念に硬直されておられるのです。

 

・・・私の最初の師匠の祖母さんは、
=そうした盲目の霊能者でその地方では
大変な人気の霊能者で羽振りがよく、
その師匠のお母さんから姫のごとく育てられていたと言います。

 

私は神霊世界に少しであっても関わって、
学者と呼ばれる人達が
=あまりにも硬直した考えの中に居られるを見て来ました。
現実に霊的世界に関わったら、
科学や物理で説明が出来ない
のです。
…また既存の宗教家、牧師も僧侶も

神や仏だと言いながら硬直されているのです。
…さりとてスピリチュアルの言葉で
妄想の中に居られる人達も多数あるわけです。

 

どこに真実があるのかを探るのは

非常に困難なのです。

 

 

 

自分が霊に大量に憑依されて弱った時など、
太陽を直視することが出来ます。
 

(だが太陽を直視すると目の網膜が焼かれてしまいますので、)
目を瞑って

その第三の目たる「額」の部分

太陽に向けて
【天照皇大御神、

かんながらたまちはえませ】等と言霊

を上げていただきますと、
体力は回復して来ます
・・・ただし、絶対に太陽を直視してはいけません。

 

この天照大御神とは
伊勢神宮の御祭神のことではなくて、
天に輝く太陽そのものです。

 

…また、私も自宅に祭壇を持ちますが、
雨とか曇りの時には
→太陽に向かえないので神前に拝していると、
→太陽のように強烈な熱ではないのですが、
額の第三の目の場所に熱が入って来るもあります。
→それによって体力が回復する時もあります。

 

 

霊能力がある方の中には
その「額」で
目には見えない世界の光の強弱を
判断されている方達もあり
ます。
 


太陽が直視出来る時は
大量の霊を被っている時なので、
→太陽が直視出来ると喜んでいると

 憑依霊が剥奪されて来ると、
→眩しいと思った時には

自分の目の網膜を焼くことになりかねません。

 

目を開ける時は太陽を直視しないで
下向きとか横向きで目を開ける必要はあるのです。

 

・・・霊能者の中では
どちらが長く太陽が直視出来るかの競争して
目の網膜が焼かれて失明された方もあります。
・・・どれだけ大量の霊の憑依を受けても大丈夫などと
競争しても何の意味も無いのです。
 

 

2016・5・30神之公園さんブログ

「人に内在する良心神(神言会)」より抜粋

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 

台風13号が日本に近づいてきています、

暴風雨等の影響が出ていますので、

足元等、充分にお気をつけてお過ごしください。