なぜ神は「犠牲」「徳」を要求するのでしょうか
イエスは
=大変「奇特(きとく)」な人でして、
→その教えを「きとく(基督)教」と呼びますが、
…自分が自分をキリストと信じる人達の罪を全て被ろうです。
・・・で、イエスはキリスト教徒の罪を
全て被り切れたかと言いますと、
被りきれずに霊界で大変なことになっているのです。
私の2番目の師匠などは
=世に出て来るイエス霊は、
そのほとんどがニセ者霊で本物では無いと明言
…キリスト教徒の数があまりにも多く、
イエスが出た当時とは
人の魂の汚れの度合いが
まるで違っているからです。
・・・イエスが出た当時のイエスの信徒数だけであれば、
三千人とか一万人という説がありますが、
その当時のその人数ならば
そうした言葉も発せられたでしょう。
私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声が私に臨んで来ましたが、
その声は
=
【人の罪を自分が被ると言うのは
簡単な話では無い。
いかに神の子と呼ばれる立場に
ある者であっても、
自分がこの世で払った犠牲に
見合うだけの分しか、
死後(霊界)の世界で
他の人を救うことは出来ず。
もし、そなたがあの世に帰って、
多くの人を助けたいと思うのであれば、
この世で生きている時に
自分が多大な犠牲を払わないと行けない。
それは前払いであって後払いは効かぬ】
と告げられたのです。
「救世主」様ですかと質問されることが希にあります。
=私の答えは常に「いいえ」です。
・・・私は全人類を助けるだけの犠牲を積んで来ていません。
・・・全日本人を助けるだけの犠牲も積んでいません。
ですから、私に救世主を期待して貰っても不可能だと言います
この世で犠牲を払う=霊界での救済力
私は
=自己を悔い改めて省みない者の為に私が犠牲になるなど、
いくら情が無いと批判されてもお断りします。
そんな間抜けのお人好しではありません。
私が助けたいのは
=正しい善人であり、
世の為に人為に尽くしていたのに何かの過ちで落ちた者達。
・・・そうした霊達だけは救ってあげたいなのです。
←→私は自分勝手をして来て
地獄に落ちるのは【自業自得】だと
切り捨てます。
この前払いの犠牲の分を「徳分」と言います。
・・・この世に生きている内に積んだ【徳】です。
→そこで手に入れた「天国行きの徳分」が大量にあれば、
他人にも回せます。
・・・イエスが刑場に引き立てられて行く時、
自分と一緒に刑場に引き立てられている泥棒が、
自分も天国に一緒に連れて行ってくれるかとイエスに問うた時、
イエスが一緒に天国に連れて行ってあげると言ったのは、
→この自己の「犠牲」からの「徳分」の切符なのです。
何故、神は無情な「犠牲」を要求されるのか?。
その分だけ、
霊界で他の人を助けることが出来るからです。
スピリチュアル
「神の愛で何をしても赦されます」などと説いているのは
=邪霊の支配下に入った者達の言葉です。
・・・スピリチュアルの世界で「無料で鑑定」します
とあると、もう人が殺到します。
そして「愛」と言われると、その言葉に酔いしれます。
もしも厳しい内容を言われますと、
それで人は寄りつかないものなのです。
国常立尊様は
=「厳しい主神」であったので、悪神だと嫌われたのです。
それは今も昔も変わらないことです。
甘い教えに【蟻】は集るです。
蟻は=「義を無視(虫)」なのです。
日本語による「言葉の仕組み」は、
=恐ろしいほどの存在の神が組み立てているのです。
2016・5・5
上野公園さんブログ「人に内在する良心神(神言会)」より
神様の教えは漢字にもあるそうで、
日本語でないと説明できないそうです。
日本昔話も、よく絵本でも書籍でも
子供はよく読みます、
『だいくとおにろく』という話では
人の目玉を食べるという鬼なのに、
鬼の名前を当てたら食べないという
人との約束はしっかり守るのです、
不思議だね、と話していました。
約束を守るということはとても大事なことです。
良心神の働きの中にもありました。
今日もお読みいただき、お時間をありがとうございました。
台風10号が近づいています、
どうぞ、おケガ等なさらないように
外出時は、十分に注意して外出してください。