小学2年生の時に交通事故に会い、
鎖骨を折って、
大同病院で手術を受けることになってしまいました。
何故(なぜ)父は反対しなかったんだろう。
母はどうせ、
何も分かりっこなかったですから、
父や兄たちがしっかりしていれば、
私の無意味な手術は避けられたはずでした。
手術のため、
オペ室でエーテルを嗅がされました。👃
その当時でも、
原始的な麻酔方法でした。🐒
あの臭いは、
一生忘れないでしょう。
お粗末な手術をされてしまいました。
今、
自分自身のレントゲン写真を見れば、
針金が写っていますのでよく分かります。🩻
後輩がこんな手術をしたら、
ぶん殴って医者を辞めさせるでしょう。✊
しかし、
あのヤブ医者たちの罪深かったことは、
麻酔を深くかけ過ぎてしまったことでした。
オペが終わって3日目に目を覚ましました。
植物人間になったか、
と心配していたらしいです。
危うく、
大同病院に殺されるところでした。
ところが、
手足が全く動きませんでした。
7日間、
寝たきりになってしまいました。🛌
頭が異常に痛かったのを覚えています。
その後、
少しずつ手足が動くようになって来ました。
いちばん嫌だったのは、
朝晩の注射でした。💉
その痛かったこと、
死ぬかと思いました。
大同病院は医者もヤブなら、
看護師は野蛮人でした。💢
部屋に入ってくるなり、
注射器を持ったまま突進してきました。🏃♀️
悲鳴を上げる間もなく、
部屋に入ってから0.3秒、
針は私の肩深く刺さっていました。💉
力いっぱい薬を押し込んで、
さっと引き抜いて部屋から出て行きました。💨
部屋に入ってから、
出るまで3秒はかかっていなかったと思います。
一度、
注射の途中で力が入ってしまい、
針が曲がってしまいました。💉
それでも無理やり薬を押し込みましたが、
注射器が抜けません。
「針が抜けないじゃないか、バカやろう。痛くても我慢しろ、お前のせいだろ」
そう言って、
曲がった針を無理やり、
力任せに引っ張って抜いてしまいました。
腕の中で肉が裂ける感触と激痛がありました。
肩からは血が滴り落ちていました。🩸
絆創膏を殴るように張り付けて、
その鬼のような看護師は出て行きました。🩹
しばらくは激痛で、
ベッドの上でのた打ち回っていました。
早く退院したかったのに、
まだまだ拷問が残っていました。
🖼🖼🖼
国立西洋美術館の「睡蓮」です。(再掲)
クロード・モネ<1840年11月14日生〜1926年12月5日没>の作品です。
印象派を代表するフランスの画家です。
晩年は白内障のため、
鮮明な色使いは困難だったそうです。
現在、
上野の森美術館で2024年1月28日まで「モネ連作の情景」展が開催されています。
たいへん混んでいますので、
ネット予約が必要です