森英恵さんに最後にお会いしたのは約20年前、

 

お茶の水女子大の講演会の時でした。

 

大変有名な方でしたし、

 

私の憧れの方でしたので、

 

隣に座っていてとても緊張していました。

 

私は、

 

講演会で何を喋ったかな、

 

「ストレスについて」だったかな?

 

もう、

 

忘れてしまいました。

 

それよりも、

 

森英恵さんとお話ができたことで、

 

舞い上がっておりました。

 

森英恵さんは1926年1月8日生まれ(旧姓不明)の、

 

日本のファッションデザイナーで、

 

日本人で唯一、

 

パリのオートクチュール(パリの高級衣装店協会)デザイナーとして、

 

活躍していました。

 

1965年にニューヨーク・コレクションで成功をおさめ、

 

日本人デザイナーの海外進出の先駆けとなりました。

 

1977年には東洋人として初めて、

 

パリ・オートクチュール協会(サンディカ)のメンバーとなりました。

 

オリンピックの日本選手団の公式ユニフォームのデザインや、

 

歌舞伎、

 

海外のオペラやバレエの舞台衣裳を担当するなど、

 

ファッション界の第一人者として活躍しました。

 

森英恵さんは島根県に生まれ、

 

父親は島根県六日市町で開業医をしていました。

 

父親は、

 

姉妹が幼い頃から、

 

大阪の高島屋や東京の三越から、

 

姉妹の着る服を通信販売で取り寄せていました。

 

森英恵さんは5人兄弟の4番目で、

 

ふたりの兄と姉、妹がいました。

 

長男は、

 

東京大学医学部を卒業後、

 

29歳の時に結核で病死しました。

 

次兄も結核を患い、

 

20歳で他界いたしました。

 

姉は東邦大学医学部に進学しましたが、

 

その後、

 

「ハナエモリ」の経営に参加しました。

 

1943年、

 

東京女子大学に入学し、

 

1947年に卒業しています。

 

1948年、

 

元陸軍少佐・森賢さんと結婚しました。

 

森賢さんの実家は繊維会社で、

 

森英恵さんは夫の支えもあって、

 

ドレスメーカー女学院に通って洋裁技術を習得し、

 

1951年(昭和26年)、

 

オーダーメイドの洋装店「ひよしや」を開きました。

 

1954年、

 

銀座にブティック&サロン「HANAE MORI(ハナエモリ)」

 

をオープンしました。

 

1950年代の日本映画全盛期に、

 

400本以上の映画の衣装を手掛けました。

 

1965年、

 

ニューヨーク・コレクションに初参加し、

 

蝶をモチーフにしたドレス作品により

 

「マダム・バラフライ」と呼ばれました。

 

森英恵さんは、

 

その後も活躍を続けましたが、

 

2022年8月11日、

 

老衰のため96歳でお亡くなりになりました。十字架

 

 

 

 

星星星

 

 

 

 

ドイツの教会です。

 

有名な教会ではありませんが、

 

西ヨーロッパでは、

 

このような教会が多数見られます💒