渡世人の話なんか興味ないと思いますが、なかなか人情のある、今では絶対に見ることが出来ない人なので、少しだけ紹介したいと思います。
山崎丈一郎という名前なので、みんな丈さんと呼んでいました。
私の母の知り合いで、母がやくざとのトラブルに巻き込まれた時に助けてもらったことが縁だったそうです。
いつも情けない母でしたが、親戚の店でたちの悪いやくざが店に難癖つけていたのを、たまたま居合わせた母が、
「帰れ、極道」と言ったんだそうです。
やくざの方も、「殺すぞばばあ」と言って、店の中は騒然としたそうですが、母も負けずに、
「殺せるもんなら殺してみろ。たいした度胸もないくせに」と言ったそうです。
命知らずな母だったようです。
やくざですから本当に殺しかねないので、店の人が丈さんを呼びに行きました。
丈さんはその地域の渡世人の幹部でしたから、やくざを説得して、多少の小遣いをくれてやって、その場が収まったということでした。
時々こういうむちゃくちゃをやる母でした。
私もその血を引いているのかなあ。いやいやそんなはずはありません。
丈さんは私の家の近くで、昼間は喫茶店、夜はスナックをしていましたので、ときどき遊びに行きました。
大柄で豪快な丈さんで、いつも上下をスーツでビシッと決めていました。
喫茶店の方はほとんど奥さんがやっていたようです。
子供の私からみてもかなり美人だったと思います。
若いころの吉永小百合がメガネをかけているような感じでした。
お祭りがあると必ず丈さんがいて、店のお兄さんたちはみんな丈さんに挨拶をしていました。
今から思うと、丈さんはテキ屋の元締めだったのかも知れません。
丈さんは、あれだけバシッと服装を決めていたのに、ネクタイはしていませんでした。
母の話では、ネクタイをしていると、ケンカの時にネクタイで首を絞められるので、丈さんはいつもネクタイをしていなかったということでした。
このころが一番羽振りがよかったんだと思います。
ところが、丈さんが車に撥ねられて重傷を負ってしまいました。
何カ月か入院している間に、すっかり他の組にシマを取られてしまったそうです。
あの美人の奥さんにも逃げられてしまいました。
その後、トラックの運転手をしていましたが、相変わらず会うといつもニコニコしていました。
とにかく男っぽくて、骨っぽい人でした。
トラック野郎になってからはダンディな丈さんを見ることはなくなりましたが、作業着姿でも充分サマになっていたし、格好いいと思いました。
それから何年かして丈さんに会うことがありましたが、なんと坊さんになっていました。
「丈さん、いつから坊さんになったの」
「ずいぶん前だよ」
「トラックの運転手をしてたんじゃなかったっけ」
「体にきついからやめちゃったよ」
「丈さんの家って、お寺だったっけ」
「おれんちは百姓だよ」
「お坊さんになるのって、修行とか、資格とかいらないの」
「いるよ。勝手に坊さんにはなれないからね」
「どうやって坊さんになったの」
「住むとこなくなっちゃってさ、お寺で世話になっているうちに、いろいろあって坊さんになってたってわけ」
「ほんとかなあ。丈さん、だましたかなんかしたんじゃないの」
「何もしてないよ。俺は食えればいいからさ」
どこまで本当のことを言っていたか分かりませんが、とにかく元気だったのでほっとしました。
母にこのことを話しましたらすべて知っていました。
ちょっと不思議に思いましたが、母と丈さんの関係はとうとう分かりませんでした。
それでも、母が死んだ時に、丈さんに電話しましたが、とうとう葬式には来ませんでした。
もともとは渡世人の丈さんでしたが、結局は坊さんになってしまったのでしょうか。
私のまわりにはわけの分からない人がたくさんいました。
そして今もなお、大勢のわけの分からない人達に囲まれて暮らしています。 |