子供のころは貧乏という意味が分からなかったので、自分の家が貧乏だとは思っていませんでした。
ところが、小学4年生のときに学校から家庭調査票というのがきて、
「あなたの家の生活程度はどのくらいですか。1:豊かである。2:中くらいである。3:生活が苦しい」という質問でした。
私は父が調査票を記入しているのを見て、1に丸をつけるはずはないから、2に丸をつけると思っていました。
ところが父は、ためらわずに3に丸をつけました。
「えー、お父ちゃん、家って貧乏なの」
私は驚いてしまいました。
「貧乏に決まっているじゃないか。こんな小さな借家で、金持ちなわけないだろう」
「金持ちじゃないのは知ってるよ。クラスに金持ちがいるし、そいつの家に遊びに行ったことあるけど、家とはぜんぜん違うもん。でも中くらいだと思っていた」
「おまえ、うちは貧乏なんだよ。でも貧乏だからっておまえが気にすることはない。進学したければ進学させてあげるし、おまえが好きな道に進むことはできるから」
「俺みたいなバカが進学できるわけないじゃん。洋服屋の中島さんが、中学卒業したら、自分のところで洋服屋やれってさ」
「何でも好きなことをやったらいい。貧乏だからって何も不自由しているわけじゃないから、気にするな」
「お父ちゃんは学校の先生なのにどうして貧乏なのさ」
「そんなこと子供のおまえが考えなくていい」
変なもので、私の家が貧しかったのは確かなのですが、およそ貧乏くささがありませんでした。きっとお金はなかったけど、家族楽しく暮らしていたからだと思います。
そのためかどうか分かりませんが、今までただの一度も金持ちになりたいと思ったことはありませんでした。
楽しく暮らすのにお金は要らないことを父や母が教えてくれたからかもしれません。
かつて、韓国にキムウンヨンという天才少年がいました。
彼の言っていたことが印象的でした。
「私の母は10000円で服を買った。でも1週間で飽きしまった。私は100円で1冊の本を買った。1ヶ月間楽しむことができた」
田中角栄は貧乏をばねにして総理大臣になりました。
ちょっと違うけれど、ニクソンは貧乏と成績の悪さをばねにして大統領になりました。
しかしその末路はご存知の通りです。
私が、家が貧しいために困ったことは、高校で高い参考書が買えなかったことでした。
コピー代が惜しかったので友達から一晩参考書を借りて、ノートに写しました。
予備校に通っていた友達からはノートを借りて清書して返してあげました。でも、自分用に二つ清書しておきました。
これが役に立ったのか、時間の無駄だったのかは分かりません。
こんな家庭環境に育ってしまったので、ひとつ物を持つといつまででも大切にする癖がついてしまいました。奥さんにもそうできるといいけどね。