白井さんのことは、さすがに書きにくいのですが、この人抜きには私の過去も語れないので、敢えて書くことにしました。
白井さんは、地元の暴力団の組員でした。
20才そこそこだったと思います。
私も暴力団は嫌いですが、昔の下町では不思議なことに、町の人達と暴力団とが共存していました。
現在の感覚からすると、住民と暴力団とが共存していたなんて想像がつかないと思います。
町にはお祭りなどのいろいろな行事がありましたので、やくざたちの手を借りることが多かったのです。
白井さんもその一人でしたが、まだ下っ端だったので、その日の暮らしにも困っていました。
それを私の母が仕事を世話してあげたので、白井さんも母には恩義を感じていたようです。
母は変わり者で、どういうわけかやくざ者の知り合いが多くいました。
親戚の人の話によると、母は戦後の闇市で走り回っていたらしく、そのころにやくざの知り合いができたと言っておりました。
でも、母の葬式の時に、母が親しくしていたやくざが一人も来なかったので義理に欠けるやつらだなと思いました。
後日、そのやくざの一人に会いましたので、
「母の葬式に来なかったでしょ。義理も人情もないんだね」と文句を言いました。
「それは違うよ。俺達が顔を出しちゃ、お母さんに恥をかかせることになるでしょ。俺達はやくざだからね、堅気の人の席は遠慮するのがしきたりなの」
本当かなあと思いましたが、ま、どっちでもいいようなことでした。
白井さんはよく家へ遊びにきました。
私は中学1年生でした。
母は白井さんによく説教をたれていましたが、白井さんはまったく聞いてないようでした。
「やくざをやめて堅気になった方がいいよ」などというようなことを言っていたと思います。
白井さんは私とよく付き合ってくれました。
白井さんは絵を描くのが得意で、私の友達がくると、瞬く間に似顔絵を描いてしまいました。
プロの絵描きとしても充分通用しそうでしたが、白井さんはやくざの道から抜けようとはしませんでした。
「白井さん、なんでやくざやってんの」
「やくざなんて言うなよ。せめて渡世人って言ってよ。俺みたいなのは、他に何もできないからね」
「どこの生まれなの」
「福島。福島でも組員やってたんだけど、事件起こしちゃってね、それでここへ逃げてきたの」
「福島の方じゃ、まだ白井さんのこと探してるかな」
「そりゃ探してるよ。捕まったら殺されちゃうよ」
「白井さん、堅気になるつもりはあるの」
「無理だよ。何もできないし、それにこの世界に入ったら簡単にはやめられないよ」
「白井さんはケンカ強そうに見えないけど。やくざらしくないよね」
「でも、一応武闘派なんだな。俺はヤッパ専門だけどね」
「ヤッパってナイフのこと」
「そう。ナイフ使わせたら俺以上の奴はいないよ」
「怖いな。ケンカすることあるの」
「脅かしだけだね。本当にケンカしたら死んじゃうよ。映画とは違うからね」
「将棋でもやろうか」
「じゃあ、また飛車角桂香落ちね」
白井さん相手なら、歩が一枚でも勝てそうでした。
頭を使う方は全く苦手のようでした。
あるとき、私がつまらないことから***中の奴らにからまれてしまいました。
3対1ではとても勝ち目はなかったので、やむなく逃げましたがしつこく追いかけてきました。
白井さんの働いていた喫茶店まで何とかたどり着いたので、白井さんに助けを求めました。
「白井さん、悪い。ちょっとからまれちゃった」
「だらし無いな。そこにいて」
白井さんが出て行きましたら、すっ飛んで逃げて行きました。
けっこう顔が利くんだなと感心しました。
「もう帰っちゃったから大丈夫だよ」
「顔見ただけで逃げちゃったね。あいつらなんで白井さんのこと知っていたんだろう」
「前にこの店に来て騒いだ奴らだよ。こってりしぼったからな。懲りたんだろ」
白井さんは、福島の市議会議員の次男だったそうです。
中学を卒業してからすっかりぐれてやくざの組員になり、父親から勘当されたとのことでした。
他の組とのいざこざで、火箸を相手の組長の顔に投げつけて大怪我をさせ、福島にはいられなくなったそうでした。
白井さんも町に慣れてきて、地元の人たちともだんだん仲良くなったのに、つまらないことで池袋で他のやくざとケンカして、自分の得意なはずだったナイフで刺されて死んでしまいました。
救急車の中では息があって、うちの母を呼んでくれと言っていたそうです。
母が病院に着いたときにはすでに死んでいたので、何を言いたかったのかは分かりませんでした。
福島の両親に伝えたいことでもあったのでしょうか。
「やくざから足を洗わなかったから死んだんだ」と母は無念そうに話しておりました。