私は多くの人と接し、話をしていろいろな経験を聞くのが好きです。
生きているということはつまり人とのかかわりであると考えています。
良きにつけ、悪しきにつけ、人とのかかわりが人生というものでしょう。
他人の何気ない行動が重大な意味をもっていたりすることがあります。
Tさんという子が小学校のときにいまして、学校に来るのは一番早いのに、帰りは用もないのに下校のチャイムがなるまで学校にいました。
あまり目立たない子だったので誰も気に留めませんでしたが、私は下校のチャイムがなってもまだ遊んでいましたので、ときどきTさんを見かけました。
4時45分に下校のチャイムが鳴り、5時に校門が閉まりました。
それでもまだ学校にいると先生が来て怒鳴られますので、先生の気配を感じたら校門に向かって走りました。
校門は閉まっていましたが、あんなもん乗り越えるのはどうということはありませんでした。
例によって仲間の悪がきたちと校門を乗り越えようとしましたら、高野さんが校門の外へ出られなくて困っていました。
その日は早く校門がしまったのかもしれません。しまった、とTさんは思ったかもしれません。
Tさんは太っていたのでとても自力で校門を乗り越えることはできませんでした。
よせばいいのに高野さんは泣き出してしまいました。
泣いたからどうなるものではありませんでした。
可愛い子が泣いたなら絵にもなりましたでしょうし、先生のところへ連れて行って裏門から出る方法もあったかもしれません。
しかし、Tさんのような美人ではない太った子が泣いてもただうるさいだけでしたし、先生のところへ連れて行ったら怒鳴られたに違いありません。
学校の先生なんてこんなものなのです。
とくに男の先生は可愛い子に絶対的にえこひいきをします。
美人どうかなんて本人のせいではないのに、美人なら子供の頃からちやほやされ、美人でないとブスとか言われるのですから、まったく世の中は不公平なものです。
とにかくTさんを校門から出さなくてはいけませんでした。
一人が校門の上から高野さんを引き上げ、私ともう一人で高野さんを下から押し上げました。
しかしまあ、よくこれだけ太ったというくらいの肥満だったので、下から押しても容易には持ち上がりませんでした。
でかいおしりを肩に担いで、二人がかりで持ち上げました。
重たくて死にそうでしたが、Tさんは校門の反対側に落下しました。
また泣き声が聞こえましたが、怪我をしようが、骨折しようが、知ったことかと思いました。
太っていて肉が多かったのが幸いしたのか、怪我はありませんでした。
仕方ないので家まで送ることにしました。
他の悪がきどもは、テレビが始まるからとさっさと帰ってしまいました。
これが高野さんじゃなくて、クラス一可愛かったNさんだったら、絶対一緒に送ったと思いました。
つくづく、不美人は損だなと感じました。
「高野さん、何で遅くまで学校にいるんだよ」
「だって、家に帰りたくないんだもん」
「どうして」
「お母さんがすぐぶつんだよ」
「何でぶたれるのさ」
「私のこと嫌いなんだよ。ほんとのお母さんじゃないしね」
「え、ほんとのお母さんじゃないの。ほんとのお母さんどうしたの」
「どっか行っちゃったよ。蒸発って言うんだって。お父さんも怖いしね」
「それで学校にばっかりいるのか。たいへんじゃん」
「たいへんだよ。早く大きくなって家を出て行きたいよ」
高野さんを家まで送るとそのお母さんが出てきました。
とても美人で優しそうなお母さんでした。
「どうもありがとうね。今日子ちゃん、お礼を言いなさい」
Tさんは何も言わずに家に入ってしまいました。
さあ、本当はどうだったのでしょうか。
高野さんの言っていたことが真実だったのでしょうか。
それは結局分かりませんでした。
しかし、Tさんが何を悩もうが私には関係のないことでしたので、翌日にはすっかり忘れてしまいました。
Tさんは相変わらず遅くまで学校に残っていましたが、もう関わりたくなかったので知らん顔していました。 |