独身のとき、ゴールデンウイークにサイパン島へ行きました。
26才のときでした。
道端にボロボロにさびた戦車が捨ててありました。
日本軍の戦車だったと思います。
南国桜という、真っ赤な花が道路の両側に咲き乱れていました。
6日間も取ってしまったものですから、暇で暇で仕方ありませんでした。
万歳クリフという、日本人がアメリカ軍に追い詰められて、天皇陛下万歳と言って飛び降りた崖がありました。
上から見るととんでもなく高い崖で、絶対に助かることのない崖でした。
そこから滑走路が見えました。
ゼロ戦が出発したのでしょう。
島のいたるところに慰霊碑がありました。
サイパン島は戦争の傷跡を生々しく残しておりました。
サイパンはグアムに比べて海がきれいでしたが、いくら美しい海でも30分も見ていれば飽きてしまいます。
暇つぶしにとなりのロタ島の一泊旅行を申し込みました。
これで2日つぶれます。
ロタ島へは10人乗りのセスナで行きました。
飛行場でセスナを待っていると、乗客が11人いました。
まったくいんちきな旅行社でした。
わざと一人多く航空券を売ったのかもしれません。
誰も辞退する人はいなかったので、セスナの方も困ってしまいました。
たまたま一人が子供だったので、その子が父親の膝の上に乗って出発することになりました。
セスナの操縦士は見習いの女性操縦士でした。
横には教官がいましたが、セスナがひどく揺れました。
そのたびに見習いは悲鳴を上げ、教官は怒鳴りまくっておりました。
乗客を乗せて練習飛行をするなんて、と思いましたが文句をつけたりすると墜落しそうだったので黙っておりました。
他の乗客はみんな青ざめていて、今にも失神しそうでした。
ひどいツアーがあったものです。
ジェットコースターよりもはるかに揺れたセスナが何とかロタ島に着きました。
小さな島で、大きなホテルがあります。
どう探検しても海がきれいな以外面白くないところでした。
そこのホテルで一泊しましたが、何しろ一人旅ですから何もすることがありませんでした。
夕飯を食って、女の子のわけの分からないダンスショウをぼんやり見ていました。
頼んでもいないのに、隣にホテルの支配人が座りました。
一人で勝手にしゃべっておりました。
戦争のときに家族を避難させるために日本行きの船に載せたのに、その船が撃沈されて一瞬にして家族をすべて失ったとのことでした。
お気の毒なお話ではありましたが、私には関係のない話でした。
聞けば聞くほどあくびが出そうになりました。
翌日はまたサイパン島に帰りましたが、どうやってあと3日つぶそうかと思いました。
夜ふらふら歩いていましたら、大きなクラブがありました。
外を警察官が囲っているのが異様でしたが、中に入ってみました。
女の子が20人ぐらいいるのに、客は私を含めて2人しかいませんでした。
この店、***クラブといいました。
もしかしたら今でもあるかもしれません。
私のまわりに女の子たちが5人くらい集まってきました。
彼女たちが注文した飲み物代を私が払うというシステムで、それ以外にお金を払う必要はありませんでした。
夕方の6時から、夜の12時までいました。
ホテルに帰っても何もすることがなかったからです。
6時間いて、3000円ぐらいの支払いでしたから、非常に安上がりでした。
ショウを見たり、踊ったり、いい時間つぶしになりました。
ここには毎日通いました。
昼間はホテルで寝ていました。
俺はいったいサイパン島に何をしに行ったんだろう。 |