小学校のときに絵日記と言うものがありました。
毎日絵と日記を書かなくてはいけないのですから、これは拷問と言ってよかったと思います。
絵日記には気温を書く欄があって、38.5度と書いた記憶があります。
温度欄の上が36度までしかなかったので、どうやって書こうか悩みました。
紙を張り付けた記憶があります。
そんなことをしなくても、数字で38.5と書いておけばよかったのに、変なところが几帳面でした。
昔も暑い日があったのですね。
40度の暑さを経験したことがあります。
スペインのトレドとアメリカのフレズノです。
トレドは観光地ですからともかくとして、フレズノは高級住宅街です。
あんな暑いところでも多くのアメリカ人が住んでいます。
トレドに行ったときにいちばんお金を使ったのは水でした。
飲み物で水がいちばんの高級品でした。
スペインで知り合ったアメリカ人と別れるときに、1リットルの水をプレゼントしたら泣きそうなほど喜んでいました。
ヨーロッパでは水が大切なんですね。
それに比べてアメリカで水に苦労したことはありません。
日本と同様に水は豊富な国のようです。
私は実は外国アレルギーになってしまいました。
そして、30才代のときにアメリカとカナダの会議を2年続けてすっぽかしてしまったことがあります。
原因は時差と食事でした。
とくにアメリカの食事をまったく受けつけなくなってしまいました。
ご飯と味噌汁が好きなわけではありませんが、日本で食べる洋食とアメリカで食べる食事は明らかに味が違うのです。
私は日本でしか住めないようです。
留学の話が出たときもかたくなに断りましたが、どうしても行けと言われたので、香港大学に留学を希望しました。
香港なら食事が何とかなるだろうと思ったからです。
ところが留学は却下されてしまいました。

留学はしたくなかったのでちょうどよかったけどね。