おひさしぶりです
ブログ更新を楽しみにしてくださっている方がどんどん増えてきて
めちゃくちゃ嬉しくてプレッシャー(笑)
今回は、私の今の活動の原点となっているところまで
遡って気づくことができたので、そんなお話を
今回、新しいプログラム
とことん食に向き合ってもらう「食改善プログラム」をリリース
今回のブログの内容は、このプログラムを作りたかった私の活動の北極星になってる、大切な部分です
「食改善プログラム」
たくさんの方に興味を持っていただき、あっという間に満席御礼に
今回伴走させていただきますクライアント様、ゴールする一か月後
楽しみにしててくださいね
さて、私の活動のターニングポイントは、40歳の時の自律神経の乱れにより
救急車を二回も呼ぶことになったほどの原因不明の体調不良だったわけですが・・
食の整えを伝えたいという湧き上がる思いは、
私の幼少期の食生活にありました
これから書くことは
決して恨んでいるとか不満があったとかではないことを念頭において
読み進めてください
私が伝えたいことの本意からズレたくないので
ただの「事実」として受け止めてくださいね
私の実家は、私が生まれたときに父が自営業を始めました
小さいときの私の写真は、父の仕事場に連れられているものがたくさん残っています
裸一貫で始める自営業に、どんな苦労や厳しさがあったろうと、
私なんかでは想像の範囲を超えているだろうから
軽々しいことは書けませんが、
あのスタートの写真に写っていた背景から、今の会社の姿になることを
父も母も夢見ていたのか、結果論なのか・・・
父と母の姿を見て育ちました
とにかく仕事の父
それを全力で支えないといけない母
これほど急成長する自営のスピード感に
母は正直、子育てと家事を思うようにできなかったのでないか
(勝手な憶測です)
私は3人兄弟の長女です
恐らく、あまり手のかからない一番目だったのではないかと自負しています(笑)
わがまま・・・
到底言えるような余裕が母から感じられず
私は、小学1年生くらいからなんでも自分でする子になっていました
小学校4年生くらいになると
キルティング生地の片側ショルダーの体操服袋を手作りで作ってもらうのが
すごく流行った時があり、みんなはお母さんに作ってもらってる中、
私はミシンを買ってもらい、自分で生地を自転車で買いに行って
型紙もなく作り方もよくわからないまま、想像力を最大限に駆使して作ったりして
仕事に忙殺されている両親
朝、小学生の私が家を出る時間に、父母はまだ寝ていることも多く
物心ついた時から、朝ご飯を食べて学校へ行った記憶がありません
(だからといって、それが嫌だったとかではなく、これが我が家のスタンダードで
朝ご飯を食べないことに何の疑問もなかった)
給食の時間まで、毎日お腹が空いていて
だから、給食が大好きでした
そして夜は、母が何時に帰ってくるか毎日わからず
母も時間がない中で、必要最低限の買い物してから帰ってくるので
いつも冷蔵庫はからっぽ、おやつもなにもなく
夜ごはんまでお腹空かせながら待つしかなく・・
極度の疲労で帰ってくる母に
「お腹空いた」「はやくつくって」って
言えなかった
出されたごはんが全然足りなくても
「ごちそうさま」って言って
また次の日の給食の時間まで我慢
中学になった私は、お昼がお弁当になったので
自分で作って持って行った
どんなおかずを入れるのかも自分で考えて
お金もらって買いに行っていた
そして、夜遅い母に代わって
家族の夜ご飯を作るようになった(部活なんかもあったから時々だったけど)
簡単な野菜炒めと冷ややっこ、味噌汁と炊き立てのご飯・・
夜の7時とかに食べることが
こんなにほっこり幸せなんだと、小躍りしたくなるほど満たされたのです
そして
おかげさまで自営業はどんどん規模を拡大するほどだったので
周りから見たら、私は
「裕福な家庭の子」
にうつっていた
欲しいといえば何でも買ってもらえたし
外食も日常化していたし
旅行も数えきれないほど連れて行ってくれた
物質的な豊かさは確かにあった
だけど・・・
その裏に・・・
食で満たされなかった記憶が消えずに残ってる
仕事
家族
夢
やりたいこと
成功
自分の家のごはんのことは
それが全てだから
子供は判断できない
だってそれがいつもの風景だから
忙しそうな両親の姿も
それに遠慮する私も
本当は外食ばかりじゃなくて家のごはんを食べたいことも
言えなかった・・
私が子供を持ち
仕事をセーブして家族を最優先すること
食の豊かさを感じて育ってほしいという自己満足の原点がここにあるのに
自分が過ごした幼少期まで遡ることを
どこかでブレーキをかけていた
それは口に出して言うと父母に悪いかな、と思っていたけど
今私が、食の大切さを側に置けたのは、この記憶が原点であることを認めたい
幼少期の食の習慣や植えこまれた潜在意識は
私に子供が生まれ、食を意識していても
隙間にすっと入り込んでくる時があった
疲れたから外食する
時間ないからチャチャっと作れるもの
とにかくお腹を満たすために菓子パンやお菓子の大量ストック
私が用意したものを家族が食べる
じゃあ、ちゃんとこの子たちの成長を願った食を用意できていたのか・・
「ゆるぎない優先順位」のはずの家族
「食」は生きる上で最優先事項
私の家族への想いが、今はちゃんと食に繋がっている
今の私がいるのは
まぎれもなく過去の私があったから
母の精いっぱいの背中を見て育った
私も自分の子供たちに、私の精いっぱいを見てほしい
大人になって、自分の家族を持った時
私の子供たちも、きっと幼少期の食卓の風景を思い出す
追伸
母からの愛情不足を感じたことは、ただの一度もないのも確か