ご無沙汰しておりました

ハートのバルーン


少し体調を崩したりと歯車が噛み合っていなかった7月でした魂が抜ける

 

8月からは、ゆるりゆるりと心地良いところを探していきたいと思いますびっくりマーク

 

 

My historyもvol.15まできましたねーキラキラ

話としてはまだ20代も入ったばかりですがチュー


いつも読んでいただき本当にありがとうございますラブラブ

 


さて…

陽キャを突き抜けた学生時代でしたが

卒業を間近に、就職活動をする周りの友達に後押しされ、

私も自分のしたいことを絞り込んでいくわけですが。。

 

その時付き合っていたミニマリストな彼の影響で

ファッションやインテリアにどっぷり興味関心を持っていかれていた私

 

ショップ店員になりたい!と、How toを調べたり

就職マガジン等々を買ってきては求人が出ていないかチェック

(今ではインターネットの普及により求人検索も便利になりましたね!うらやま照れ

 

そして、某有名セレクトショップやデザイナーズショップ、雑貨屋さんと

7社ほど履歴書を送り、書類選考で落とされた所、面接までいって落とされた所と散々な結果が

続きました

(もう完全に諦めモードゲッソリ

 

最後の1社は、今でこそ全国展開する大手の有名雑貨店になりましたが

その当時は「雑貨屋として飛ぶ鳥を落としていきたい!」とスタートを切ったばかりの、知る人ぞ知るレベルだった雑貨屋の面接を受けまして…


無事に採用の電話をいただけた時は、運命だと感じずにはいられませんでしたおねがい

 

オープニングスタッフとして、天王寺というディープな大阪の地に

さらに身を置くことになったのでした。

 

新店舗オープン日に向けて

神戸店で研修があったりと

社会人になってからも、

引き続き都会の時間軸とねっとりした空気を日常にまとって、

なりたかったショップ店員という肩書きを手にして、

自信と誇りで心をパンパンに膨らませて、

大阪での暮らしに未来を見ていました

 

滋賀に帰ることはもう無いと・・

 

 

 

雑貨店での仕事がスタートして

雑貨の発注やディスプレイ、接客と、

その当時は関西地区では最大店舗だった天王寺店での仕事は、

毎日忙しくも充実した日々イエローハーツ

 

オープニングスタッフとして集められたメンバーは

私的に本当に最高のチームで

仕事とプライベートの時間を常に共にして

信用と信頼と安心の枠の中で

自己開示全開だったし

毎日本当によく笑って過ごしてた

 

 

「好きなことが仕事になる」

「仕事が趣味」

 

そんな台詞をサラリと言ってのけたあの頃

 

陽キャからリア充へ

 

きっと自分のキャリアにおいて人生でピークだった

 

ずっと居たかった場所だったのに

どこかで終わりがくるのも諸行無常というもの

 

人生とはアップダウンを繰り返すのが本質なんだと振り返るとわかる

 

それも全て今に繋がっていると思えるし


タイムスリップできるなら

この頃に戻ってもいいと思えるほど

今も色濃く思い出せる

 

天王寺行きの地下鉄

毎日のスタッフ仲間とのランチ

休日の雑貨屋巡り(最終的にな東京にまで繰り出した)

朝礼ミーティングの緊張感

いつ終わるか途方に暮れた棚卸し

打ち上げのカラオケ

帰り途中下車して乗りに行ったフェスティバルゲートのジェットコースター


寝ても覚めても尽きない雑貨やインテリアの情報収集に勤しんで


私の初めての仕事は

寝食を惜しんで没頭できる場所だった


毎日店に行くのが生き甲斐で

休みの日も結局店まで行ってみたり

店の商品をこよなく愛して

お客さまは神様だと思えたキラキラ






でも、ここを離れる時がくるのでした

 

戻らないと決めた滋賀に再び戻り、

このあと就いた数々の仕事では、全く心が満たされなくて、

虚しさを何かで埋めたくて

思い出したくない恋愛をしたりもしたのでした…



アンバランスな20代


旦那と出会うまで、まだまだドラマがありました