去年富士山を見に行き、足がつり痛くて寝られず同行の息子と旦那にペットボトルにお湯を入れて足に

2本添えてマッサージもしていますが貰いました。戻ってから病院での採血が酷く次の日に強制入院させられて

息子を呼べと言われて移植になり、そこで息子は余命半年と言われたらしい、東大を紹介されて外来での検査で

ドナーに誰も慣れずガッカリ😖⤵でしたが旦那の食事療法でかなり私の採血の値が良くなってて息子も驚いて

少し時間稼ぎが出来たと、アチコチ調べて横浜市のNPOに辿り着き 3500万作り振り込んでくれたら中国の

天津で移植が受けられると信用金庫と旦那さんの貯金で何とか作り振り込んで中国に行ってホテルで肝臓を

待ちながら見学していました。この頃は元気でしたが、日が経つに連れ1人で歩けなくなり、体が斜めって

ました。とうとう5月末に行き6月末に手が震え意識が無くなりアンモニア脳症になり、入院して点滴で意識が戻り

でも、ここで余命1・5ヶ月になり、肝臓は見付からず途方にくれていた処7月7日夕方に通訳さんから

肝臓来たよ明日朝手術だよと、嬉しかったが旦那がコンビニに行ってなかなか戻らず😡⚡イライラした処で

帰って来て、明日朝手術決まったよと知らせたら、次は日赤だよ、日本に帰れるねと喜んでくれた。

手術室に入る処で旦那と通訳さん2人とはバイバイで、少し寂しかったが日本に帰れると嬉しかった。

そこの病院は年間550位手術をしていてガラス張りの窓で手術が見える、7~8部屋に分かれていて

私は1番奥に連れて行かれて手術着に着替えベッドが高くて少し下げて貰い

狭いベッドに横になったら麻酔の先生が右腕を引っ張るそこで意識が無くなり気が付いたらICUで1時間

位経ったかなぁと何故手術してくれないんだろうと悲しくなったら、旦那と通訳さん達が来てくれた。

「良かったね成功したよ」と言う「手術してくれないよ」と答えたら3人笑いだした、隣の腎臓移植の

前橋からのおじさんも同じ事を言ってたけど、2人供成功したよ、日本に帰れるよと、嬉しい🎵😍🎵

その晩は水も飲めず痰が絡み辛かったが看護師さんが口を水を含んだ綿棒の大きいので何度かぬぐってくれて

翌日導尿をはずされたが尿も便もガスも出ない、通訳さんが看護師さんに頼んでくれて浣腸をして貰ったら

便と尿が出た、直ぐに常温の水がコップにストローを差し込み、飲めとごくごく飲めて痰も切れて嬉しかったが

点滴は取れず。翌日の朝にガスも出た。その翌日一般病棟のいつもの個室に戻った。その日は食べれず翌日

からお粥を通訳さんが作って来たり買って来たりしたがその翌日はもう炒飯やうどんやコンビニで肉マンと

葉っぱとビーフンと挽き肉入りの肉マンとアマ食みたいなのを買って来てくれた。中国は食事が出ない。

便も出て慣れると伊勢丹の地下で梅のおにぎり🍙を買って来て貰った。梅がベターとして不味いが一応

日本の物で嬉しかった。手術後10日で退院してと言われたが3日居させて貰い13日目に出されて食事

ホテルは解約されて 否応なしにに高速で2時間半かけて北京空港へ連れて行かれて羽田空港にそして広尾

の日赤病院に、移植外科の先生に手術時間が5時間でICUが3日で手術して13日で出された話しをして

凄く驚かれた。日赤は手術が12~17時間でICUが1ヶ月で入院が3~4ヶ月だと、私はイレギュラーだと

つくづく言われ何度もドクターや看護師さんに話しを聞かせお腹を開けて傷口を見られた。

日赤も8月6日で退院して、熱も出ない採血も申し分無くて、でも胆汁菅は8ヶ月も経って3月に取って

貰ったら先生方が瓶にホルマリン漬けにしたのを見せられたが先生が中国や色々海外での移植患者さんは

いたがお腹にこんなの入れた人は初めてだと、又感心された。この6月は泥棒を捕まえたしとかく私は

イレギュラーだ。