2/15(木)ウクレレ・レディ
シルクロードの本はたくさんあるが文面で書かれているのを読むのはとても大変だ。
シルクロードの地理を熟知していないといけないし、遺跡巡りなので中国の歴史を時系列に頭に入れておかないとよく理解できない。
砂漠あり山脈あり途中にオアシスあり、幾通りかのシルクロードがある。
国も中国の長安を起点として・ウズベキスタン・トルクメニスタン・アフガニスタン・タジキスタン・カザフスタン・キルギス・イラン・イラクにまたがり最終的にはトルコのイスタンブールに行っている。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190903/06/yynatunatu1108yysummer/eb/27/j/o0640048014571558816.jpg?caw=800)
一番初めに井上靖さんの本を読んだが、次にNHKの本を読んで感じたことは文章だけで理解するのには無理があるな~ということ。
NHKの本だけで全部で12冊のシリーズになっている。
放映されたらしいのでツタヤに行けばビデオがあるかもしれない。今から40年近く前の放映だと思う。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190903/06/yynatunatu1108yysummer/b6/dd/j/o0640048014571558820.jpg?caw=800)
それでも地図を見ながら、中国の歴史書を横に並べて多少飛ばしながら読んだ。
シルクロードの命名は19世紀に、ドイツの地理学者フェルディナンド・フォン・リヒトボーヘン(難しい名前だな)が著書『シナ China 』(1巻、1877年)に「Seidenstrassen(ザイデンシュトラーセン・絹街道)」と名付けたところからつけられたという。
その後、スウェーデンの考古学者スヴェン・ヘディンや、イギリスの探検家マーク・オーレル・スタインが、 古代中国特産の絹が西へ運ばれたために英訳である「シルクロード Silk Roak」を著作に用いたことから、 一般化したと言われます。
その後、スウェーデンの考古学者スヴェン・ヘディンや、イギリスの探検家マーク・オーレル・スタインが、 古代中国特産の絹が西へ運ばれたために英訳である「シルクロード Silk Roak」を著作に用いたことから、 一般化したと言われます。
シルクロードの道を開いたのは前漢の武帝で、北方の遊牧民匈奴を倒すため、甘粛に河西四郡を設置し、タリム盆地周縁の諸オアシスをも勢力下に収めます。
東西の交通貿易はこれを転機として一大飛躍を遂げました。
東西の交通貿易はこれを転機として一大飛躍を遂げました。
余談だがこの時の武帝の寵姫が李夫人で、弟が有名な武人衛生だった。そして匈奴を倒すために大奮闘したのが部下の霍去病で24歳の若さで亡くなった。
そもそもなんで中国に絹が生まれたか、いつからか。
最初にシルクの利用が始まったのは5000年ぐらい前から紀元前2000年頃の中国とされています。
野生の蚕の繭を集め、それから糸を紡ぎ出して絹織物を作ったのが始まりと考えられています。
中国の伝説では、「黄帝」の皇女が繭をもてあそんでいて湯の中に落とし、それを拾い上げようと糸を手繰ったことが絹の誕生のきっかけだといわれています。
この絹が中国に莫大な富をもたらせた。
絹もその価格が、黄金より高い時代がありました。
中国人は、莫大な富を生み出すこの技術が、他国に漏れることのないように、細心の注意を払いました。 生糸の形では出さず、必ず付加価値をつけた絹織物の形で、輸出したのです。
生糸や蚕を持ち出すことは、禁止されていました。
密輸を行ったものは、死刑になるのです。
日本は、明での価格のなんと10倍の値段で、絹織物をポルトガル人から購入したのです。日本からの輸出品は、銀でした。
現在では習近平さんが別の形で各国のシルクロードの道を買収し工業地帯に仕上げている。
つたやに行ってこよう。