10/26(金) ウクレレ・レディ
  沖方丁の「天地明察」は1年前に一度読んでいる。
 
図書館にいくといつも新刊のコーナーに行くので、そこで見つけたと思う。
今回で2度目だ。
やることがいっぱいあるのに数日前からずーと読みふけっている。
 
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作者は沖方丁(うぶかた とう)で4歳から9歳までシンガポール、10歳から14歳までネパールで過ごしている。
早稲田大学第一文学部中退。小説のみならず漫画・アニメ・ゲーム・等のシナリオを書いて幅広く活動を展開している。
 
ペンネームの由来は暦の用語を並べたもの。
 
生まれたのが1977年(丁巳)で、「」は火が爆ぜるという意味で、それに対して「」(氷が割れる音を意味する言葉)を持ってきた。「」は職業の意。冷静さと熱意、それを職業にしていくという意味がある。
 
この本は読みこなすがとても難しく天文・算術・測量の知識がないと100%理解するのは難しいと思う。
 
ただ主人公の渋川春海(しぶかわはるみ)の人物像がかなりいきいきと書かれていて思わず引き込まれた。
渋川春海は実在の人物で江戸時代の家光・家綱・綱吉の時代を生きた人で天文暦学者、囲碁棋士、神家、貞亨暦の作成者だ
父の死にあたり襲名して家職を継いで碁所に勤め2代目安井算哲と称した。
 
生涯を各団体が作っていた古い暦を天文(北斗七星を基準)・算術・測量・緯度・経度の知識を駆使して中国から伝わった授時暦を緯度・経度等を訂正して貞亨暦あるいは大和暦として作成した。
当時の暦では2日のズレが生じていた。
 
春海はその功により貞亨1年発の天文方となる。
 
始め春海は寛永13年から始まる日食の6回の予報を幕府と天皇に出
ていたがこれが外れた。
日食の予報の時,中国と日本の経度差を考慮に入れなかったので何時
間かのずれが生じたためだ。
緯度についてはそれも影響すると分かっていたが修正の仕方が解
 
らなかったらしい。
 
改暦は科学上の問題よりも政治的問題だった。
特に本邦初ということで、今までの慣例には無いということと各
団体の利権がからむのであらゆるところから反対された。
これまで中国の暦を用いたのだからそのままでよいという中国派
の儒者の言うことも抑えなければならない。
そこでお城に上がって各重役と碁を打つ囲碁棋士としての人脈が
生きてくる。
渋川春海に大きな影響を与えたのが会津藩主であり江戸幕府の第二代将軍、秀忠の四男の保科正之で家光の政治にも大きな影響を与えた人だ。
父:徳川秀忠・母:お静・兄:徳川家光・でこの方も私にはとても興味のある方で、そのうちこの方の小説を探してみよう。
保科正之は15の家訓を残しているがその影響が明治維新の尊王攘夷の会津藩の立場を決まった。
 
また算術者である関孝和の影響も大きい。
中国の授時暦を深く研究していて改暦の機会を伺っていたが政治的環境が整わなかった。
 
その後渋川春海によって貞亨歴が作られたので暦学においては功績を残せなかったが、今でゆう代数の計算方式を編み出した和算を考えた人で春海よりは関孝和の方が有名かもしれない。
 
天地明察今度映画になるらしい。見にいこうかな~
もう上映されているかもしれない。
 
今日は紅茶を飲もう。
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