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たか三郎の日記的ブログ 筋ジス&プリウスと共に…

肢体型筋ジストロフィーで自分一人では思うように動けませんが、
元気に活動できる今、たくさんの方と出会い、介助サポートをして貰いながら様々な場所に行き、楽しい思い出づくりをしていきます♪

いつかは別れがやってくる。

2015年6月21日23時40分、16年と9か月を共に過ごしてきた愛犬「プリン」が霊山へ旅立っていきました。



毛の色がプリンのような色だったことから、妹がオスながら「プリン」と名付けました。
プリンが家に来たのは僕が高校1年の時。筋ジスと診断され、最悪の場合30歳までに死ぬかもしれないと宣告されて完全に落ち込んでいた頃でした。


悲しい時や苦しい時、しっぽを振りながら近づいて慰めてくれる。
楽しい時や嬉しい時、一緒になってピョンピョン飛び跳ねて喜んでくれる。
一家の中に、なくてはならない家族の一員でした。


体調の急激な変化が起きたのは、先々週の13日の土曜日。
会社から有休を頂いて部屋でゆっくりしていたところ、プリンが悲鳴を上げるとともに目を見開いてけいれんを起こし、バタンと倒れこみました。
1分近く意識不明で息もしなかったのですが、その後急速に回復して何事も無かったようにいつものプリンに戻りました。

そのけいれんは数日に一度起こるようになり、朝の散歩中に起こる事も。


金曜日にはほとんど動かなくなりました。
ただ、僕の顔を見つけると、ゆっくりと立ち上がり、倒れそうになりながらもしっぽを振りながら懸命に歩いて近くに来てくれて差し出した手をなめてくれました。

土曜日、これまで日に1回程度だった痙攣が6回に増え、へたり込む時間も増えました。
高齢で検査や手術が難しいという事で、何もしてあげられないもどかしさがありました。

そして昨日の日曜日。
痙攣の回数は減ったものの、明らかに元気がなく、水も食べ物も口にできなくなりました。
僕を見つけても、体が動かずじっと見つめるだけ。でも、しっぱだけは寝たまま振ってくれます。


23時30分、僕はその時自分の部屋で過ごしていたのですが、
母が飼い主である広島に住む妹に電話。
妹が電話越しにプリンに呼びかけます。

その後、数秒間今までとは比にならないぐらいの悲鳴をあげて意識を失い、23時40分に息を引き取りました。


妹が実家に帰ってお別れをしたいという事で、プリンも一緒に乗せて迎えに行きました。
僕の車に乗るのが大好きで、高速道路ではスヤスヤと眠り、一般道に降りると窓からチョコンと顔を出して外の様子を伺うのが恒例となっていました。

プリンは、いつもは僕のベッドで一緒に寝ていますが、この夜は妹のそばで一緒に寝てもらいました。

今朝、妹がピアノを弾きます。
ピアノを弾くとプリンがピアノ前に飛んできて、歌を歌うように「ワォワォワォー」と鳴いていたのを今でも思い出します。


今日はたまたま筋ジスの定期検査の日で、母と共にちょうど一日有休をとっていました。
僕は朝から母と山口大学病院へ行き、妹は昼前に父の運転する車で再び広島のマンション、職場へ。

筋ジスの検査が終わって自宅に帰り、プリンの毛を綺麗に整えて両親と共にペット葬儀センターへ。

本当にただ寝ているかのような安らかな顔です。


生前、目がとろーんとして気持ちよさそうにしていた、耳と肉球のマッサージを行いました。
耳と肉球は当然ながら冷たくなっていましたが、感触はそのままでした。


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最後ののお別れを済ませ、15時40分に火葬が無事行われ、収骨して現在は僕の部屋に安置してあります。



外出時ではなく、一緒に過ごしていた時に最期を迎えた事。
翌日の葬儀の日が、たまたま有休取得日で最後のお別れにも立ち会えた事。
個別火葬の時間帯が、夕方に空きがあった事。
これはプリンの最後の心配りなのかもしれません。
また痙攣が頻発していたので、お互いが心苦しい期間が短くて良かったのかもしれません。



今、車いすを動かす度にそばにプリンがいないか(踏んでしまわないか)を目視確認する長年の癖があって、「あ、そうだ。もういないんだ…」と改めて寂しさを感じています。


ただ、冒頭にも書いた通り、別れは遅かれ早かれ必ずやってきます。
これからは自由に飛び回って見守ってくれるに違いありません。
この悲しみを乗り越えて、これからも頑張っていきます!


プリン!今まで本当にありがとう!!



時系列での出来事と、その場面での思い出が混在しているため、かなり長文になりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます