何を書けばいいのか。
この半月はいろんなことを考えました。
まさか自分が『被災者』になるなんて思ってもみなかった。

生まれは熊本ではないけど、何十年暮らした熊本は私の故郷になりました。

まさか熊本がこんな風になるなんて誰も想像してなかったとおもいます。

熊本市の私の家は、浴室のタイルが剥がれ落ちたり、ヒビが入ってたり、本棚が倒れてたりはありましたけど、家族みんな無事でした。

最初の3日間は家で寝ることが不安で
(倒壊の映像ばかりながれているのでやっぱり不安すぎる)
車でねました。近くの避難所の体育館はいっぱいで、寝るのはグラウンドの車でと聞いたので、家でも同じかなと。
トイレと充電の時だけ家に戻って、ほぼ車の中で生活。お風呂にためた水をトイレに使って…
うちはお茶の買い置きはたくさんしてたけど、お水は全くなくて…ほんと反省。
水がでるという当たり前のことがこんなに幸せなことだと水がとまって気づきました。
それに熊本は水の都だから、もし何かあっても水は大丈夫だろうという油断もありました。

車中泊では、父は父の車で寝て、私は私の車で。エコノミー症候群にならないようにシートは全部倒して、足はまっすぐなるように。
それでも軽自動車だから体はくの字だけど…
母はそのときたまたま入院中でした。

夜、車で1人きりでニュースを見たり、ラジオをきいたり。そしてよく鳴る地震警報は車で響いてそれが怖い。車にいても余震は続くから寝れても30分ぐらい。すぐ起きてしまうし、睡眠大好きっ子な私が全然眠れない。ただただ思ったことは、これは現実なのかな?ってことでした。

辛いながらも、もちろんいいことも。
たくさん地元の友達からの連絡、帰国した元生徒たちからの連絡、もちろん熊本にいる大切な人達からの連絡。本当に嬉しかった。
そしていつもは挨拶だけだったご近所さんともたくさん話ました。うちは~がありますよ。こっちは~がありますよ。お米がない時は言って下さい!など人の優しさをすごくすごく感じました。
私達も車で寝ます。近くにいると思うと心強いですね。などなど。
これから挨拶する時、その挨拶は今までとは違う気持ちのこもったものになると思います。

そして、入院していた母は、怪我人が増えた病院から予定より早めの退院でもいいかと聞かれ帰ってきました。帰ってきて、1日は車中泊を。
でも父は水が出るまでは母を連れて福岡の親戚の家に行った方がよくないか?ということで、母を連れて福岡に行きました。

高速に乗るまでの間、反対車線には大阪ナンバー、神戸・なにわ・尼崎・京都などから来た消防車・救急車・救助車がたくさんで、福岡に行きながら本当に涙が出ました。本当に本当にありがたかった。
車が通る度、お礼を呟く私に母はちょっとわらってましたけど、本当に感動して、本当にありがたかったんです。

玉名SAのトイレで水が出て、久しぶりに顔を洗った時もまた感動でした。何でもない当たり前のことが本当に幸せなんだなと…

『被災者』になった私達にとって、水が出ること、トイレが流れること、電気がつくこと、家でゆっくり寝ること、仕事にいくこと、が当たり前ではなくなったけど、どれだけそれが幸せなことかわかりました。

今も余震がある度に心臓がバクバクします。これは人によって感じ方は違うだろうけど、私は心が痛いです。でも毎日時はすすむし、時間は経つ。仕事もあるし、頑張らなきゃいけません。
そんなことはないだろうけど、もう余震はないですよ!と言われ安心して熟睡できる日が早くくるといいなと思います(^^)

がんばろう熊本!