東北訪問記②被災地視察篇 | 寄り道だらけの日々〜いつも心に音楽を〜

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心惹かれる音楽との出会い、日々のことなど
気ままに書いています。
クラシック音楽が大好き。
ピアニスト角野隼斗さんの
垣根を越えた類い稀な自由な音楽性に魅了させられています。


こんにちは。




今日は、①の続きです。

すぐに書こうと思ったのだけど、

少し体調が悪かったのと、

なかなか気持ちの整理が出来なくて、遅くなりました。


16日南三陸町での交流会を終えて、
翌日は、

被災地視察と観光でした。


被災地の今を視察して、また、東北の素敵な所を観光して帰ります。


テレビなどでも、あまり取り上げられない、被災地の今の姿。
ほんの一部しか見てないけど、
見てきたことを書きたいと思います。


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 被災地のお写真があります。
ご覧になりたくない方は、ここまでになさって下さい。





南三陸町の様子です。

南三陸町にバスが入ると、視界には一面に赤い盛り土が。

ナビでは存在しないクネクネ道がたくさんで運転手さん泣かせ。

南三陸町60回目のベテランAさんのおかげで迷うことなく進めます。
それでも、途中何度かUターンしました。


15.5メートルの津波にあったこの地域。
まだこのように、土を盛る作業中の所がたくさんありました。


この上に、住宅や様々な物が建設されて行くのだろうけど、
どんな感じになるのかは、まだ全く見えてなくて、
土を盛る作業が行われていました。




写真左手に見えている鉄骨の建物は、

南三陸町防災庁舎です。
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今年の4月から、2年間の間、震災復興祈念公園として整備をしており、
今は、近くに立ち入る事が出来ません。

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このように、残されています。

周りにはまだ、建物は何もありません。
震災遺構として保存か、解体かの議論は、
まだ決まっておらず、20年は県が保存して、結論は次の世代へと託されることに、なったそうです。


様々な考えがあることをうかがったので、頂いた資料から、紹介します。



「防災庁舎は「語る.言わずの遺構」になっています。防災庁舎に手を合わせる人は、防災庁舎の犠牲者だけを思っているわけではありません。防災庁舎を通して、東日本大震災の被災者全員に手を合わせているように思うんです。」 
防災庁舎から生還した方の言葉 


「盛り土は増えたけど、仮設住宅から移るための住宅の建設も進んでいません。
買い物するのも、コンビニ頼りで、
未だスーパーマーケットも町内にはありません。震災から5年たったのに、復興は進んでいません。
防災庁舎のことばかりに、スポットをあてずに、町の現状を報じて欲しい。」
南三陸町に暮らす方の言葉


「モニュメントは必要ない」
義理の息子さんを亡くされた方の言葉


「未来の大人が決めた方がいい」
夫を亡くされた方の言葉


南三陸を出て、一路石巻市へ。


石巻市では、

大震災の遺構では、最も悲しい場所の一つを訪れました。





大川小学校。


児童74人。教職員10人が亡くなった大川小学校。

山に囲まれた静かな地域。
川を遡った津波に襲われました。

今は周りには何もありません。
小学校だけが、ぽつんと残されています。

ただ、時があの日から、止まったような。
そんな場所でした。

壁が破壊され剥き出しの教室。

そのままの黒板の緑が不自然に鮮やかで。

部外者にこの場所を語ることは、出来ないと思いました。



笑顔が溢れる場所から、
静かな五年の月日。
保存か、解体か揺れているとのお話を聞きました。
住民によるアンケートでは、保存を求める意見が多くなったそうです。



「校舎は絶対に残すべきです。そして、多くの人に見て欲しい。
地震や津波のおそろしさ、命の大切さを後世の人に伝えるきっかけになればと思います。」

当時5年生で生還した生徒さんの言葉。


「震災で色々な大切なものを失いました。
家族、友達、住んでいたふるさと、
津波で、すべてなくなりました。
それでも津波に飲み込まれて、残ったもの。それは母校大川小学校です。
わたしが、6年間友達と楽しく過ごしてきた場所です。住んでいたふるさとをなくし、唯一帰れる場所が大川小学校なのです。」

卒業生の言葉


学校周辺はまだ係争中で、
遺族と市も裁判中なため、
当分は
あの日、時が止まったままの状態のままで、整備などはまだまだ行なわれないとのことです。

お写真、少し撮りました。
あまりに悲しくて、迷いましたが、
現地を訪ねることが、なかなか難しいと思うので、
また、大川小学校を大切に思う方のたくさんの方に見て欲しいとの願いをうけて
載せようと思います。


とても、悲しい写真なので、
ご覧になりたくない方は、ここまでで。








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この他には、
亡くなった方のお名前を記した慰霊碑が。

この日は、日曜だったのでご家族で、お参りにいらしている方がありました‥‥。




訪れる方、一人一人が何かを受けとって帰ったと思います。


名残りおしいような、不思議な気持ちで、
大川小学校を後に。



次は、

女川原発へと、向かいます。
原発には、入れないので、隣接の見学施設へ。

震災時二基稼動していましたが
安全に停止しました。


いろいろお話を聞いたのだけど、
1時間半くらいの
曲がりくねった山道。

私、すっかりバスに酔ってしまったので、
実はあまり覚えていなくて、
ごめんなさい。

この大震災の復興を一段と困難にしているのが、
福島の原発であることは、あきらかです。
原発については、
もっと知る必要があると思います。


ほとんど写真もないので、
いただいたパンフレット載せます。

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原発を後に、

あとは少しだけ観光して帰ります。



記事が長くなり、投稿エラーになったので、2つに分けます。
③に続きます。

読んでいただいてありがとうございました♡かれん



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