猿田彦大神さま とは | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!


椿大神社より



蛯原さまの考察

シェアさせて頂きました


ありがとうございます



AstroArtsより



『アルデバランは猿田彦の目』



【猿田彦大神】



邇邇芸命が天降りしようとしたとき、

天の八衢

(やちまた。

道がいくつもに分かれている所)

に立って

高天原から葦原中国までを照らす神がいた。


『日本書紀』では、

その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、

背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、

目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、

また赤酸醤(あかかがち)のように

照り輝いているという姿であった。


そこで

天照大御神と高木神は


天宇受売命(あめのうずめ)に、

その神の元へ行って

誰であるか尋ねるよう命じた。


その神が

国津神の猿田毘古神で、

邇邇芸命らの先導をしようと

迎えに来た。


〜wik参考


猿田彦の鼻の長さは七咫、

背は七尺、七という数字は吉を表し、

陽数であり八の前の数字で、

八を導く数字とも言えます。


猿田彦が導いたのは

三種の神器を携えた邇邇芸で、


三種の神器には

二つには八の字が入っていますね。

(八尺瓊勾玉、八咫の鏡)


八は数多くのという意味があり、

太陽になると日の出や日没を繰り返す、

その永遠性を意味します。


アマテラスが岩戸に隠れる、

これか日の入り、

岩戸の隙間から鏡に映った

自分自身を見ますね。


その時に岩戸は開かれます、

これが日の出。


これは日没や日の出の太陽の色が、

猿田彦の目の色になると

アカガチの色になり、

その色は

畢宿(ヒアデス星団)の

アルデバランのオレンジ色なのです。




八咫の鏡は

天円地方の宇宙観ですから、

太陽や月の永遠性を示すだけでなく、

そこに住む神々、

また天空で方位を守護する神々も

描かれています。




古代に古墳などに埋納されるのは

再生(仙界に行く)を願う

死生観に基づくものであり、

埋葬者が

鏡に描かれた世界への旅立ちをも

意味します。



卑弥呼が

魏から

たくさんの鏡を送ってもらうのは

死生観に基づく

祀りや地霊(祖霊、鬼神)を鎮める

意味があったからです。



卑弥呼の年齢は

老いていると

魏志倭人伝東夷伝は伝えています。


本人自身にも

再生を願う鏡が必要だったんでしょうね。




【畢宿の星官】


畢宿はヒアデス星団

〜猿田彦大神の特徴が描かれていますよ


畢】網が小さく柄が長いウサギを捕える網、

或いは雨師(雨の神) 。


附耳】皇帝のすぐそばで話をする、

或いは野獣の音に耳を澄ます狩人 。


天街】日月や惑星が通る天上の道 。


天高】天文観測用の高台 。


諸王】王室の姪孫(兄弟の孫) 。


天関】日月や惑星の通る門 。


天節】玉や銅や木や竹で作った割り符。

関所を出入りするときに使った証明書で、

二つに分け、

右半分を中央に残し、

左半分を国境警備に渡し、

使者を出すとき右半分を渡し、

関所を通過するときに

真偽を確かめる 。


五車】5台の車、或いは五帝の駐車場 。


柱】三柱ともいい、

五車の内外に並ぶ馬をつなぐ杭 。


咸池】太陽の沐浴する場所 。


天潢】天横とも書き、

銀河の橋または渡し場 。


参旗】参宿の持つ旗、または弓矢 。


九州珠口】翻訳人員 。


九斿】皇帝の軍旗、

斿とは旒と同じで、

旗の下に垂れ下がる飾り紐 。


天園】野菜や果物を植える畑。




蹕(ひつ)の意味

天子の行幸や貴人の通行のとき

先払いをすること。


PS.

玄界灘の沖ノ島で

宗像の三女神が祀られていますね。


この島で祭祀が行われていたのは、

ただ単に海にあるというだけでなく、

海から見えるその島の姿が

太陽が水平線から半分だけ見えていた形に

似ていたからだと思っています。




『土公神は猿田彦の原型』
〜坂は境界・猿田彦と宇治土公

土公神は中国古代の天文記録や星経の中においても星の名称として散見され、「営造及び稼穡起土の官」という星神とみなされています。

【営造えいぞう】
大がかりな土木建築などの工事を行なうこと。
造営。
建造。
営作。

【稼穡かしょく】
穀物の植えつけと取り入れ。農業。農事。

【起土きと】
土を掘り起こすこと。

日本古代における呪術的宗教文化受容の一考察 ― 土公信仰を手がかりとして―張 麗山 
中日辞典 第3版 参考

今まで猿田彦の投稿で、猿田彦は古代中国の星宿『畢宿』を神格化したもので、西方白虎に属する星宿でもあり、東から天空に昇るときには觜宿や参宿(オリオン)を導く位置にあることをご紹介してきました。

觜宿や参宿は海人の龍宮や、五色の海亀に見立てられていて、それは神武天皇やウガヤフキアエズの母系の出自を伝えるものでもあるのです。

また、畢宿であることは、ニニギや山幸彦、神武を導く重要な役割として、猿田彦や塩土翁などと名前を変え、度々神話にも登場しています。
また、猿田彦はニニギを道案内した後、伊勢のアザカで海に入り、三つの泡の神を吐き出します。

これは、アザカ(阿射加)で田の神に戻るためであり、本来の土公(参宿、オリオン)に戻ったとも言えるのです。

また、アサカは阿の坂ですから、海(阿)との境目の坂ともいえます。

陰陽では参宿を象徴する動物は猿であり、七曜は水になります。
故に伊勢の皇大神宮には屋敷神であった猿田彦は子孫である宇治土公によって祀られていて、土公神は家宅の神でもあるので、屋敷神とされていたのです。

【蹕ひつ】
さきばらい。
貴人の行列の先頭を行き、前方の通行人をよけさせること。



【猿田彦神社 三重県伊勢市宇治】


日本神話によれば、
猿田彦神は
ニニギの天降りの先導を終えた後、
伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。

『倭姫命世記』によれば、
その子孫の大田命は
天照大神を祀る地として
倭姫命に
五十鈴川川上の地を献上した。

大田命の子孫は
宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、

神宮に
玉串大内人として代々奉職したが、
その宇治土公が
邸宅内の屋敷神として
祖神の猿田彦を祀っていた。

明治時代に入り、
神官の世襲が廃止されることになって、
屋敷神を改めて
神社としたのが
猿田彦神社である。


〜wik参考


古代中国では
家宅(建物、家)は
人間にとって重要な空間であり、
そこで活動する人々が
生活の平安や幸福のために、 
家宅の中心にある囲炉裏を
最も神聖な場所として、
先祖の霊が集まると考え、
鬼神を篤く祀っていました。

やがて、
家宅から
土地の神として変遷するのは、

文献資料では
漢代になってから現れ、
やがて五行神や農耕神の影響から
星神の性格を持つようになりました。

中国では失われた土公信仰が、

日本では
猿田彦や塩土翁という導きの神、
道祖神、久那土、竈門神などとなり、
現在でも複雑な神の性格を持ちながら
信仰として生き続けているのです。


『鬼神きしん』

死者の霊魂を
神として祀(まつ)ったものをいう。

これを「きじん」ともいうが、
その場合は荒々しい鬼の意として
使われることが多い。
オニガミ
ということばは
恐ろしい神の意とされている。


『古今和歌集』の仮名序に
「力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ……」
と書かれている。

鬼神という語は
中国より伝来したもので、
その意義は多様である。

祖先または死者の霊魂をいうが、
幽冥界(ゆうめいかい)にあって
人生を主宰する神ともされており、
さらに妖怪変化(ようかいへんげ)とも
みられている。

中国の古典には
いろいろと鬼神のことが述べられている。

たとえば
『礼記(らいき)』には
鬼神が天地、陰陽(いんよう)
あるいは
山川と連想されたり、
併称されたりしている。
そして
鬼神を祀ることが礼である
という。

この鬼神の語が
わが国に移入されたのであるが、
鬼は一般に
妖怪のように悪者とされている。

鬼退治の伝説、昔話が
多く語られている。

大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)や
桃太郎の昔話などで
よく知られている。

しかしその一方に、
戦場に赴く者が
「死して護国の鬼とならん」
などというのは、
中国の鬼神と相通じるものがあり、
人の過去帳に載るのを
「鬼籍に入る」という漢語表現
使用されているのである。

[大藤時彦]日本百科全書 参考



猿田彦大神は
邇邇芸の導きを終えて、
伊勢の海で『田の神』に戻ります。


つまり、久那土は
境界から
海の禊ぎ(海から星が昇る様、
伊弉諾の禊ぎと同じ)を終え、
土地神、田の神になれたのです。

それには
猿女(アメノウズメ、天の鈿)の
鎮魂の儀式(舞)が必要
だったのです。

これは
大嘗祭や新嘗祭にも繋がる
穀物の霊になる儀式
なのかもしれませんね。

つまり
国津神が
禍いをもたらす鬼神(祖霊)にならぬように
という儀式。


三ツ星を
禍々しい毒を消す泡に見立てて禊ぎをし、
参宿となったのです。


宿神は境界の神、猿田彦であり、
それを田の神とした
秦河勝でもあるのですが、
星が土中を移動するという天文観は、
おそらく推古朝の時に
観勒によってもたらされたのでしょう。




『猿田彦大神と伊勢国の二見』
〜土中と海の境界の久那戸(岩戸)


敏達天皇は
この地の豪族『大鹿首』から
妃を得ています。
後の皇大神宮祭祀の荒木田氏です。
天武天皇や持統天皇も
この荒木田氏の血を引いています。

撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ムカツヒメ)は、
六甲山の山と海の境界の女神
(夜と昼間の境界でもある土地神)で

神功皇后が
神懸かりになる天照大神の荒御魂、
つまり
天岩戸籠りの前に
ワカヒルメが亡くなる
死の穢れを祓うために、
伊弉諾(天空神)のように
東の海や川で穢れを落とす
(穢れは死であると同じように
西に沈んだ太陽や星が
土中を東に移動することを
意味します)ように

夜明け前に
海から太陽が昇る様子が
岩戸開きです。

ムカツヒメ(向津)は
武庫津
(武庫湊、兵庫湊、神戸、
因みに兵庫は
土地神に武器を納める場所という意味)に
集まった
半島へ向かう軍船や
その兵士たちの指揮を高めるために
死の穢れを祓う女神として
神功皇后や武人の応神天皇の伝説と
結びついた
海の神霊の一つで、
後に穢れを祓う
瀬織津媛と同一視されたようです。


椿大神の猿田彦大神は、
宇治土公と呼ばれるように
土公神です。

つまり、
土地神であり、
境界にいる神、久那戸神ですね。

土地神は
農耕や天文から星神となっています。

これは
古代中国の星経(星座図)に
散見しています。

猿田彦大神の原型も
土地神や土公神、竈門神ですから、
猿田彦大神の神使いは
『竈』の『黽(モウ)』、
つまり
蛙になります。

星では
邇邇芸や神武、彦火火出見(山幸)を
導く時は
畢宿で伊勢国のアザカに戻って
田の神になった時は
『土用三郎』、参宿(オリオン座)に
なります。


これは
海で溺れて三つの泡の神を出して
土公から田の神(春秋去来神)に戻る事を
意味します。

*塩土老翁は
土中から
天海の涯(海、潮)に昇ってきた星神。


土地神の源流は
葛城や三輪山祭祀なんです。


祖霊(土地神、祖霊、鬼神)は
末裔が正しく祀らないと
禍いが起こる、

これが
崇神期や出雲の国譲りに見られる
お話しで、

土地神(大物主や大国主)から
国を治める権利(国譲り)を得るのは

土地神を
末裔に正しく祀らせる事
でもあるんです。


土地神の世界
(黄泉、土中、地下の世界)と
現実の世界の境界にいるのが
久那戸であり、
坂で祭祀する神々です。


ひらめきだからか!
月山の九号目にある、行者返しの
クナト神は!!



農耕から季節の変わり目の土用に
土の字が付いている理由は、
土は陰陽五行では死と再生で、
土用は季節の境界でもあります。


文、蛯原春比古さまに
帰属します
マネは一切できません!



ありがとうございます

わたし自身も一度
椿大神社に参拝しましたが
 


高山土公神陵を
参拝しました時

ここが
「終わりであり、始まり」
なんだと
感慨深いものがありました

御船磐座も
天から地へ
降り立った場所なのかと
神秘性を感じました

もちろん
三重県の猿田彦神社にも
参拝しましたが

わたし自身
出雲大社との縁深く

稲佐の浜より
猿田彦大神さまが先導され
全国の神々さまが
お着きになられることは
承知していますが

古事記、日本書紀は
すべて
天文を通してのモノカタリ
なのだと
改めて
蛯原さまのお蔭で
勉強させていただいて
おります