蛯原さまから
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『現代に息づくスサノヲ』
〜穢れと贖い
神話は
古代の天文観を元に
国の祭政、国の概念、産業の始まりなどを
例え話しにしたものが多く、
それらは人の姿を借りて、
神が行なった歴史的な事柄として
描かれているのが
神話なんです。
渡来人たちによってもたらされた
多くの技術や信仰、
あるいは習俗などは
様々な地域に伝播し、同化していきます。
その中には
スサノヲという、
方位による占いを基本とした、
後の陰陽道に大きな影響を与えた神
(九星術、魔法陣の方位神)
がいます。
*伝説では、
夏王朝を創始した禹が
洛水を通りかかった時、
川の中から飛び出た
神亀の甲羅に描かれた模様から
この魔方陣を思いついたとされている。
よって
この魔方陣を、
洛水の書「洛書」(河図洛書)という。
スサノヲは
中国や朝鮮半島の
方位神(道教など)たちを総合した
日本の神で、
特に
九星の金星を
神格化したものと考えられます。
スサノヲの系譜には
大年神や、更に土地神や歳神、
竈門神がいて、
これらは
百済や新羅から伝わった
陰陽道の原初の姿なのです。
歳神は
拼音では『スゥイシェン』と発音し、
まさに
スサノヲの『スサ』と同じなのです。
故に
スサノヲの本来の姿は
大将軍 (方位神)、金神、金星(太白)で、
日本の重要な神として
神話で描かれる事になるのです。
古代では
不慮の死で亡くなった人は、
正しく祀らないと
禍いをもたらす存在になる
と信じられていました。
(崇神神話)
これが
祖霊信仰(鬼神信仰)であり、
また古代人の死生観では、
生と死には境界があり、
死の世界は忌み嫌われる
『穢れ』そのものだったのです。
穢れの世界、つまり死の世界は
地上では
地下の黄泉の国と呼ばれ、
穢れが浄化された
天上においては常世、
あるいは高天原となり、
天の下に対して
天上と呼ばれたのです。
方位神であるスサノヲは、
金星という星神でもありますので、
天上界の高天原の
至高の存在である
アマテラスに会う事で、
穢れの贖いを行って、
地上へ来訪神の姿となって
人々に幸福をもたらします。
さらに、スサノヲは
根の堅洲国へ行き、
土地神(大国主、祖霊)に
試練を与えて、
祖霊信仰をより強化し、
太陽や月や星が
毎日天上を周るのと同じように、
穢れの贖いと来訪神の幸福を
毎日繰り返し
我々に与えているのです。
*それぞれの一族に祖人がいるように、
物や自然に宿る精霊とは別に、
祖神として祀ってきたのが、
所謂我が国の
『八百万の神(やおよろずのかみ)』の
原初の姿であり、
神話では
大国主の姿として
土地神(国津神)になっていきます。
神話では
『根の堅洲国』のスサノヲに
試練を与えられ、
祖霊を
出雲より天上に導く
冥界の主としての存在を
明確にしていきます。
国の魂として
各地に祀られる
国津神となっていくのです。〜
また祖霊信仰と習合した
方位神は、
敦賀では都怒我阿羅斯等、
出雲ではスサノヲ、
丹後ではシイネツヒコ、
丹波や但馬、播磨では天日槍
になります。
また葛城の大樹信仰
(神霊、祖霊が木に憑りつく)は
朝鮮半島で見られる
ソッテとよく似ていて、
木に依り憑く神霊や、
鳥によって運ばれる魂など、
星神との関係に近づく、
天上他界の概念が見られるのです。
*スサノヲが
高天原を追われる時に
爪や髭を切るのは、
穢れの贖いであり、
蓑笠をつけるのは
地上に降臨する前に
『天海の涯(古代の天文観)』を通るため
であり、
陰陽道では
物忌みの時の衣装が
蓑笠になっています。
物忌みの衣装の蓑笠は
客人神に穢れをうつさないためであり、
物忌み自体が
客人神になる事でもあるのです。
現代でも
日本海側や九州南西部に
残っている
歳神信仰、
ナマハゲやアマメハギ、スネカなどに
その姿を残しているのです。
『方位神の土地神祭祀とは』
〜陰陽師の仕事
土用というのは
季節のの変わり目です。
土地神信仰は
祖霊を
ちゃんと正しく祀る事なんですが、
農耕や禍いの回避までは
教えてくれないんです。
(犯土)
そこで登場するのが
スサノヲなどの方位神の占いなんです。
つまり
九星術ですね。
九星は
暦と連動していますので、
日時まで良い日か悪い時間かを
教えてくれるのです。
古代の暦は
具注暦というものを
使っていたんです。
後に
陰陽師の仕事になっていくんですよ。
神話は
神が人の姿になって行う
歴史になっていますが、
それは例え話なんですよ。
具注暦とは、
季節や日の吉凶などの暦注を具備した
暦と言う意味です。
具注暦には、
巻頭にその年の一年の長さや、
月の大小のほかに、
歳の吉凶が書かれていて、
各月には日の干支、二十八宿、
曜日、二十四節気、七十二候、
日の出入り時刻のほかに
その日の吉凶が
漢字で記されており、
真名暦とも
いわれています。
残されている具注暦は、
紙に書かれたもっとも古いものとして、
正倉院にある
天平18年(746)
暦断簡でありますが、
漆や木簡に書かれた具注暦もあり、
今のところ最も古いのは
持統3年(689)木簡暦の断簡です。
具注暦木簡復元図
三月大
一日癸丑開 九坎天倉
二日甲寅閉 帰忌
三日乙卯建 厭対
四日丙辰除
五日丁巳満 重
六日戊午平
七日己未定 血忌
八日庚申執 口口口口
九日辛酉破 上玄岡虚厭口
十日壬戌破 三月節急盈九坎
十一日癸亥危 重馬牛出椋口
十二日甲子成 絶紀帰忌口 ]天倉
十三日乙丑収 天間日口口
十四日丙寅開 血忌口口厭対
十五日丁卯閉
十六日戊辰建
十七日己巳除 重
十八日庚午満
十九日辛未平
廿日壬申定 厭
廿一日癸酉執
廿二日甲戌破 九坎
廿三日乙亥危 重
廿四日丙子成 帰忌天倉
廿五日丁丑収 三月中
廿六日戊寅開 血忌厭対
廿七日己卯閉
廿八日庚辰建
廿九日辛巳除 重
丗日壬午満 往亡
四月大
一日癸未平
二日甲申定 厭
三日乙酉執
四日丙戌破 九坎
五日丁亥危 重
六日戊子成 帰忌天倉
七日己丑収
八日庚寅開 血忌厭対
九日辛卯閉
十日壬辰閉 四月節
十一日癸巳建 重
十二日甲午除
十三日乙未満 口口厭九坎
十四日丙申平 天間日血忌口
十五日丁酉定 天李乃井口
十六日戊戌執 望天倉小口
十七日己亥破 往亡天倉重
十八日庚子危 人出宅大小口口
十九日辛丑成 口口帰忌厭対
廿日壬寅収
廿一日癸卯開
廿二日甲辰閉
廿三日乙巳建 重
廿四日丙午除
廿五日丁未満 四月中九坎厭
廿六日戊申平 血忌
廿七日己酉定
廿八日庚戌執
廿九日辛亥破 天倉重
丗日壬子危
帰忌(きこ) (帰宅は凶)
血忌(ちいみ) (出血は凶)
天倉 (蔵開きに吉)
往亡(おうもう)(旅行などは凶)
九坎(くかん) (万事に凶)
文、蛯原春比古さまに
帰属します
ありがとうございます!
掲載されたそうです!
伊勢榊エキス入りの
緑の缶もありますよ!