空海上人が、今世の日本人に伝えたい事 | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!



辰砂(しんしゃ)は、右の赤いものです
別名 シナバー


蛯原さまのお話

シェアさせていただきました


ありがとうございます

 






『空海と牛宿』

〜始まりと終わりの場所


「高野山」(あ・うん、阿吽)



空海が

高野山の地を得るために

丹生都比売大神の御子神である、

二匹の犬を連れた狩場明神の道案内で

高野山を開山する説話は

有名で、

丹生(辰砂)とよく結びつけられます。


しかし、直接、

空海と辰砂を結びつける


リアルな記録が見当たらないのです。


ある説では

空海が全国を旅したのは

辰砂の鉱山を

見つけるためであったとか、

四国八十八ヶ所はまさに、

その時の産物であるとか、


若き日の空海は

辰砂を渤海の商人に売り、

唐の留学の時に

西安でその代金をもらい、

留学費用にしたのではなどと、


後付けの推論はいくつかあります。


もちろん

バイリンガルな空海ですから、

外国語での交渉も

スムーズに進むことが

できたのかもしれません。 


空海を高野山へ導いた

丹生の狩場明神は、


今昔物語では

自分の名前を「犬飼」と言っています。


天平時代に書かれた

「丹生大明神祝詞」には


稚日女尊と丹生都比売神は

同じとされていて、


稚日女尊は

『日本書紀』

神代記上七段の第一の

一書に登場し、


高天原の斎服殿で

神衣を織っていたとき、

それを見たスサノオが

馬の皮を逆剥ぎにして

部屋の中に投げ込んだため、

稚日女尊は

驚いて機から落ち、

持っていた梭で

身体を傷つけて亡くなっています。


その後、天照大神が

天岩戸に隠れてしまう

有名な場面に登場します。


また『古事記』では、

名前は書かれておらず

「天の服織女(はたおりめ)」が

梭で

女陰(ほと)を衝いて

亡くなってしまったとされているのです。


みなさんは服織(機織)ときくと、

すぐに頭に浮かぶのは

七夕の「織姫星」ではないでしょうか?


七夕のお話しは

もちろん中国の話ですから、


日本と中国の神話は

別物と言われる方もいらっしゃっると

思いますが、


実は

この犬飼

(狩場明神が自分を犬飼だと言った。)は

「犬飼星」ともいわれる

「牽牛星」と一致する名前でもあるんです。


牽牛星(アルタイル)には

二つの伴星があり、


この伴星を

二匹の犬としていたので

和名を

犬飼星と呼んでいたのです。


また丹生(ニウ)の

中国語の発音では

「牛=ニウ」となり、

中国の星宿(星座)の『牛宿』には

なんと織姫星と牽牛星も含まれるのです。


空海が伝えた

宿曜道(簡単にいうと密教の占星術)では

唯一、

その存在を消された

星宿(28宿の内で、

宿曜道では27宿としている)で、


北方玄武七宿の第二宿になります。


つまり、空海を高野山へと導いた

狩場明神は

二匹の犬を連れていたのですから、


牽牛星そのもの

とも言えるのです。


『牛宿」が何故?

宿曜27星宿に無いのか?(本来は28宿)


それは

「始まりであり、

終わりでもある」

からです。


つまり、「牛宿」は

他の星宿と違い、

27星宿

それぞれの

正午の時間に

必ず存在する星宿だったからです。



1日の始まりの正午、

1日の終わりでもある正午。


だから

『阿吽』だったんです!



高野山は牛宿、

「始まりと終わり」の場所として

作られたていたのかもしれません。


P.S


空海が始まりで、

弥勒菩薩降臨で

その役目が終わる高野山


となるのかもしれませんね。




『阿・吽〜初まりと終わり』


〜空海と牛宿・始まりと

終わりの場所「高野山」


・丹生は牛宿


『牛宿」が何故、

宿曜27星宿に無いのか(本来は28宿)、


それは

「始まりであり、終わりでもあるから」


つまり、

「牛宿」は他の星宿と違い、

27星宿それぞれの正午の時間に

必ず存在する星宿だったからです。



*宿曜経に於いて

本命宿は

「二十七宿」によって

定めることになっています。


*本命宿が

「牛宿」になるのは、

毎日の正午に生まれた人である

としています。


1日の始まりの正午、

1日の終わりでもある正午。


だから『阿吽』だったんです。


高野山は

牛宿に見立てられていたんですね。


宿曜占星術では

正午の生まれを


牛宿とします。



インドの占星術では

1日の切れ目は

お昼の12時なのです。

お昼をすぎたら次の日となる。



例えば初夜とは、

お昼をすぎた最初の夜をいいます。


午前零時過ぎの夜を後夜、

正午までが日中です。


初夜・後夜・日中の三座修法する。


加行などでも

初夜から入って日中で終わる。


これはインドの一日の概念が

伝わっているものなのです。


インド風にいえば

午後生まれは、

次の日の生まれとなる。



普通東洋系の占術では


子の刻(午後11時)から

一日が始まりますが、


宿曜占星術の場合は

午前零時を始まりとします。


〜真言宗智山派 総本山智積院

ホームページ参考




空海が始まりで、

弥勒菩薩降臨で

その役目が終わる高野山。



サンスクリット語の

アルファベットの最初の字音である

「ア」と

最後の字音である

「フーム」をさす言葉。



密教では、

この2字が

万有の始原と究極を象徴するとし、

それぞれ万有の原理、

それらの帰着する智徳を示すとする。



また、

前者を悟

りを求める心 (菩提心) 、

後者を

その結果としての

涅槃 (ねはん) にあてることもある。



〜ブリタニカ国際百科事典  参考


「牛」の字は

牛の頭を象った(かたどった)

象形文字で、


古典漢語の呉音ではグ、

漢音ではギウと

発音していたようですが、

現代の中国語では

「ニウNiú」となっています。



Niúの発音が

いつから漢語の発音となったかは、

今のところ詳しくはわかりませんが、


Niúの正確な発音を

日本語であらわすと

「ニォウ」となり、

ニォウは

やや語尾の音が高くなります。



以前

『丹生都比売神と稚日女尊』の投稿で、


中国語「牛」の発音から、


紀ノ川を天の川に見立て、

狩場明神を「牽牛星」、

稚日女尊を「織姫星」とする


宿曜27宿には存在しない、


『牛宿』を「丹生」である


という説をご紹介しましたが、


これからお話しするのは


『空海入定』に関するもので、


その入定に秘められた

「謎」を追っていきたいと思います。


*阿吽の吽には

牛という字がありますね。




『阿・吽〜初まりと終わり』


〜空海入定の秘密 最終章


サンスクリット語の

アルファベットの最初の字音である

「ア」と

最後の字音である

「フーム」をさす言葉。


密教では、


この2字が

万有の始原と究極を象徴するとし、


それぞれ万有の原理、

それらの帰着する智徳を示すとする。


また、前者を

悟りを求める心 (菩提心) 、

後者を

その結果としての

涅槃 (ねはん) にあてることもある。



〜ブリタニカ国際百科事典  参考



【入定】

入定(にゅうじょう)は、

真言宗に伝わる伝説的信仰。


原義は単に

「禅定(ぜんじょう)に入る」

という意味だが、


ことに

弘法大師空海が

永遠の瞑想に入っている

という信仰を指す。




それ如来の説法は

必ず文字による。


文字の所在は

六塵其の体なり。


六塵の本は

法仏の三密即ち是れなり。

(如来の説法は必ず文字によっている。

文字のあるところは、

六種

(視覚・聴覚・嗅覚・

味覚・触覚・思考)の

対象をその本体とする。


この六種の対象の本質は、

宇宙の真理としての

仏の身体・言語・意識の

三つの神秘的な働きこそが

それである。



〜空海『声字実相義』より wik参考




『プラーナと大日如来』


〜「阿・吽」は呼吸、

宇宙の始まりは「阿」。


プラーナ(梵: प्राण、prāṇa) は、


サンスクリットで

呼吸、息吹などを意味する言葉である。

日本語では

気息と訳されることが多い。


インド哲学では、

同時に

人間存在の構成要素の1つである

の元素をも意味している。



そして

生き物 (すなわち息物) の生命力

そのものとされ、

やがてその存在は

アートマンの根拠にまで高められた。


アートマン(आत्मन् Ātman)は、

ヴェーダの宗教で使われる用語で、

意識の最も深い内側にある

個の根源を意味する。


真我とも訳される。





【生身供】


〜鎌倉時代に始まった生身供


東寺は

平安後期には一時期衰退するが、

鎌倉時代からは

弘法大師信仰の高まりとともに

「お大師様の寺」として、 

皇族から庶民まで

広く信仰を集めるようになる。


中でも

空海に深く帰依したのは

後白河法皇の皇女である

宣陽門院であった。



宣陽門院は

霊夢のお告げに従い、

東寺に莫大な荘園を寄進した。


また、

「生身供」

(しょうじんく、

空海が今も生きているがごとく、

毎朝食事を捧げる儀式)や

「御影供」

(みえく、

毎月21日の空海の命日に供養を行う)

などの儀式を創始したのも


宣陽門院であった。



空海(弘法大師)が

今も生きているがごとく


朝食を捧げる「生身供」の儀式は、

21世紀の今日も

毎日早朝6時から

東寺の西院御影堂で行われており、

善男善女が参列している。



〜wik参考




『空海と牛宿』

〜始まりと終わりの場所「高野山」


『牛宿」が何故?

宿曜27星宿に無いのか?

(本来は28宿)

それは

「始まりであり、終わりでもあるから」

つまり、「牛宿」は

他の星宿と違い、

27星宿それぞれの正午の時間に

必ず存在する星宿だったからです。

1日の始まりの正午、

1日の終わりでもある正午。


だから『阿吽』だと、 

空海は

解釈したのではないでしょうか。


空海は

勤操らの文殊会を

乞巧奠(七夕)の翌日に行うことにより、

貴族から財を集め、


「貧を救うには財をもってし、

愚を導くには法をもってす 。

財を積まざるをもって心となし、

法をおしまざるをもって性となす。

ゆえに、

もしくは尊、もしくは卑、

虚しく往きて実ちて帰る」


弘法大師は

恩師(勤操や恵果)を見習い、


貧民を救う際に財貨を用い、

愚民を導く際には仏法を唱えた


と言われています。



財貨を蓄積せず、 

仏法の教授に力を注ぐことを旨とし、

「虚しく往きて実ちて帰る」

を実践する。


「我もまた如来」


仏と凡夫の間でなされる

三つの働きを加地することで、


宇宙の根源仏である

大日如来と一体となって、

成仏を可能にすると言っています。


空海が始まりで、

弥勒菩薩降臨で

その役目が終わる高野山、


しかし、

究極の貧困や飢餓から

人々を救うことを探究した空海が

奥の院で入定に入ったのは、


プラーナだけで生きることを

実践したかったのかもしれませんね。




『空海の干支は寅』


〜空海と仏たち


『三教指帰』の序文には、

空海が

阿波の大瀧岳(現在の太竜寺山付近)や

土佐の室戸岬などで

求聞持法を修ましたことが記され、


とくに

室戸岬の御厨人窟で

修行をしているとき、


口に

明星『虚空蔵菩薩の化身』が

飛び込んできたと記されている。




空海が生まれた年は

寅年とされていて、


寅年の守り本尊は

「虚空蔵菩薩」ですから


納得できますね。




ちなみに

空海が入定した年は

卯年ですから


守り本尊は

「文殊菩薩」となります。



空海が伝えた


「文殊師利菩薩及諸仙所説

吉凶時日善悪宿曜経」の


文殊菩薩と重なります。




空海の師「勤操大徳」が行っていた

「文殊会」が

空海の理想の布教活動だったと思います。



文殊会は

往古は7月8日に行われていて、


乞巧奠に合わせた形で

七夕の日の織姫牽牛のいる牛宿に

高野山開山の説話が

付随したのだと思います。


ただし、牛を選んだのは

教団を牽引する意味もあり、


始まりと終わり

「阿吽」も


高野山の役割としての理想が

掲げられているのだと

理解しています。


牛宿が何故?

27宿にないかというと

毎日の始まりの午前0時と

終わりの0時に存在していると

解釈していたためで、


天文的な考えではなく、

インドの占星的な解釈だからなんです。


27宿の占星と

未来が契約された信仰、


それは

空海で始まり弥勒化生で

高野山や空海の役割が

成就する。

そして、それを

この世に実現させる。


それが空海に与えられた

使命だったのかもしれませんね。





ありがとうございます




わたしが、昨年末、今年に入り

いろいろなことを

言ってきました


昨年末に

今年の全体運を書いたわけ

ですが


「終わりであり、始まり」


実際、和歌山に行き


空海上人にもあり

熊野三山にもあり


これも不思議なご縁

だと思いませんか!


手前味噌

2008年から

「ご縁玉の感謝祭」を

やっていて


これに行き着くために


わたしに夢を見せたのか

と思うくらいです


そういえば

「ご縁玉の感謝祭」

15周年記念


なんだね〜!!


(* ᴗ͈ˬᴗ͈)”

皆様

ありがとうございます






もしかすると

空海上人のお言葉が


この日本を救う


何か原動力となるのかも

しれません


また、昨年から

日月神示を

よく読まれている方の

ブログを拝見しても


「ミロク」の言葉が

溢れていました




蛯原さまと出会い

いろいろなお話を聴くにつれ


空海上人が

次元を超えて


今世の人々に


弥勒の世は、まだまだ

とんでもなく

遠いところにあるけれど


今こそ

人々、ひとりひとりが

こころを刷新して

世を変える時であると

教えているのではないかと

思うのです


弥勒の世への

もうひとつのステップ

それに

上がることができるか

どうか


「人が、神か、獣か」


今、ニュースをみても

わかりますよね!


明らかに、獣化してきて

いますよね!


その中で

自分は、どう生きるか


獣は、本を読みません


人だけが

本を読むことができるのです


たくさんの本を読んで

言葉の意味、感情を学び


何が、自分にできること

なのか


子々孫々にも

正しいことを伝え


狂った世を

正していかねばなりません



少子化だからこそ

できる

生まれくる、わが子らに


きちんとした学び

正しい躾を施すことが

できるのは


親御さんの

日本の大和言葉

美しい言葉の先だと思います


最近

言葉を正そうという

機運があります


これ以上

日本人の中から


獣を出さないように


大人として

もっと勉強しなくてはと

思いました


頭、切り替えないと!