國學院大學より
諸神による鏡・玉の作製
(古事記学センター蔵『古事記絵伝』より)
古事記では
天の石屋の神話を
祭祀の起源として語っている。
そこでは、
祭祀に先立ち、
鹿の骨を焼き神意を占い、
鍛冶の天津麻羅を招いて
鉄製品を作り、
伊斯許理度売命に命じて
鏡を作らせ、
玉祖命に命じて
八尺の勾玉を作っている。
そして、
鏡・玉と布(白幣・青幣)を
榊に付けて捧げている。
ここからは、
鏡・玉・布、鉄製品を
祭祀に先立ち準備し、
神へと捧げる祭祀の構成が
復元できる。
これは、
五世紀代の
祭祀遺跡から推定できる
祭祀の構成と共通する。
また、鹿の肩甲骨を焼き
神意を占う
卜骨(ぼっこつ)の伝統は、
弥生時代中期
(紀元前四世紀頃)まで遡る。
天の石屋が語る
祭祀の起源神話には、
弥生時代から古墳時代にかけて
展開した祭祀の
複数の要素が組み込まれていた
可能性が高いだろう。
(國學院大學データベースより)
●祭祀
神様、先祖を
祀ること
祭祀とは
古語でいう「マツリ」の事だが、
古語でいうマツリという語の
意味について
いくつかの説がある。
まず、
社を定める、
御食御酒や幣帛といったお供え物を
神に献供するなど、
神に対して奉る(タテマツル)ことに
「祭る」の字を当てたという説
また、マツリを
ラ行四段活用し、
その未然形に継続を表す
「フ」の語尾を付けると、
物品を献上し続け服従する
という意味の
「マツラフ(服う)」となることから、
神に対して服従することを
語源とする説もある。
マツリは
動詞の「待つ」を語根とした
言葉であり、
神を饗応しその招来を待つ
という意味と取る説
祭る対象は
言うまでもなく
一般には
神であり、
目的は
より生きたいというに及ばない
実祈願から、
神の霊得を
身に受けるということである。
そうして人が充実を願った時、
人を超越した何者か
「カミ」(上)に対し
交渉を試みるということであり、
畏敬と親愛をもって祭祀が生じる。
そしてその形式は、
貴人に対する作法があるように、
人に似ている部分もあるが
それを超越した存在に対して
生じている。
鎮座の建物である社殿、
神饌(お供え)も
人間のものに近いものもあれば、
人間には住みにくい、食べにくい
といったものまである。
人間味のあるものと、
人間離れしたものがあるのである。
その姿は
目に見えざる霊体であり、
心眼をもって仰ぎ奉れば
感得することもある。
神得を仰ぐには、
商業の神に
病気療養を祈るということもあり、
その神特有の
神得以外の万神に共通した
神徳を仰ぐ場合もある
神人共食。
その後の直会(なおらい)とは、
『日本書紀』にて
嘗(な)めらいのことであり、
頂戴する意味であり、
供えられた食事は
霊気の加わったものと解され、
これを腹に納め神の霊得を身徳する。
またこれは
皆で分配するということでもあり
宴会である。
伊勢神宮では古くは、
頂戴した後に
和舞(やまとまい)といい、
身に心に霊得が満ちたので
歓喜にたえられず舞った
●祈福
神仏さまに
福が下ることを
祈り求めること
誕生日が
これにあたる
●求嗣(きゅうじ)
子孫繁栄を祈る
神仏さまに
子息を賜り後継ぎが
できますようにと
懇願する
養子縁組の契約書を書く
●齋醮(さいしょう)
孝徳を積む
陰徳を積む
浮かばれない
霊の浄化、祈願
位牌移動
平安や祈福を神仏さまに
祈り求める
道場建立と祭壇の建立
●開光
仏像製作後の開眼式
神仏を設置する日取り
神仏像完成後、開眼し、
神霊が降臨して入る儀式
供奉する
ダルマの目に黒目を入れる
●塑繪(すかい)
完成した神仏像を
神位や仏壇に
移動し安置する
●解除
掃除、除霊
一切の災厄を除く
大掃除、消毒と、
それを行う吉日
消災(厄払)
禍を解く
神仏に祈り求めて
災いを取り除く儀式
人間関係のリセット
●祭墓
お墓の手入れ
生前墓は
非常に縁起悪い
しかし、現代は
子どものいない人も多く
迷惑をかけないようにと
節税対策で
購入することも多くなりました
手入れの怠りは良くない
破土
↓
吉日を選び
墓所工事、埋葬を行う
陰宅の土いじり
●謝土
祭謝土地神
寺社、建物、建墓の
あとに
土地神さまに感謝
●持齋
戒律を守り
正しく行う
正午過ぎに
食事をしない
出家
沐浴
↓
日本の神道には、
滝や川でけがれを祓う
禊ぎや垢離がある。
神社の境内にある手水舎で行う、
手洗いや口すすぎも
禊ぎ・沐浴の一種と考えられる
俗から清へ、生から死へなど、
ある状態から別の状態への
移行を促進する
●許願
焼香する
仏の功徳を讃える
死者の弔い
●災禍回避
祈福