出雲の神より
恵比須の紙
男と女の仲は
恋だの愛だのという情よりも
お金が優先される
オークファンより
てなグッズやより
明治時代の紙幣に
恵比須さまや大黒さまが
描かれているものがあり
愛だ、恋だと言っているより
お金さまのほうが大事
だということ
今の時代もそうだよね
寂しいね〜
阿弥陀の光も
金次第
阿弥陀仏の無量光も、
金額の多少によって
光り方が違うという俗諺。
同様のことわざに
「阿弥陀の光も金ほど」
「阿弥陀の光も銭次第」
「阿弥陀も金で光る」
「阿弥陀も銭ほど光る」
などがある。
さらに
「金の光は阿弥陀ほど」
となれば、
金の持つ威力は
阿弥陀仏の
衆生済度の霊力ほどもある
というのである。
これは、阿弥陀仏の無量光に、
金銭の威光が匹敵し、
金銭の霊光という意味になる。
信仰の一端にも、
金銭の威力の
大いなる効験をひやかした
言い回しとなっている
(浄土宗大辞典より)
阿弥陀如来のご利益も
寄進した金銭によって決まる
ってことですわね
住職さんの思いひとつ
借りる時の地蔵顔
済す時の閻魔顔
お金を借りる時は
相手の機嫌を取るために
ニコニコして
いざ返すとなると
閻魔さまのような
不機嫌で
渋い顔になっている
銭がある時には
鬼をも使う
金さえあれば
どんな人でも意のままに使う
お金は人を思うままに
動かせる
地獄の沙汰も
金次第
世の中は
お金さえあれば
何でもできる
金の光は、七光り
金持ちの威光は
広く及ぶ
地位や名声のある親の
子どもは
親の威光のおかげで
利益を受ける
うらやましいね~
金が敵
金銭のために
災いを受けたり、
身を滅ぼしたりする
ということ
金銭は尋ねる敵のようで、
なかなか
手に入らないということ
金は
命の親、命の敵
金によって
命を助けられることもあれば
逆に命を落とすこともある
お金で、殺人までする
そんな世の中は嫌だ
金があれば
馬鹿も旦那
金さえ持っていれば、
馬鹿でも
旦那と持ち上げられる
ということ
それは
人柄や尊敬からではなく、
金の威光に
金に頭を下げて
お世辞を言っているのだ
ということ
これもさびしいねぇ
親子の仲でも
金銭は他人
こりゃ、当然だね
かわいい子どもでも
早く自立させて
社会に出す教育は
絶対に必要不可欠
今の若者
親が働いているからとか
年金もあるし、とか
親のカネ目当てだもんね
だから
日本は堕落したんだよ
戦後、貧乏させるのが
かわいそうだからと
高度成長期に
親がお金を与えたことに
端を発している
それが、ズルズル、今まで
恥ずかしいよ
いつまでも、親に無心するなんてさ
これも
親の教育ひとつ
「つ」のつく歳のうち、です
「稚六芸」「書数」歌川国貞 画
商人の子は
算盤の音で
目を覚ます
日々の生活習慣は習性となる
商人の子どもは
幼い時から
金銭勘定や損得に敏感になり
そろばんの音で
目が覚める
これだよね!
お金を与えているだけでは
子どもがダメになる
お金の価値などを
教えることが
とても大事な事なんだよね
2022年8月再投稿