『にゅうもん! 』 第十四回『航路』 | 高い城のCharlotteBlue

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書評家アイドル 西田藍さんの、書評を紹介してゆきます。
基本的スタンスとして、書評でとりあげている作品は読んだことがあるとしています。
ネタバレを気にする方はご注意ください。

 今月はSFマガジン2018年4月号が発売されているが、今号には西田藍さんの「にゅうもん! 西田藍の海外SF再入門」は掲載されていない。

 一応これは予想の範囲内で、西田さんがご自身のブログ「お知らせ:今後の活動につきまして」で、「執筆活動につきましては、お休みを頂きながら、少しずつ書かせていただきたいと思っております」と書かれている。西田さんが定期的に執筆されているのは、このSFマガジンか週刊新潮だ。タイミング的には週刊新潮は更新されたばかりで、次があるとしても2ヶ月後だ。だとしたら、“お休みを頂く”のはSFマガジンだろう、とは思っていた。

 ただまあ、次は『エンディミオンの覚醒』だ。ハイペリオン・シリーズの最期の作品で、記念すべき20回目ということもあって、もしかしたらここまでは、という期待があった。とはいえ、一回も休んだことがない、というのは場合によっては結構なプレッシャーになるかもしれない。西田さんの文章を愛する僕としては、適度にお休みしつつ、長く続けていただきたいな、というのが本音だ。ここらでお休みされて、もしかしたら良かったのかもしれない、と思わないでもない。※1

 何度でも言うが、僕は西田さんの文章が大好きなのだ。もっと言えば、西田さんの芸能活動が文筆活動を底上げすると思っている。だから、いくら時間がかかってもいいが、活動を継続されるなら、ファンとしてはそれを心待ちにし続けるだけだ。

 この休息だって、西田さんのプラスにならないはずがないと思っている。

 

 さて、と。

 西田さんの「にゅうもん!」で、まだ感想を書いていなかったのがある。それが、ちょうど1年前に書かれたコニー・ウィリス『航路』だ。

 ハズレのない作家というのはいる。もちろん、一生を通じてそうかどうかはわからない。僕は三島由紀夫信者だが、その三島だって凡作はある。それでも、その作家の黄金時代というのはあると思う。この脂の乗った時期にはひとつ残らず読んでおけ、というようなものだ。

 コニー・ウィリスは、現代におけるそういう作家だろうと思っている。

 ちょうど一年前の今頃、映画『ラ・ラ・ランド』を観た僕は「コニー・ウィリスの『リメイク』を読むべき」と騒いだものだ。いや、『リメイク』はウィリスの他の作品に比べると小粒だ。『ドゥームズデイ・ブック』とか『犬は勘定に入れません』とか『ブラックアウト』とかの傑作に比べると、だけど。この20年ぐらいの間に書かれたウィリスの作品群は、どれもオールタイム・ベスト級の逸品なので、選ぶ必要がないのだ。

 ただ、その中でも、この『航路』は頭ひとつ抜けている。邦訳が出た当時、界隈での熱狂を記憶している。僕も慌ててソニーマガジンズ社のハードカバーを買った。上下巻で結構いい値段がしたが、それだけの価値はあったと思う。陳腐な言葉で申し訳ないが、SF史に残るべき大傑作にリアルタイムで立ち会えた興奮があった。

 とまあ、これだけ思い入れが深いので、今まで感想を書けないでいたのだ。※2


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 単なる偶然だが、僕は西田さんがこの作品について書いている時に、西田さんの撮影会に参加するという幸運に恵まれた。その時には、SFマガジン2月号のディストピア特集についての話に終始してしまった。それはそれで、とても満足したのだが、この『航路』についても、もっと話をしておきたかった、という気持ちはある。くどいぐらい言おう。この『航路』は傑作なのだ。

 いや、僕の見解はどうでもいいか。西田さんが、どう捉えているかを論点にしよう。

 この素晴らしい作品に対して、西田さんも絶賛する。

 

改築増築、工事がひっきりなしの、迷路のようなマーシージェネラル。病院という場所柄、時代柄、ポケベルと電話が主な通信手段だというもどかしさ。すれ違いはしょっちゅう。総合病院という、忙しさの極致という場所で、目に見えない、人間の意識、思考、記憶を探るミステリ。駆け抜けたラスト、魅力的な登場人物。最高だった。最高だったのだ。

 

 この文章。確かに『航路』をよく表している。が、西田さんらしくもあり、ただなんとなく、いつもとちょっと違うな、と思わなくもない。「最高だった」を二回重ねるあたり、普段あんまりやられない手法だ。※3

 この文章の直後に、西田さんはご自身の過集中状態について書かれている。

 

私がいい感じに過集中に陥ったときの精神状態・時間感覚と、主人公がテキパキ仕事をしている様子のスピード感は似ていた。私の脳がフル回転しているときが、主人公の日常なのである。

 

 ちょっと一流アスリートの言う「ゾーン」を彷彿させる状態だが、僕はこの過集中状態は危ういと思っていて、西田さんにはあまりそうなって欲しくない。

 以前、Twitterだったか配信だったかで、ご自身も過集中状態はあまり良くないとコメントされていたと記憶しているが、これは神がかり状態で素晴らしい成果を出せる、というようなものではないと思う。

 集中というのは害がいっぱいあって、一番は視野狭窄だ。

 僕はちょっぴり弓道をかじったことがあるのだが、練習に集中している時に、ふと、的がすぐ目の前に感じられることがあった。その時はいくらでも当てられそうに思えて、野球選手のいうボールが止まって見えたというのはこれか、と喜んだものだが、不思議と矢は的をそれ、側から見ていた人によると姿勢も崩れていたらしい。これを「的にとらわれた状態」と言うのだそうだ。西田さんの過集中はこれに似ているように思う。バランスを欠く。

 

それが当たり前ではないかと思われるかもしれないが、彼らが直面し続けたような「予定通りに物事が進まない」ことが続くと、私はパニックを起こしてしまうのだ。これは、私の日々の困難に役立つ手本になるのではないか? 綱を渡って、ちゃんと向こう岸に着く。細い糸を手繰り寄せて、必要なものを手に入れる。私に必要な能力だ。

 

 この『航路』に対する文章を書かれたときが過集中状態だったかどうかはわからないが、行間からちょっとだけピリリとしたものが感じられる。なんというか、余裕のない文章だ。※4

 文章としての出来は悪くないのだけど、なんというか、読んでいてあまり楽しくない。こういう危うい雰囲気は、文芸作品ならありかもしれないが、西田さんのファンとしては、ちょっと不安になるところだ。

 初読の時は良い文章だと思ったんだけど、読み返すと何となく引っかかる。いや、惹きつける文章だと思うけどね。あんまり肯定したくないというか。西田さんには、こういう風に書いて欲しくない。

 この『航路』は力強く、理性的で勇敢な小説だ。困難に対して悲観も楽観もせず、有能な人たちができることを最大限に全うして克服する、とても美しい物語だ。ただ、だからこそ、その強さと前向きさが眩しくて辛い時もある。

 西田さんにはは不条理なものが割とお好きなようだけど、それはその不条理さにある種の救いというか、安心を感じられているからのように思う。しかし、この『航路』はそれと真逆だ。意にならないものに対して、敢然と、理知的に挑んで、ついには解決してしまう。そこが、少しばかりきついのではないか。

 僕はこの作品が好きだし、西田さんにも響いただろうと思うのだけど、もうちょっとなんというか、幸せに出会って欲しかったように思う。

 

 この時期のお仕事を振り返ってみると、2/22にwebちくまで笙野頼子の『ひょうすべの国』について書かれている。まあ、あまり状態が良くはなかったのかもしれない。※5

 繰り返すが、この回の「にゅうもん!」は良い文章だと思っている。『航路』について書かれている内容も頷けるし、その魅力を伝えていると思う。

 前半を安部公房の『密会』や、カフカの『城』になぞらえているのも、わかる。そしてそれが同じようで明らかに違う、というのも。

 

当然、本書は不条理さとは無縁だ。現実の世界を舞台にした、全くもって科学的な小説である。メッセージが届かない。行きたい場所に行けない。長い長いおしゃべり。走っても走っても会いたい人に会えない。繰り返し繰り返し描かれるモチーフ。

 

 ここでも修飾語を重ねる手法を使われているが、それが『航路』の雰囲気を良く表していると思う。前半で「最高だった」を重ねるのに、おや、と思ったんだが、それがこの辺りで腑に落ちた。

 

神が人間を作ったのではないように、私の生きる世界は誰かが計画して構築したものではないと気づいた、ある瞬間があった。それは小学生のときで、ちょっとした学校への不満が弾け、私は世界の理に気づいてしまったのだった。とてつもない不安に襲われた。

(中略)

当時はわからなかったが、自分も含め、皆の行動が、あらかじめプログラミングされていないことが、とても怖かったのだと思う。

 

 ちょっとこのへんはPKDっぽくて興味深い。西田評論研究には重要なところだが、ファンとしてはやや気がかりではある。

 考えすぎかな。いやまあ、このブログはそういう妄想を垂れ流す為に書いているんだが。

 

時間は頭の中で勝手に伸び縮みしている。脳は勝手に感覚を作り出す。記憶は事実と異なる場合がある。そして、自分にも他人にも自由意志がある。恐ろしいが、生き続けるしかない。ジョアンナは、ともに走り抜いたジョアンナは、私のことも、救った。

 

 先日の文學界2018年3月号を彷彿とさせるこの結び、どうとらえたものか。変に時期的に重なるしね。

 この「にゅうもん!」は第14回。15回はケン・リュウ『紙の動物園』で、やっぱり少しシリアスな文章を書かれているが、16回にはハインライン『宇宙の戦士』で、突き抜けた楽しげな文章になっている。

 そうだなあ、やっぱりもう少し暖かくならないと、気分も上向きにならないのかもしれないなあ。

 そんなわけで、そろそろ三月だし、春の訪れを待ちたいと思う。※6

 

 

 

 

※1 やっぱり望むべくは「にゅうもん!」の長期連載かつ書籍化だなあ。池澤春菜さんの「SFのSは、ステキのS」のように。

 

※2 というのはもちろん言い訳で、読み返すと止まらなくて、それなりに構えないとしんどいのだ、『航路』は。

 

※3 あんまりやられない手法、と言ったが、最近紹介したan・anのブックレビューでは「本当に本当に魅力的です」という表現をされている。

 

※4 この感覚も西田書評の魅力かもしれないが、そういう精神を削って書くようなものは、ちょっと心配になるので。

 

※5 webちくまのコラムはここ。僕の感想はここ

 

※6 その前にもちろん「りくべつ 冬」が楽しみだな。