5限のチャイムが完全に鳴り終わるより先に、
先生さようなら!と大きな声が響き、
引き戸が開けられ、
ランドセルや鞄を持った子供たちが、
我先にと飛び出してくる。
帰ったら◯◯の家に集合な!
賛成!新しいゲームやろうぜ!
ねぇ、ちょっとだけ一輪車して帰らない?
ごめん、今日ピアノの日だから帰らなきゃ!
子供たちの賑やかな声が、
玄関の下駄箱前に敷かれたスノコのパコパコ踏まれる音や、
靴が地面に放り出された音に混じる。
埃や、靴についた校庭の砂が辺りに舞い上がり、
玄関先から漏れてくる日差しの眩しさもあって、
視界が悪い。
しばらくすると、
まだ6限がある高学年以外は、すっかりいなくなり、
先生の声と、黒板にチョークで何かを書いている音だけが
響いてくるようになった。
階段の横で一連の喧騒をやり過ごしていた彼は、
静けさを取り戻した廊下を歩き始めた。
◼️波にさらわれて
はぁ。と、自然に息が漏れる。
期待などしていなかった。
物心ついた頃から、自分が他の子供たちとは違う、
ということは分かっていたし、
そのせいで、学校ではいつも、ひとりだった。
ただその場所に通い、
大人のつまらない話を聞き、
淡々と食事をとり、
そして帰る。
そんな日常の繰り返しは、
とんでもなく退屈だったが、
それで良い、そういうものだ、と
納得して、生きてきたのだ。
それなのに。
揺らいでしまった。
今日、都会からやってきた転校生が。
休み時間にヘッドホンをしている自分に気づき、
「何を聴いているのか」と訊ねてきたのだ。
どうせ知らないだろうと思って、
しれっと隠さずに応えたら、彼は屈託のない笑顔で、
「俺も好きなんだ!」と言ってきた。
驚いた。
まさか、自分以外にそんな小学生がいるとは
思っていなかったから。
休み時間が終わるまで、
彼は好きな歌手や音楽について
色々なことを話してくれた。
自分の意見も聞いてくれた。
身内以外の人間に、好きな音楽の話をするのは、
すこし、照れくさかったけど、不思議と、心は軽かった。
給食も一緒に食べた。
毎日同じような味付けの、
空腹を満たすだけのものだと思っていたが、今日は、
母ちゃんの作ったご飯のような味がした。
学校という退屈な世界に、彩りが芽生えた気がした。
だが。
お昼休み、週に一度の掃除当番を終えて
教室に戻ってきた頃には、彼は自分と
一切目を合わさなくなっていた。
まるで、自分と過ごした時間など
存在しなかったかのように。
教室の中の誰かが、転校生に、
「アイツは◯◯の子だから、関わると喰われるぞ」
みたいな話をしているのが聞こえて、
やっぱりか、と納得した。
全く、余計なことをしてくれた。
同級生にあれこれ言われることには慣れていた。
常に仲間外れにされていることにも慣れていた。
大人の、どこかよそよそしい態度にさえ、
慣れていたのだ。
そうしてそのまま、あと数年間を
やり過ごせると思っていたのに。
たった数時間の出来事、
転校生がとった気まぐれな行動のせいで、
心に立った細波は、どんどんと大きくなり、
ざわざわと騒ぎ立てている。
「苦しい。」
靴を履き、校舎を出ると、
そのまま建物の裏側に回った。
日陰で暗くて人気もない。
コンクリートの壁がひんやりとしていて、
身体を預けていると、すこし、
波が落ち着いてきたように感じる。
よし、大丈夫だ。
壁にもたれたまま草と砂の地面に座り、
目を閉じ、心の波を静めることに集中する。
首にかけていたオレンジ色のヘッドホンを
耳につけようとしたその時。
「お前、いつもそうやって、自分を偽ってきたのかい?」
全く聴き慣れない声がして、
再び波が大きく揺れた。
「誰なんよ…いきなり声かけて来たかと思えば。
オイラ今忙しいから、あっちに行ってくれんか?」
二度も自分のペースを乱されたのが嫌で、
じとり、と冷たい視線を送る。
ところがその視線を向けられた相手は、
怯んで立ち去るどころか、へぇ、とニヤニヤした表情で、
さらに距離を近づけて来た。
「今日はほんの偵察のつもりだったんだけど、
想像以上の拗らせ具合だね。上出来上出来。」
パチパチ、と拍手まで送られた。
なんだこのめんどくさい奴は。
煩わしくなり、目を細める。
もう関わるのはやめたほうが良さそうだ。
ただでさえ、あんなことがあった後だ、
今日はとっとと帰ろう。
帰ってお茶でも飲めば、
今日のことは、終わりにできる。
そう思って立ち上がったが、
瞬間、相手が顔を目の前まで近づけて来たため、
そのまま、壁に押し付けられる形となってしまった。
不適に笑う彼の、その顔つきが、
鏡越しで見た自分のそれに似ているのは気のせいか。
「ねぇ葉。もっと楽に生きる方法知りたくない?」
名前を呼ばれて、波が走る。
「お前なんでオイラの名前…」
「そんなことは後でいくらでも教えてやるよ。
僕の質問に答えてくれる?楽に生きる方法、知りたいだろ?」
確かに楽に生きるのは自分の理想であり、夢でもある。
だが、それをコイツが知っているとは到底思えない。
首を横に振ろうとしたその時、彼の口が開いた。
「自分の感情に、素直になることだよ。」
人間が嫌いなら、◯してしまえば良い。
「!?今なんて…」
相手から紡がれた禁忌の言葉に、
突如、世界が黒いペンキで塗りつぶされたかのような
感覚を覚える。
波は、どんどん押し寄せてくる。
「無理して自分の心を押さえつける必要はないってことさ。今のお前、見てられないよ。痛々しくて。ずっとそうやって生きていくつもりかい?」
「だってオイラはみんなとは違うから。
…仕方がないんよ。」
心の平穏を取り戻さねば、と、
かろうじて言葉を絞り出す。
だが、波の音が煩くて、自分の声が
相手に届いているのかすら、わからない。
「仕方ない、ね。アイツら、どんな教育してんだか。
よし、もう決めた。葉、僕とおいで。」
ぜんぶ棄てて、一緒に行こうよ。
「それは…」
乗ってはいけない誘いだと、
頭ではわかっている。
なのに。
その甘美な誘惑から、
彼の炎が混じったような眼差しから、
目を逸らすことができない。
「僕はお前を見捨てたりしない。
葉は、自分の気持ちに素直なままでいられるよ。」
葉は、どうしたい?
このまま、心を殺して、生きるのか。
僕と一緒に、思うままに、生きるのか。
「オイラは。」
ずっと、奥にしまっていたものが
じわじわと溢れてくる。
自分が仲間外れにされることを許さず、
誰かを犠牲にすることを厭わない。
自分の考えを持たず、
数の多い方、強い者がいる方に流される。
自分たちと異なる性質を持つ者は認めず、
「人間じゃないモノ」として扱う。
ただただ、時間や資源を食い潰す。
そんな、人間への、負の感情。
それらを自覚した瞬間、
黒い波が津波のような高さになり、
自分に襲いかかって来た。
飲み込まれて、息が、できない。
「僕はね、人間を滅ぼして、理想郷をつくる。
今はその仲間を探して、世界中を旅してるんだ。
だから一緒に行こう。」
こんなくだらない世界、壊しちゃおうぜ。
人間を、 す。
自分から生み出され、溢れそうになり。
口にしてはいけないと、
幾度となく飲み込んだ、呪いの言葉。
それらに、躊躇する必要はないのだ、
そう思った途端、波が、さーっと、
引いていくのを感じた。
視界が晴れて、目にしたのは、
対向する少年の、鮮やかな紅い髪の色。
葉は、大きく息を吸うと、
彼が差し出した手を取る。
ふっ、と笑った、その表情は、
彼と瓜二つであった。
6限のチャイムが鳴り終わる頃。
麻倉 葉は姿を消した。
所持品であった黒のランドセルと、
あるはずのない、波の跡を残して。
先生さようなら!と大きな声が響き、
引き戸が開けられ、
ランドセルや鞄を持った子供たちが、
我先にと飛び出してくる。
帰ったら◯◯の家に集合な!
賛成!新しいゲームやろうぜ!
ねぇ、ちょっとだけ一輪車して帰らない?
ごめん、今日ピアノの日だから帰らなきゃ!
子供たちの賑やかな声が、
玄関の下駄箱前に敷かれたスノコのパコパコ踏まれる音や、
靴が地面に放り出された音に混じる。
埃や、靴についた校庭の砂が辺りに舞い上がり、
玄関先から漏れてくる日差しの眩しさもあって、
視界が悪い。
しばらくすると、
まだ6限がある高学年以外は、すっかりいなくなり、
先生の声と、黒板にチョークで何かを書いている音だけが
響いてくるようになった。
階段の横で一連の喧騒をやり過ごしていた彼は、
静けさを取り戻した廊下を歩き始めた。
◼️波にさらわれて
はぁ。と、自然に息が漏れる。
期待などしていなかった。
物心ついた頃から、自分が他の子供たちとは違う、
ということは分かっていたし、
そのせいで、学校ではいつも、ひとりだった。
ただその場所に通い、
大人のつまらない話を聞き、
淡々と食事をとり、
そして帰る。
そんな日常の繰り返しは、
とんでもなく退屈だったが、
それで良い、そういうものだ、と
納得して、生きてきたのだ。
それなのに。
揺らいでしまった。
今日、都会からやってきた転校生が。
休み時間にヘッドホンをしている自分に気づき、
「何を聴いているのか」と訊ねてきたのだ。
どうせ知らないだろうと思って、
しれっと隠さずに応えたら、彼は屈託のない笑顔で、
「俺も好きなんだ!」と言ってきた。
驚いた。
まさか、自分以外にそんな小学生がいるとは
思っていなかったから。
休み時間が終わるまで、
彼は好きな歌手や音楽について
色々なことを話してくれた。
自分の意見も聞いてくれた。
身内以外の人間に、好きな音楽の話をするのは、
すこし、照れくさかったけど、不思議と、心は軽かった。
給食も一緒に食べた。
毎日同じような味付けの、
空腹を満たすだけのものだと思っていたが、今日は、
母ちゃんの作ったご飯のような味がした。
学校という退屈な世界に、彩りが芽生えた気がした。
だが。
お昼休み、週に一度の掃除当番を終えて
教室に戻ってきた頃には、彼は自分と
一切目を合わさなくなっていた。
まるで、自分と過ごした時間など
存在しなかったかのように。
教室の中の誰かが、転校生に、
「アイツは◯◯の子だから、関わると喰われるぞ」
みたいな話をしているのが聞こえて、
やっぱりか、と納得した。
全く、余計なことをしてくれた。
同級生にあれこれ言われることには慣れていた。
常に仲間外れにされていることにも慣れていた。
大人の、どこかよそよそしい態度にさえ、
慣れていたのだ。
そうしてそのまま、あと数年間を
やり過ごせると思っていたのに。
たった数時間の出来事、
転校生がとった気まぐれな行動のせいで、
心に立った細波は、どんどんと大きくなり、
ざわざわと騒ぎ立てている。
「苦しい。」
靴を履き、校舎を出ると、
そのまま建物の裏側に回った。
日陰で暗くて人気もない。
コンクリートの壁がひんやりとしていて、
身体を預けていると、すこし、
波が落ち着いてきたように感じる。
よし、大丈夫だ。
壁にもたれたまま草と砂の地面に座り、
目を閉じ、心の波を静めることに集中する。
首にかけていたオレンジ色のヘッドホンを
耳につけようとしたその時。
「お前、いつもそうやって、自分を偽ってきたのかい?」
全く聴き慣れない声がして、
再び波が大きく揺れた。
「誰なんよ…いきなり声かけて来たかと思えば。
オイラ今忙しいから、あっちに行ってくれんか?」
二度も自分のペースを乱されたのが嫌で、
じとり、と冷たい視線を送る。
ところがその視線を向けられた相手は、
怯んで立ち去るどころか、へぇ、とニヤニヤした表情で、
さらに距離を近づけて来た。
「今日はほんの偵察のつもりだったんだけど、
想像以上の拗らせ具合だね。上出来上出来。」
パチパチ、と拍手まで送られた。
なんだこのめんどくさい奴は。
煩わしくなり、目を細める。
もう関わるのはやめたほうが良さそうだ。
ただでさえ、あんなことがあった後だ、
今日はとっとと帰ろう。
帰ってお茶でも飲めば、
今日のことは、終わりにできる。
そう思って立ち上がったが、
瞬間、相手が顔を目の前まで近づけて来たため、
そのまま、壁に押し付けられる形となってしまった。
不適に笑う彼の、その顔つきが、
鏡越しで見た自分のそれに似ているのは気のせいか。
「ねぇ葉。もっと楽に生きる方法知りたくない?」
名前を呼ばれて、波が走る。
「お前なんでオイラの名前…」
「そんなことは後でいくらでも教えてやるよ。
僕の質問に答えてくれる?楽に生きる方法、知りたいだろ?」
確かに楽に生きるのは自分の理想であり、夢でもある。
だが、それをコイツが知っているとは到底思えない。
首を横に振ろうとしたその時、彼の口が開いた。
「自分の感情に、素直になることだよ。」
人間が嫌いなら、◯してしまえば良い。
「!?今なんて…」
相手から紡がれた禁忌の言葉に、
突如、世界が黒いペンキで塗りつぶされたかのような
感覚を覚える。
波は、どんどん押し寄せてくる。
「無理して自分の心を押さえつける必要はないってことさ。今のお前、見てられないよ。痛々しくて。ずっとそうやって生きていくつもりかい?」
「だってオイラはみんなとは違うから。
…仕方がないんよ。」
心の平穏を取り戻さねば、と、
かろうじて言葉を絞り出す。
だが、波の音が煩くて、自分の声が
相手に届いているのかすら、わからない。
「仕方ない、ね。アイツら、どんな教育してんだか。
よし、もう決めた。葉、僕とおいで。」
ぜんぶ棄てて、一緒に行こうよ。
「それは…」
乗ってはいけない誘いだと、
頭ではわかっている。
なのに。
その甘美な誘惑から、
彼の炎が混じったような眼差しから、
目を逸らすことができない。
「僕はお前を見捨てたりしない。
葉は、自分の気持ちに素直なままでいられるよ。」
葉は、どうしたい?
このまま、心を殺して、生きるのか。
僕と一緒に、思うままに、生きるのか。
「オイラは。」
ずっと、奥にしまっていたものが
じわじわと溢れてくる。
自分が仲間外れにされることを許さず、
誰かを犠牲にすることを厭わない。
自分の考えを持たず、
数の多い方、強い者がいる方に流される。
自分たちと異なる性質を持つ者は認めず、
「人間じゃないモノ」として扱う。
ただただ、時間や資源を食い潰す。
そんな、人間への、負の感情。
それらを自覚した瞬間、
黒い波が津波のような高さになり、
自分に襲いかかって来た。
飲み込まれて、息が、できない。
「僕はね、人間を滅ぼして、理想郷をつくる。
今はその仲間を探して、世界中を旅してるんだ。
だから一緒に行こう。」
こんなくだらない世界、壊しちゃおうぜ。
人間を、 す。
自分から生み出され、溢れそうになり。
口にしてはいけないと、
幾度となく飲み込んだ、呪いの言葉。
それらに、躊躇する必要はないのだ、
そう思った途端、波が、さーっと、
引いていくのを感じた。
視界が晴れて、目にしたのは、
対向する少年の、鮮やかな紅い髪の色。
葉は、大きく息を吸うと、
彼が差し出した手を取る。
ふっ、と笑った、その表情は、
彼と瓜二つであった。
6限のチャイムが鳴り終わる頃。
麻倉 葉は姿を消した。
所持品であった黒のランドセルと、
あるはずのない、波の跡を残して。