谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』を読んで



この本は大正時代に発表された谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』と『魔術師』がおさめられています。発表当時の水島爾保布の妖艶な装画が美しいです。

私は本は表紙と挿絵で選ぶことも多いです。1978年にかかれたこの本のあとがきには装画が古風で鋭さが足りないとかかれていますが、私は水島爾保布の装画は大胆で現代アートっぽくて好きです。実際の評価はどうなのでしょうか?


愛親覚羅の王朝が栄え輝いていた時代に中国の大都南京に、美貌と才知、由緒ある家門と金銀財宝をを山と持った貴公子がいました。珍しいもの美しいもの美人に美食、全てに飽き飽きして生きている喜びもない、自分のうら若さも衰えるようで気が塞ぎ、阿片を吸ってはむなしく日を過ごしていました。

商人に何でもよいから自分がときめくものをと注文しても目新しいものなどなにもない。ところが或る日ヨーロッパから来た商人が連れてきた美しい人魚が全てを変えてしまうのです。


谷崎潤一郎の作品にある美に身を投げ出す人物はこの作品では中国の皮肉屋な貴公子なのですが、彼の美の基準はアジアの美ではなくて西洋の美であってヨーロッパに行ってヨーロッパ人の賤民になりたいとさえ考えます。劣等感からくるこの美の基準は正直に苦手です。韓国系のアイドルや日本人アスリートが活躍しているのを見て、アジア系のかっこよさを日々確認する機会が増えているからでしょうか。

私にとって一番の谷崎潤一郎の美の下僕が出てくる作品は、当たり前すぎて恥ずかしいのですが春琴抄です。まじりっけのない崇拝ぶりが美しくて十代の頃に読んで素直に感動しました。

もしかしたら谷崎潤一郎は劣等感やヨーロッパの人にたいする羨望込みの美の下僕になりたいというのが素直な気持ちだったのかなと想像しました。

それにしても既に研究対象になっているような文豪の作品の感想をかくのは難しいですね。

それはぜんぜん違いますよなんてことがありそうです。