2024年6月7日
国立映画アーカイブ 日本映画と音楽 1950年代から1960年代の作曲家たち
この日の映画は 心中天網島
もちろんこの映画がお目当てでこの日に出かけた。
1969年の映画である。公開当時中学1年生の私でも話題になったことは覚えている。
一世を風靡したATG アートシアターギルドの製作。
キネマ旬報ベスト・テンの第1位のほか同年の映画賞総なめだったとか。
これはねぇ、私の嫌いな芸術映画だ。
映画冒頭、キャスト、スタッフ紹介のバックに流れる、篠田監督とおそらく製作側の人物との電話の会話がいかにも思わせぶりで、本編いかに、と心配していたら案の定だ。
出だし数分間の出演者たちの気持ち悪い上方弁。岩下志麻だけはかろうじてこなしていたが、それでもところどころ妙なイントネーション。そもそもうまく喋れないなら、舞台を江戸に換えてはどうか。それくらいは許してあげるよ。
しかも近松門左衛門の浄瑠璃を映画化したからといって、黒子を登場させているのはいったいどういう演出上の魂胆なのか理解しがたい。黒子らしい動きをする場面はほとんどなく、ただそこにいるだけという風情。かと思えば黒子の頭(かしら)をクローズアップで映すといった中途半端な演出もあり、わけがわからない。
俳優の演技も大げさで、舞台劇を見ているかのようだ。いっそ音楽も文楽の音曲を使えばよかったのに。
この国立映画アーカイブのイベントは頭書の通り『日本映画と音楽』がテーマで、今回は1950年代から1960年代の作曲家たちにスポットを当てている。この『心中天網島』の音楽は、篠田正弘監督が武満徹に依頼したもので、脚本段階から携わっている。
そもそも武満音楽が目当てでこの映画を鑑賞しようと思い立ったのだ。本人は自身の映画音楽の中で最も気に入っている作品と発言している由。黒澤の「羅生門」の早坂文雄のようなうるささやオリジナリティのなさとも無縁で、この作品を支えている大きな要素となっている。
困った映画だった。終了後出ていく観客もみな同じ表情だった。終わった瞬間ため息が聞こえたような。
【キャスト】
・紙屋治兵衛:中村吉右衛門
・おさん / 小春:岩下志麻(二役)
・叔母:河原崎しず江
・お杉:左時枝
・河庄の女将:日高澄子
・孫右衛門:滝田裕介
・太兵衛:小松方正
・三五郎:赤塚真人
・お玉:上原運子
・黒子たち / 遊女たち:天井桟敷
・五左衛門:加藤嘉
・伝兵衛:藤原釜足
・黒子の頭:浜村純
【スタッフ】
・監督:篠田正浩
・製作:中島正幸、篠田正浩
・原作:近松門左衛門
・脚色:富岡多恵子、武満徹、篠田正浩
・音楽:武満徹
・撮影監督:成島東一郎
・美術:粟津潔
・録音:西崎英雄
・助監督:小栗康平
エンドロールに「篠田桃紅」が美術であったか、作画であったか、その名前が表示された。ちなみに桃紅は、篠田監督の従姉である。
白黒映画で華やかさに欠けていたが、独特の背景や装置には見るべきものがあり、これぞ篠田桃紅と感じ入ったことである。
だがなぜ、モノクロで撮ったのか。これがカラー映画であれば印象は全く違うものになったはずだ。白黒にこだわった理由はなんなのか。
結局、篠田夫人である岩下志麻の熱演以外に何も見るべきものがないフィルムだと断言できる。
(ここからは一般論です。隠居のひとり言)
映画監督っておもしろい職業だ。何年かに1本しか一般公開に耐える作品を生み出せないのに「映画監督」を名乗っている厚顔。いったいどうやって食っていたのやら。
大島渚や吉田喜重や、この篠田正弘とか、日本ヌーベルヴァーグなどと僭称して得意になっていたが、しょせん有名女優のヒモだった(個人の感想です)。
プロスポーツで、ヘタな選手は生きていけない。売れない芸術作品て芸術の名に値するのか。売れない小説家はプロの小説家ではない。売れない画家はプロの画家ではない。
(ひとり言終わり)
展示スペースでは上映テーマとコラボして、貴重な資料の数々を展示している。
芥川也寸志、黛敏郎、團伊玖磨。かっこいいですね。
さる映画評論家が、よかったと思える作品は5本に1本ぐらいだと。私はそこまでいかないが、でもせいぜい半分くらいかな。見にいきたいと思って出かけるわけだから、この成績はすごいね。
TVドラマや漫画に原作をたよる理由がよくわかる。