2024年4月25日
”マンティコアー怪物ー”
ん〜、これは微妙。評価に困る。”ドライブ・マイ・カー” とか ”Perfect Days” を見た時の感想に近い。つまり、何が言いたいの、ということ。
どこにも話の盛り上がりがないし、オチはないし、ただただ退屈だった。
是枝監督の『怪物』がカンヌ国際映画祭でクィア・パルム賞を受賞したことから、逆にこの映画のクィア性は誰のどの要素なのかという問いかけがなされ、最近議論になっているらしい。是枝監督自身は、「LGBTQに特化した作品ではない」と発言しており、作品に対する解釈が監督が意図したのとは違う方向に向かっているのではないかという印象を受けた。ただ、特化していないというわりに、タイトルを「怪物」としたのはどういう意味合いか。世間が「怪物」と見たとしても、それは性的マイノリティに対する先入観あるいは決めつけであって、多様性の受容の観点からは見逃せない思考である。その思考こそが「怪物」の名にふさわしいと言いたいのだとしたら、結局LGBTQを主題にしてしまっていることになりませんか。
すみません、私この映画見たけど、どこが作品として優れているのかよくわからなかった。個々の俳優の演技はみどころがありましたけどね。
映画 怪物 | 小人閑居して不平を鳴らす (ameblo.jp)
さて話は戻って、この “マンティコア” は原題が “Manticore” で日本人が知るもので一番イメージに近いのはスフィンクスだろう。単純に「怪物」と訳すのは、是枝作品に便乗しようとしているのではないかとは穿った見方だろうか。
ものすごく乱暴にストーリーをまとめると、主人公のフリアンはオンラインゲームの「怪物」を生み出すデザイナーであるところ、ふとしたきっかけで彼自身が「怪物」になっていく、というところかな。いや、そうではない、彼が「怪物」であるとして、自分たちのテリトリーから排除しようとする、人間の感情や行動が実は本当の「怪物」なのだ・・てか。
フリアンがここで「怪物」として排除される理由は、小児性愛だと判断される。彼は具体的に行動を起こしたわけではない。会社のPCを使って、注文を受けていない、少年のキャラクターデザインを試みただけだ。
映画中でも彼が「誰も傷つけてない」と悲痛な声を上げる。しかし恋人のディアナでさえ「吐き気がする」と言って忌避する。傷ついた彼は、かつて住んでいたアパートの隣人の部屋を訪ね、ピアノをひく少年(キャラクターのモデルだった)を薬で眠らせた後、その部屋の窓から身を投げる。脊椎を損傷して寝たきりの身となった彼を、ディアナが介護する。介護の相手が父からフリアンに代わったことで、ディアナの日常が取り戻されたのだ。
いくらなんでも、小児性愛”的”なフリアンを擁護するつもりはないでしょうね。多様性の尊重もそこまでいくと誰からも受け入れられない。それとも”的”にとどまっている限り許容されるという趣旨なのか。あくまで彼の個人的嗜好にとどまっている限りにおいて、他人を傷つけていないという理屈はたつ。ところがディアナがそれを目にする機会があって、不快感を生じたことは、すでに人を傷つけたということになる。
ではしかし、ディアナがどうやって、その「吐き気がする」という少年キャラクターのデザインを目にしたのかよくわからない。ネットに出回ったということなんでしょうか。
フリアンが会社から解雇されたかどうかは判然としない。ただし、コンプライアンスの観点から会社のPCを使用して作成したデータを移した外部媒体および、自己所有のPCを押収されたことは明白だ。
そこで会社が外部に情報をもらしたということならば、よほど罪は重いということになりませんかね。
その辺が微妙に整合性がとれていないような気がする。
映画 “PERFECT DAYS” | 小人閑居して不平を鳴らす (ameblo.jp)
映画 ドライブ・マイ・カー | 小人閑居して不平を鳴らす (ameblo.jp)
ひとつよかったのは、この映画も劇中音楽をのぞいてエンドロールまでいっさい背景音楽がなかったことだ。「落下の解剖学」もそうだったかな。騒がしい映画は嫌いなので、こういうのは好き。
【キャスト】
フリアン;ナチョ・サンチェス
ディア;ナゾーイ・ステイン
クリスチャン;アルバロ・サンス・ロドリゲス
サンドラ;アイツィべル・ガルメンディア
【スタッフ】
監督・脚本;カルロス・ベルムト
製作;ペドロ・エルナンデス・サントス アレックス・ラフエンテ アマデオ・エルナンデス・ブエノ
撮影;アラナ・メヒーア・ゴンサレス
美術;ライア・アテカ
編集;エンマ・トゥセル
2022年 スペイン・エストニア合作 116分