2023年11月23日
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
第75回ティアラこうとう定期演奏会
東京シティフィルハーモニック管弦楽団
指揮 松本宗利音
ギター 朴葵姫
(ティアラこうとう大ホール)
【プログラム】
◆グリンカ:スペイン序曲第1番「ホタ・アラゴネーサの主題による華麗なるカプリース」
◆ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
ソリスト アンコール
フランシスコ・タレガ:アルハンブラの思い出
◆ドヴォルザーク:序曲三部作「自然と人生と愛」 作品91~93
序曲「自然の中で」作品91
序曲「謝肉祭」作品92
序曲「オセロ」作品93
一番最初の曲はちょっと・・。佐村河内の曲みたい、って言ったら炎上か。
朴さんのギターは聴き惚れた。アランフェス協奏曲は、クラシック永遠の初心者の私ですら全編耳に馴染みがあるくらいの曲である。
アンコールのアフハンブラの思い出はこれぞギター曲という名曲で、こうやってコンサートホールで聴くことは初めてであったので、さらに琴線を刺激されること夥しかったのでありますね。
ただ、ギターという楽器は致命的に音が弱い。間違っていたら申し訳ないが、ギターの前にはマイクロフォンが設えられ、指揮台の前に小型のスピーカが用意されていた。
素人の暴言を承知で言えば、ギターはオーケストラとの協演には向いていない。それを大ホールの満員の客を惹きつけてそらさないというのはまことに見事と言うよりない。
後半ドヴォジャーク(*)の序曲三部作。これは一つのまとまった作品なのだろうか。それぞれに作品番号が与えられている。
ドヴォジャークといえば、スメタナと並ぶチェコの国民的音楽家である。私はチェコに6年間住んでいて、コンサートに何度も出かけたが、この三部作が演奏されるのを聴いた記憶がない。
(*)日本での表記はドヴォルザークあるいはドヴォルジャークが一般的であるが、カタカナで表記するのは限界があるとしても、”ドヴォジャーク”の方が現地発音に近いと信じる。
ドヴォジャーク自身はそもそも『三部作 自然と人生と愛』として発表し、初演もプラハのルドルフィヌムで3作一括で自らの指揮で行っている(モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』もここで初演された)。ところが、1曲ずつ作品番号を振り、標題をつけて単独で出版した方が売りやすいという出版商の都合で今の形になったそうだ。
さて、一曲目が終わった後にぱらぱらと拍手が起きた。指揮者の松本さんはいっさい反応せず、次の曲の準備の態勢である。
二曲目が終わると、さっきより大きな拍手が起きた。これは曲想がいかにも盛り上がったところでフィナーレを迎え、盛大に終わったために自然発生的に起きたものだと感じた。松本さんは今度は客席を少し振り返り、なんとも言えない微笑を浮かべたのだ。松本さんが振り返ったことでさらに拍手が大きくなった。
楽章毎に拍手などするとマエストロによっては、厳しい表情で首を振ったり、優しく手で諫めたりさまざまだ。今日の松本さんは、「ん~拍手するところではないけど・・嫌じゃない」という気持ちを示したのだと理解しましたよ。
ま~全般に高揚感はやや欠けていたましたかね。指揮の松本さんは端正で誠実な指揮と感じた。長身で手足が長く、しゅっとした容貌と相俟って、スター性はあるんじゃなかろうか。しかし、その端正さは逆に言うとアクの強さに欠けるという印象だ。その指揮は当然オケに反映され、まじめできちんとした演奏で、はじけるところが少ない。
個々の技量を論評する力は私にはないのでスルーさせてもらう。ただ、木管の女性たちには感嘆した。イングリッシュホルン、オーボエ、フルート、ファゴット、見事でした。しかも、これも永遠の初心者だから言わせてもらうが、東京シティフィルは容姿も資格要件にしているのかと思うほどだったんだよ。
いやいやヴァイオリンにも美しい方はいらっしゃいました。演奏も金管、特にホルンはすばらしかった。楽団員のみなさんも充実感はあったようで、演奏終了後に晴れやかな顔で握手を交わす景色が印象的でありました。
チケットを手配したのは2日前。それでも前から12列目の左から2つ目の席がとれた。キャンセルがあったのだろうか。月曜日に6回目のコロナワクチンを接種。当然その予定はかなり前から入っているから、副反応でも出るとまずいな、と思ってワクチン注射から数日は何も予定を入れてなかった(前回けっこう発熱したもので)。
今回は副反応ゼロ。当日はおとなしくしていたが、翌日は映画、次は落語会、そして今日はコンサートとフル活動。明日も明後日もお出かけしますよ~。
徘徊老人の元気な毎日でした。