チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 イ長調 op.33
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲《展覧会の絵》
最初の音がコンサートホールに広がった瞬間、改めてサントリーホールの音響の素晴らしさに感心した。この日の席は2階後方左手で、必ずしもよい席ではなかったにもかかわらず、完璧な音のバランスと柔らかな響きに感動した。いやいやそれは日本フィルハーモニー交響楽団の技量と小林研一郎マエストロの情熱の見事な調和であったに違いない。この日の曲はいずれも耳に親しい曲であったこともよかった。現代音楽で聞くのに緊張を強いられる場合はこうはいかない。時代を超えて受け継がれていくマスターピースにはやはりそれだけの力があるのだと改めて感じ入った次第。
そして2曲目はタイトルはともかくチェロ協奏曲と言ってよい。堤さんは今年80歳になるが、時にからだを大きく傾ける情熱的な演奏は、力強いと言ってもよいくらいであった。円熟の演奏に聞き惚れた。アンコールはチェロのソロの正に定番の、バッハ “無伴奏チェロ組曲第一番 第一曲” で、その優雅で上品な響きで会場を包み込むのであった。ここまでですでに感動でいっぱいの状態。
最後はムソルグスキーの“組曲 展覧会の絵”。それこそ小学校から音楽の時間で慣れ親しんだ旋律で、からだに沁みとおるようであった。トランペットソロで始まる主題はその後全曲中に何度もくり返され、そのたびに胸震える心地がするのであった。
「炎のマエストロ」小林健一郎さんを拝聴するのは何度目だろうか。2002年に東洋人として初めて「プラハの春」音楽祭のオープニングを指揮するなどチェコと縁が深く、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団客演常任指揮者も務めていた。私がチェコにいた2010年~2015年も、チェコフィルとのベートーヴェン・チクルス プロジェクト(ベートーヴェンの全交響曲をライブレコーディングする)のために毎年チェコに見えており、何度もその演奏を聴かせていただいた。言葉が適当かどうかわからないが、「外連味」あふれる指揮というイメージを持っていたところ、このサントリ-ホールでは意外に(?)オーソドックスな印象を受けた。いや、しかし奏でる音楽は重厚にして典雅。まことにありがたいコンサートでありました。1940年4月9日のお生まれだから間もなく83歳になられる。まだまだお元気でご活躍されるようお祈り申し上げます。
(この日の私の席からの眺め)
(演奏終了後の写真は解禁でした)
ところで今回の曲目はロシアづくしである。ウクライナ侵攻に抗議する趣旨で、一時ロシア絡みの作品にまで拒否感情を表明する向きもあったが、最近はさすがに聞かない。ただ、スポーツの国際大会からロシア(およびベラルーシ)の選手は締め出されている。音楽の世界でも、プーチン大統領の長年の友人である指揮者のワレリー・ゲルギエフ氏は、プーチン大統領非難の要請に対して沈黙したことを契機に、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団から解雇されたのを初めとして、音楽監督辞任、アカデミーからの追放等の憂き目に会っている。
これはいかになんでもやりすぎではないのか。ロシアの国家意思の具体的発動としてのウクライナ侵攻およびそれを指導するロシア政府の首脳を非難することと、個人の思想、政治信条とは別の話だと考えるのだが、どうもそれは世間一般の認識とは違うようだ。私自身が袋叩きに会う可能性があるのでこれ以上は差し控える(といってもこのBlogを読んでいる人は全国に10人ちょっといるかどうかなので杞憂でしょうけどね)。
おまけとして、ムソルグスキーの“展覧会の絵”の最終曲は、従来“キエフの大門”と呼びならわされていたところ、今般のウクライナ侵攻に伴い、“キーウの大門”と呼び変えるのかという議論がネットを賑わせたことがあった。この日のプログラムには変わらず“キエフの大門”と表記されており、これがたぶん現状の音楽界での取り扱いなのだろう。知らんけど。