「ん」(山口謡司)新潮新書 2010年2月

 

 

 この方大東文化大学文学部の准教授(刊行当時)だそうである。もちろん日本語学の専門家である・・はず。それにしては浅慮な印象がぬぐえない・・ってごめんなさい素人がえらそうに。

 

 まず第一章冒頭に「日本語には『ん』ではじまる言葉がない」ときた。これは『現代日本語では』と言うべきだろう。長唄の教本に「梅」は「んめ」と発音する旨書いてある。したがって「白梅」は「しらんめ」となる。長唄が成立したのは江戸時代だろうから、少なくとも江戸時代までは「ん」が語頭に来る言葉はあったと言える。

 市川房江と並ぶ婦人運動家に奥むめおという方がいた。1997年没だから割合最近の人である。本名は梅尾、読みはカナ表記と同じむめおである。これは「ん」で始まるのは具合が悪いから、むめおと表記したのであって、そもそも漢字が「梅尾」であるのだから本来は「んめお」であるのは明らかだ。古語辞典では、「 むめ【梅】(古くは mme と発音したのを「ムメ」と表記したものか)」と記すものがある。

 現代の日本人が「むめ」と書いてあるのを見ると、その発音は【mume】に近くなるはずだから、「梅」とはかなり遠くなる。かといって、本来の梅尾と書けば【umeo】と読まれてしまい、ご本人思うところの名前とは違って聞こえるから「むめお」で落ち着いた、というあたりだろうか。

 第一章に先立つ「はじめに」の部分では、東京メトロの日本橋の看板に“Nihombashi”とあるのを見て、いつから日本人は「日本」を「にほむ」と読むようになってしまったのだろうかと、著者は疑問を呈している。もちろん読者の気をひくために、こういう奇をてらう書き方をしたのであって、後段できちんとその説明をしている。つまり、「ん」音の直後にm,b,pが来る場合は「ん」のローマ字表記はnではなくmになるという原則である。ただし、これはヘボン式の変換によるものであって、内閣訓令方式ではあくまでNihonbasi(Nihonbashiも可)である。

 話は若干それるが、メトロだけでなく、JRでもこの方式、すなわち新橋⇒Shimbashi を採用している。旧国鉄、つまり国の機関が内閣訓令式を採用してこなかったのは不思議なことでありますね。

 さらに言えば、新橋はShinとHashiが連続することでHashiがBashiと濁音になった(連濁)わけで(日本橋も同じ)、最初から「ん」音の後がb音であったわけではない。であればあくまでShin-bashiと綴るのが日本語の正しい表記であると私は思うのだが。実際の発音がm音になるのはまた別の話である。

 もうひとつ、関西人は必ずしも後の音韻に引っ張られてn音がm音になったり、あるいは鼻濁音になったり(後ろの音がk音、g音の場合)するとは限らないと、個人的には受け止めている。関西弁は、一つ一つの音がはっきり発音される傾向が強く、それがアクセントやイントネーション以上に東京方言との違いを際立たせている要素である。東京弁の通常の会話では、です、ますの語尾のsuは母音が落ちてsだけになることがほとんどだろう。

 というわけで、この著者に限らず、日本語の音韻論では東京偏重の論理がまかり通っているように思えてならない。

 

 なお、現代語でも「ん」で始まる言葉は近年急速に増加している。そう、外国の固有名詞である。特にアフリカ語系では「ん」音で始まる言葉は珍しくない。昔はガーナ共和国初代大統領をエンクルマと表記したが、これは英語表記ではNkrumahである。カメルーンのサッカー選手エムボバはMbomaで本来ムボバであるが、フランスで誤ってM’bobaと書かれたためにエムボバと呼ばれるようになった。今ならいずれもンクルマ、ンボバと表記されるところだろう。アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロは、キリマがスワヒリ語で「山」、ンジャロがチャガ語で「白さ」という意味で、全体で白く輝く峰という意味になるというのが通説である由。あえて言うならキリマ・ンジャロである。

 1979年に世界遺産に登録されたのがタンザニアのンゴロンゴロ保全地域であるが、日本が世界遺産条約の受諾を閣議決定したのが1992年の6月、翌年12月に法隆寺、姫路城が日本初の世界遺産として登録された。このころから「ん」で始まる言葉がそのまま日本語で表記されるようになったのではないかと推測している。