おばあちゃんが亡くなってから数週間の間に読んだグリーフケアの本の一部を紹介します。
悲しくて悲しくて…
そして図書館にもうこれからは行けるんだと思うだけでもおばあちゃんがいないからと悲しくて。
ワードで書いたのを載せますので体裁悪いままですが。

身近な人を見送ったあなたにいちばん大切なこと
柴田典子 PHP研究所 isbn9784569835259 2017/4/19第一版第1刷発行
死亡直後に読みました。心にストンと落ちてきて心が軽くなる本でした。文字も大きめで読みやすくとっつきやすい感じだったのでこれは父母にも読んでもらいました。
見送ってから間もないあなたへっていうメッセージが最初、まさに私でした。誰もが悔恨を感じるし、こうしてあげればよかったと思うのは自然なこと、なんだ他の人もそうなのかと思いました。「身体の傷が自然に治っていくように、心にも自然治癒の力があります。人の心には強さが備わっています。」「大切な人を忘れてしまうことへの不安を感じることはありません。忘れることはあり得ないからです。」心強いメッセージでした。
ただ乗り越えるという表現より私は悲しみを見つめながらも悲しみを包んで共に歩んでいく感じかなと思います。「「話す」ことで悲しみを外に「放つ」」これがなかなかできない、ただ私にとってグリーフケアになることだと思うのでのでブログを利用させてもらいます。また、最後の悲嘆の中にいる人にあなたができることも参考になりました。

家族を亡くしたあなたに 死別の悲しみを癒すアドバイスブック
キャサリン・サンダーズ ちくま文庫 2012/9/10(2000/3筑摩書房刊行)
なんか違う。。。違和感が何かある。。。
文庫本サイズで文字も小さかったです。文庫本サイズはあまり読まないので辛かった…
図書館で借りた本は印を付けて消しゴムで消した跡が散見され気になる…課題図書で指定されているのかもしれません、借りている間に次の予約が入りましたから。
翻訳本、違う文化を感じる本でした。もちろん共通点はありますが。
「社会はわかってくれない老親との死別後の悲しみ」の中の「葬式が終わると、何事もなかったかのように私たちがもとの状態に戻ることを社会は期待しています。」そうなんですよね。社会人モードで普通に接して、家に帰って一人になれるお風呂で泣いて。でも会社ではなにも触れないでくれるからこそ普通でいられます。心許している数名の方限定でお悔みを言われたりその話になっちゃうと泣きそうになります。
愛する人に死なれたたくさんの人たちの悲しみのストーリー、そして悲しみの乗り越えた転機が載っています。
キリスト教の文化のもとで別れの儀式がないとあるが、日本の仏教の場合は、葬儀の後、いろんな法要があります。初月忌、四十九日法要や納骨式、一周忌、十三回忌や三十三回忌、(私の場合は四七日、五七日、六七日と細かいのも意識)まである日本においては、別れの儀式の役割が結構整っていると思います。百箇日の卒哭忌に私は何を思うのだろう。。。

遺族外来―大切な人を失っても
大西秀樹 河出書房新社 2017.6.30初版発行
題名だけだと思ったら遺族を対象にした遺族外来なるものが実在している。そこで繰り広げられるいろんなお話。大往生という言葉、遺族でも言われて慰めとして受け止められ嬉しくも思う人がいる一方、私は違う派。わかっているけどだからもう亡くなってもいいでしょって言っているようで辛いです。おばあちゃんの場合は老衰だし、看取れたし、幸せだったんだからいいと言われればそうだけど、だから喪失感が軽いってわけではなく、一緒に手をつないで寝て一緒に過ごしていた私にはだからといって、この悲しさからは逃れられない。
故人の存在、声を聴いたり姿が見えたりはあるらしい。これを知ったのは死の前だから大丈夫寂しくないってほんのちょっぴりだけど気持ちが楽になったのでした。この本でも死別後に認められる“遺族的な現象“と書いてありました。おじいちゃんの時もそうでした、そしておじいちゃんは時々見守りに来てくれている気がするから。

母ロス 悲しみからどう立ち直るか
榎本博明 幻冬舎新書 2017/1/30第一刷
この本は母や大切な人が亡くなりそうなとき、亡くなるであろうと思ったときに先に読んだらなおさら良かったかも。再読の可能性ありの読んだ意味があった本。
私にとって母ではないんですが、父や母にとって去年と今年で二人とも母を亡くしたことになるので読んでみました。亡くなった母との関係性で喪失の反応などが変わる説明はこの本ならではの特徴だと思う。ただ喪失については予想通り私にも参考になった。この本にも亡くなった故人の存在を感じていたというものが載っていた。(悲しみを抱きしめてにも…後述)ニーメイヤーは死は愛情表現に終止符を打つのでなく愛情関係を別の形へと変化させるものとみなすべきってのはいいなぁと思います。いや、終止符を打って、はいもう終わり、忘れるし関係ないしなんて、私はしませんけどが、ある程度は人によるのかもしれませんが。
故人のことを思い出すと心が乱れるのはまだ死を心の中で消化しきれていないが、温かい気持ちになったら死の現実を消化できるようになったことになるらしい。
この本で小此木さんという方が何回か登場していました。
予期悲嘆について、この本ではリンデマンという人の名前が挙がっていて、著者も予期悲嘆は「いざというときの衝撃を和らげ、悲嘆反応の悪化防止につながると期待できる。」その通りだと思います。
ビデオを撮っておくといいといわれても…もう亡くなってしまいました。2日前の起きている目を覚ましてしっかりと私を見てくれている映像だけはあります。でももっと元気だったころにスマホがあれば!残念。でもブログに昔のおばあちゃんがいるんです。ここにいるんです、ブログをしていてよかったと心から思いました。

悲しみを抱きしめてグリーフケアおことわり
吉田利康 日本評論社 2013/7/15第一版第1刷発行
家族を亡くしたあなたに 死別の悲しみを癒すアドバイスブックを読んだときに感じたなんとも言えない違和感、日本仏教とキリスト教の死の捉え方からかと感じた違和感。
その違和感をほぐして紐解いてくれた本でした。ことば・歴史・時間の観念・ALSの方の手記・証言・ことばに戻っての多角的方面から説明されています。
本の中に小川未明の月とあざらしの童話は初めて知ったもので印象的でした。
先日なぜ日本にというTV番組で樹海を訪れた外人さんが日本の死の捉え方について話していたけれど、引きずるとかいうのかもしれないけれど、日本の文化の中での死者に対する考え方素敵だなと思います、柳田邦男氏にとって死とは「ふすまを開けて隣の部屋に行くようなもの」と答えたそうですが、日本的なのだと。

悲しみを支える本 死別で遺された人を癒すために、あなたができること
河合千恵子佐々木正宏 学習研究社 2007.2.13初版発行
とくに配偶者を亡くした方向けだと思う。少し落ち着いてきたときに偶然手に取ったのが良いタイミングであった。
ここで予期悲嘆について、「現実に死に直面した時には悲嘆反応が少なかったり、あるいは悲嘆反応が起こらないと考えられています。予期悲嘆が作用する場合は、死別前の方が辛い時期となります。(P27)」いや、死別前の方が辛いとは思わない、ただ予期悲嘆の作用によって、確実に心の準備ができ軽くなっていたと私は思う。聞いてくれる・傾聴してくれる人がいるといいと思うが、実際に身近な人を亡くした人であることがいいと思う、体験してみないと分からないけれど喪失感は千差万別、友達は気を遣う、難しい。葬儀の役割として生者のために行う儀式でもあるとあり、反対にむしろそっちがメインなんだと思います、葬儀はグリーフケアの一つだと思う。でも忙しくてそう作用しないこともあるけれど。
この本にも亡くなった人を感じる記載があった楽しみだ。「イギリスの精神科医のパークスは、亡くなった人が見えたりするのは、「あるものを選んで他の物を無視する知覚のセットの原理から説明し、亡くした人の像を心の中に持ち歩いているので、それが適合する感じを受けた時に認識されやすい」と指摘しています。このような現象は、精神病者に現れる幻視や幻聴と似てはいますが、それらとは全く異なります。亡くなった人を見るという体験をすることでむしろ安らぎを覚えているようです。」(P206)あと身近な方を亡くされた方に対する同情が足りなかったことに気づきました。喪中はがきが来たから年賀は出さないかというだけだった、今は違う。悲しみを受けている方なのだと、多かれ少なかれ。