電車内暴行事件をめぐって色々な意見がある。例えば、宮本一馬のような人間には近寄らず駅員などに言う方が安全だという声。そして、もうひとつはその高校生の周りにいた人間がなぜ騒ぎがあった中で動かなかったのか。また、ひろゆきのように勇気を出して言いに行った高校生をもっと賞賛だという声もあり感覚的にはこのひろゆきの意見に凄く納得した。このような対処を避けると逆に犯罪が増えるのではないかなと思う。人って恐怖心があるからそこを揺さぶる必要があるから今回のこのネット上での賛否は逆に安全な日本だからこそ安全を揺るがす事に目をふせるのが正解というような事を言う人が多いと思った。この報道を煽る事って自分の存在意義を失っている人からすると騒ぎ立ててくれるからおいしい話なように感じる。逆にその人を死に追いやるまで叩き潰す人もいる。それって失敗のレベルもあるかもしれないけどその人の存在価値があるとしたならそこに想像力を働かせる事はできないだろうか。このように考えると大抵の人間はそのような知能がないから理解する事ができず、頭の固い年寄りはなおさらそうだ。だから、教養や教育に目がいくわけだが、教養や教育というのは勉強だけでなく、人間的な部分の勉強である。だか、ここで疑問なのは学校の先生は人間的に確立されているものなのか。人間力は基準がないため非常に難しい能力値である。だからわかりやすいものの方が良く勉強に関してある程度という資格を得て教員をしている。日本は机上の実力主義なのである。なのに、その実力を活かしきれず、その上、人間力が劣っているため非常にまずい状態にあると思う。人間は感情があるからロボットのようにできないのである。ロボットの方がなりたいのだ日本人は。だから、AIやロボットを本来もっと肯定すべきだ。それが一個人として嫌なのならもっと自分の感情に向き合うべきだと思う。
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