LOVELIFE
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

311 再会

3月29日、石巻の安置所へ、うちの車で友達と乗り合わせて午前中出発しました。昨日の電話連絡の時と同様、車中でもしきりに私は「まだ、Tちゃんか分からない。分からないんだ。」と、繰り返していました。 絶望的な状況も理解していましたが、自分に言い聞かせていたんですね。

車は渋滞にハマることなく、早く着いて欲しくないと思いながら…
石巻市内に近づくと、雰囲気が一変しました。

ぐちゃぐちゃの車が積まれ、道路は泥まみれ。
信号機はついていません。わかってはいたけれど、言葉がでませんでした。
それでも、泥を掻いている人々。
灯油や水の配給に並ぶ人々。
ここに住む人達は、力強く なんとなく安心しました。

門脇中でもう一人の友達を乗せて、安置所へ向かいました。

白い簡易テントが並び、言葉にできない雰囲気がありました。

どうしたらいいのかわからなくなり、取り敢えず名簿と遺体写真をみることにしましたが、膨大な数ですし、頭が真っ白なので探せるわけありません。

そこには、沢山の方の写真が貼られていました。
一目で火事で亡くなったかた、苦しそうな顔をしているかた、安らかなかおをしているかた…

胸が締め付けられて、それ以上見られなくなり足が動かなくなりました。
涙がとまらず横をみると、もう一人の友達も泣いており、お互い支えながらやっと歩きました。

他の3人の友達が、気丈にも面会の手続きをしてくれて、Tちゃんのところに移動することになりました。
建物の中ではなく、少し離れた場所にいくと、白い簡易テントが沢山ならんでいました。警察官の方に案内されて目をやると嘘だと思うほど奥まで たくさんの白い棺が並んでいました。 膝の力が抜けるのがわかりましたが、なんとか歩きました。

「こちらです」
と警察官の方に言われ、棺が開けられました。

顔をみると、確かに
Tちゃんでした。

絶対死なないと思っていたのに。

今にも起きそうな、綺麗な顔をして横たわっていました。

肌の綺麗な人だったのですが、きっと圧迫されていたのか頬は少し赤みや擦り傷がありましたが、
「ああ、綺麗な顔で良かった」
と半分ほっとしたんです。
だけど、勝手に涙がでてきて

辛いとか悲しいとかは
よくわかりません。

もう少し、その場にいたかったですが…
心の中で「またね」と言って離れました。
数日後、火葬がありましたが行けなかったので、顔を触っておけばよかったなと 今も心残りです…

私が呆然としている間、友達が警察官の方に、色々聞いてくれていました。
見つかったのは震災から 三日後
自宅から近い場所だった。
私達は、Tちゃんから親戚がいないような事を聞いていたので 今後どうなるのか心配していましたが、 家業を継がずに出ていたお兄さんが、安置所にやって来て手続きを済ませた事がわかりました。

この震災では、遺体が見つかることと、引き取る家族親戚がいるというのは 不幸中の幸いといっていいのか分かりませんが、まだマシなんだ、っていう意見をよく耳にしました。
遺体が見つからないかたが約二千人。家族は心の整理がつかず、ただ待つしかありません。

遺体が見つかっても、皆で巻き込まれていれば 迎えに来たくてもこれませんから、こちらも待つしかありません。

私はどちらの当事者ではないので、何も語る資格はありません。

ただただ、辛くて悲しい気持ちに寄り添い、1日も早く心に平穏が戻りますことを祈ることしか出来ないのです。

続く

311 再会まで

SNSで友達からメッセージを貰い、そのあともTちゃんの友達から 続々と情報が届きましたが、良い情報ではありませんでした。
こういうときは、やはり地元の人でなければ情報は集まりません。
彼女が、知り合いや友達が多く、会社経営に携わっていたからこそ 色んな人が協力してくれたんですね。
大津波警報を彼女が聞いていたのは、私も知っていました。
SNSの最後の呟きが、「大津波警報、こわい」
でしたから… どんなに怖かったか…

知り合いの方が、Tちゃんが会社の車で自宅方面に向かうのを見た、と教えてくれたり

私は聞いたことなかったですが、彼女は常々 津波が来ることになったら会社に戻って大事なものをとりにいく、といっていたとか…
決定的なのは、彼女の地元の友達が 連絡の取れない彼女の身を案じて、一週間かけて朝から晩まで自転車で避難所をまわってくれましたが…
みつからなくて。

遺体安置所を周り始めたところ、本人だと思われる人をみつけたと。

疑うわけじゃないけど、本当に?と聞くと、たぶんそうだ…と。

その時点で、私は連絡がとれる仙台や秋田の友人に状況を話して、まだ本人と確定していないが、自分の目で確かめてくるからと話すと、急にも関わらず 一緒にいくといってくれて、総勢5人、あとで東京の友達と石巻で待ち合わせる約束をして、 明日 石巻へ向かうことになりました。
続く

311 やっと会えた友

話がずれてしまいましたが、友達について少しテーマを変えて綴りたいと思います。
本当は、思い出したくない気持ちがありますが、絶対に忘れない、忘れたくない気持ちもあるので…綴ります。

友達がどうやってみつかったか。それから、再会まで。

体育館から自宅に戻ってからも、友達へは全く連絡はつきませんでした。
Tちゃんの携帯も、自宅固定電話も、会社の電話も全てです。停電しているのはわかりきっていましたが、とりあえず電話してみたのです。調べたら会社の支所は内陸部寄りのようでしたが、それでもダメでした。
完全にお手上げです。

自宅PCから、避難所リストを検索して名前を調べたりしましたが、該当者なく、わかりませんでした。
すでに宮城県警で遺体の情報はアップされていたようですが、私は彼女は無事だと思っていたので見ませんでした。
赤ん坊がいるから現地にも行くことはできず、現地もまだ車で通れないと情報があり…

消息については、なにも情報が掴めないままでした。
しかし、事態は急展開を迎えました。
私とTちゃんが参加していたSNSで、メッセージをもらったのです。

私とメッセージをくれた人の接点は すぐ思い出しました。
Tちゃんと一緒に会ったことがある、Tちゃんの同級生のバンドをやってた女の子でした。

その子からもらったメッセージは、とても辛く、にわかには信じられませんでした。

「Tに似た遺体を、安置所でみつけてくれた友達がいるみたい」と。

続く
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>