記録:20140527涇陽滞在2日目
朝一ホテルからタクシーで“涇陽茯磚茶発展中心”へ。
中国各地に茶葉協会という組織がある。日本の日本茶インストラクター協会に似ているかどうか聞かれば、お茶の普及および茶業界振興という目的と、非営利組織であるという面では同じだが、日本茶インストラクター協会がNPO法人であるのに対し、茶葉協会は国家行政機関の一部で、そこで働く人は国家公務員になるという違いがある。協会の責任者は会長、もしくは主任という肩書きとなる。
涇陽茯磚茶は近年陝茶(陝西省で作られたお茶)の中でも省が非常に力を入れている一大ブランドだ。2012年からほぼ毎年湖南省黒茶(益陽茯茶はその一部である)を見に行くうちに、益陽茯茶の源、涇陽茯茶の産地を知りたくなってきた。今回地元の涇陽茶葉協会を訪ねたのにも、そういった動機があった。3年前のことだ。当時の「涇陽茯磚茶発展中心」の主任は毛さん。朝一、毛さんのオフィスへ。
毛さんからいろいろ貴重なお話を伺いました。以下はそのまとめである。
涇陽茯磚茶発展中心は2011年に設立した県政府の茯磚茶振興協会である。
2008年、陝西省咸陽市政府は「陝茶復興計画」を発表し、明朝末期から作り続けていた涇陽茯磚茶は60年前に一旦生産を中止したが、試行錯誤の末、2009年やっと復刻版として製品化に成功した。
安化の黒茶をわざわざこの涇陽で加工するのは“涇陽にしかない美味しい茯茶を作る条件”があるからだ。
それは塩分を含んだ涇陽の水で加工した茯磚茶は「金花」を増殖しやすいという特性(そうか、あの塩辛い地下水のことを思いだす)である。
もちろん涇陽の乾燥した気候と長い歴史の中で積み重ねてきた「発花技術」(茯茶の金花を作る技術)も不可欠な条件である。そのため昔「茯磚茶」は涇陽でしか作れないお茶だった。いわゆる「茯茶の三不能制」という言い伝えである。
「茯茶の三不能制」とは( 茯茶製造の三難とは)
離開了涇河的水不能製 (涇河の水がなければ茯磚茶は作れない)
離開了関中的氣候不能製(関中の乾燥した気候がなければ茯磚茶は作れない。昔温度湿度の調整は天候任せだったので、湿度が高すぎると、金花が出るどころか、茶がカビてしまう)
離開了陝西的技術不能製(陝西茶人の製茶の技がなければ茯磚茶は作れない)
私が個人的に付け加えるとすれば、「涇陽」は茶馬貿易」ルートの中で西北地域への入口として、盛んになる茶の貿易の中で、消費地域の嗜好を迅速に把握し、素早く加工地に転身するのに好都合だったことも重要な点ではないだろうか(場所が良かったのだ)。運送の利便性を確保するため試しにレンガ状に仕上げた茯茶は大好評となり、また偶然に発見された「金花」が遊牧民族に認められ、「シルクロードの神秘的なお茶」となったわけだ。
茯茶をご馳走になったお礼にセンターの皆さんに日本の抹茶を点てた。
毛さんとセンターの女子達は日本茶について大変興味を持っていて、しばらく抹茶のことで盛り上がりました。
話を弾ませてくれた日本の抹茶。感謝感謝。
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毛さんはその後別の職業に就き、主任を離任した。現在(2018年)の涇陽茯磚茶発展中心の主任は阮軍さん。また涇陽県には茯茶協会もあるようで両協会の関係は不明。
一口メモ:
①涇陽茯磚茶発展中心のロケーション:涇陽県文庙広場 電話:029-3620-1553
②陝西省の茶業協会の行政管轄は陝西省茶業協会→咸陽市茶業協会→涇陽県茶業協会のような上下関係組織がある。