リブログ~狭山茶を訪ねて①喜多院、中院と狭山茶発祥地の石碑 | 船橋市茶文化資料室

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ずっと勘違いしていることがあります。川越の喜多院と中院は天台宗の寺院。禅寺ではないです。先日橋本素子先生の日本茶の歴史オンライン講座を受講したらこのことにはっと気づきました。個人的に日本天台宗のイメージは(天台宗について全く無知なので間違っている可能性があるが)、中国天台大師智顗(ちぎ)⇒入唐八家の最澄⇒総本山比叡山延暦寺といったキーワードを思い浮かびます。そして今までなぜか天台宗は臨済宗、曹洞宗と同じく禅宗流派のひとつだと思い込んでいました。

代表的な経典など読まないとその宗派のことを理解するのは難しいし、書物を読んでも実際修行の日々を送らないと単なる頭でっかちになるばかり。ゆえに天台宗は禅宗流派ではないことがわかりましたが、どう違うか私には難しすぎる問題です。

 

2018年の春、湖北省当陽市にある天台山の名刹・玉泉寺を訪ねたことがあります。ご縁があってそこに一泊して修行体験をしました。思えばその時に部屋に置いてある、自由に持ち帰りのお経は『無量寿経』でした。

湖北省当陽の玉泉寺は浙江省天台山国清寺と並んで天台大師智顗のゆかりの地

静かな奥庭に来客修行者用の部屋がありました。

ここに一泊し、坐禅の体験と朝の読経などをし、夜は寺の友人僧侶さん達と唐代の名茶・玉泉寺茶(仙人掌茶)の談義を~

近年復活させた蒸し製玉泉寺茶。

寺の僧侶さんが作った白茶

今思えばもっと天台宗のお話を聞けばよかったです。

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20161007の記事のリブログです。

 

メモ:天海大僧正:てんかいだいそうじょう

 

続く秋雨がようやく上がり、朝から日差しに恵まれた9月最後の週末。

支部役員としての参加で狭山茶研修の機会に巡れました。

 

川越駅からぶらぶら歩いて15分(かな)

まず喜多院。団体なので時間がなくて、、、、中に入らず

徳川家康、家光と深く所縁のあるお寺だそうです。

入口にある天海大僧正(てんかいだいそうじょう)像。

もっていらっしゃるのは払子(ほっす)?!

寺の中に木造の天海大僧正像があるとか。

(1536年-1643年)次回、中に入ってみたいですね。

喜多院から長閑な住宅地を通り、

中院があります。家の表札みたい小さな看板。山門ではないですが、

 

不染の石碑

今回の目的はこの石碑を一目見たい:狭山茶発祥之地。

初めて知りました。ここに狭山茶発祥之地の石碑があることは

副碑はこのように書いてあります。

 


河越茶 狭山茶の起源
夫れ茶は遠く平安の昔伝教大師

最澄和尚 中国天台山国清寺より

伝来し京都に栽培せしより始まる
   慈覚大師円仁和尚天長七年(830年)

当地仙波に星野山無量寿寺仏地院

建立に際し比叡山より茶の実を携

え境内に薬用として栽培す 

これが河越茶 狭山茶の起源である
 当山茶園の茶株を此処に移植し長く伝承す

 

お茶と禅との関係(追伸:この時、ここは禅寺だと勘違いしていました。)そして慈覚大師円仁様の足跡はここにもあったのですね。(平泉の旅を思い出します)お茶の種と一緒に信仰の種も人々に渡していたでしょうね。円仁様。狭山茶の歴史は古いです。

 

またゆっくり川越を訪ねたいです~

 

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一口メモ:入間博物館より→ リンクはこちら

狭山茶の主産地である埼玉県西部では、いつから茶の栽培・製茶が始まったのでしょうか。これについては諸説あり、いずれも確かな史料は見つかっていません。

しかし、南北朝時代の書物『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』に、「天下に指して言う所」の茶産地の一つとして「武蔵河越(むさしのかわごえ)」が登場します。また、戦国時代に成立した『旅宿問答(りょしゅくもんどう)』には、「我が朝の名茶」の一つとして「武蔵ノ茲光茶」が登場します。これらの茶産地には、無量寿寺(川越市=現在の中院・喜多院)や慈光寺(ときがわ町)など、中世に隆盛を極めた寺院があり、これらの有力寺院が喫茶や製茶の文化をこの地域に導入した可能性が考えられます.....しかし、その後の戦乱によって有力寺院が衰退すると、これらの茶産地も荒廃したと考えられ、詳しいことは伝えられていません。