夏になると沢山雨が降る、だから僕は昔から雨が大嫌いだ。
傘を差さなくてはいけないし外でも遊べなかった。
それにすぐ服が汚れて母様に叱られてばかりいた。
だから大人になった今も、僕は雨が大嫌いだ。
だけど、雨が降ると僕は、いつも「彼女」のことを思い出す。
幼い頃に出会った、小さな小さな少女のことを。
大嫌いな雨が降ると彼女は必ずそこにいた。
水色のレインコートと揃いの色の長靴、彼女は毎日その格好だった。
傘も差さないでレインコートのフードをスッポリと被って、いつも一人で遊んでいる。
そして、俯いた横顔がとても寂しそうだった。
「ねぇ、君」
「……」
「見かけない顔だね。この辺の子かい?」
「……違う」
ある日、ついに僕はたまらなくなって彼女に声をかけた。
大嫌いな雨だったけれど傘を差して家を出た。
いつもの時間、いつもの場所にその子は寂しそうな顔をして立っていた。
だからと言うわけではないけれど、可哀想になって声をかけたくなったんだ。
「名前は?」
「……レイン」
「レイン? 変わった名前だね。僕はジョシュ、あそこに見える赤い屋根の家に住んでいるんだ」
「……ふーん」
「君は毎日ここにいるけど、一人で遊んでいて寂しくないのかい」
幼かった僕には、少なくともレインと名乗るその少女が寂しくしているのだと思っていた。
毎日独りぼっちで傘も差さずに遊んでいるなんて、僕だったら絶対に耐えられないからだ。
けど意外なことにこのレインという少女は、僕が話しかけるとさも鬱陶しそうに眉根を寄せて素っ気ない返事を淡々と返してくるだけだった。
何か気に触るようなことでも言ってしまったのだろうか。
「ねぇ、ジョシュ」
「なんだい」
ふと彼女が顔をあげて僕を見た。
レインコートより少し濃い色をした瞳と目が合う。
彼女の瞳は、まるでガラス玉を填め込んだようにツヤツヤと輝いていて、太陽のように綺麗な金色の髪が雨に濡れて額に張り付いていた。
僕は、その子を綺麗だなと素直に思った。
アイスブルーの瞳が暫く僕を見つめた後、僕の差している飴色の傘を見た。
「ジョシュは、どうして傘なんて差しているの?」
「だって僕は君みたいにレインコートを着ていないし、それに服を汚すと母様が酷く怒るんだ。だから傘をさしているんだよ」
「……そう」
またも素っ気ない返事を返すと彼女は、まるで僕に興味を失ったかのように再び水たまりを蹴って遊びだしてしまった。
僕の気のせいでなければ彼女は、なんだかさっきよりも寂しそうな顔をしていたように見える。
彼女を傷つけるような発言に心当たりが無かったので少し困ってしまう。
その後は、しばらくジッとレインが水たまりを蹴って遊んでいるのを眺めていた。
彼女は飽きもしないでずっとずっとその遊びを繰り返していた。
それに何故か僕も、その姿を飽きもしないで何時間も眺めていた。
心なしか雨足もさっきより強くなってきたみたいだ。
「ねえ、レイン。ずっとそのままじゃ風邪をひいてしまうよ」
痺れを切らした僕は、そっと彼女の頭上に傘を差しだした。
父様の飴色の傘はとても大きくて、彼女と僕を入れてもまだまだ余裕があるほどに大きかった。
傘を差し出された少女は、少し驚いたような顔をして僕の顔を見上げた。
またあの綺麗な瞳と目が合う、そして初めて彼女が嬉しそうにはにかんだのだ。
「……ありがとう、ジョシュ」
「べ、別にお礼なんて言われるようなことはしてないよ」
笑顔でお礼を言われるとなんだか急に照れくさくなってしまう。
そこでふと僕は、どうして照れくさくなったのかを不思議に思った。
誰かにお礼を言われるのが初めてだったわけじゃない、それに自分で言うのもなんだけれど僕はそれなりにハンサムだったから女の子にキスやハグと一緒にお礼を言われるのだってこれが初めてじゃない。
なのになんでこんなに胸がドキドキしているんだろう。
「あのねジョシュ」
「な、なんだい」
「雨が降るとね、私はとっても嬉しいの」
「嬉しい? おかしなことを言うんだね。僕は雨……嫌いだけどなあ」
「でもねジョシュ、雨が降らないと田畑の農作物は育たなくなるわ。それに、あなた達が使うお風呂のお水だってトイレだって、手を洗うことだってできなくなるのよ。それに飲み水にも困ってしまうわ」
「うーん……確かにそうだけれど」
「それだけじゃないわ。雨はね……全てを綺麗に洗い流してくれる」
レインは楽しそうに雨の良さを僕に沢山教えてくれた。
それで僕が直ぐに雨が好きになる訳ではなかったけど、彼女の話を聞いているのはとても楽しかった。
雨上がりにできる虹の話しも雨が降ると蛙が大合唱する訳も、彼女は本当に色んなことを知っていて、そして彼女は雨のことを話しているととても嬉しそうな顔をした。
彼女が嬉しそうだとなんだか僕まで嬉しくなってしまった。
「ねぇジョシュ」
「ん?」
「明日も……。明日も、また来てくれる……?」
「も、もちろんだよ!」
僕は笑顔でそう答える。
だって、学校は夏休みに入っていたから毎日がうんざりするほど暇で仕方がなかったのだ。
それに優秀な僕は、夏休みになるとすぐに宿題を終わらせるようにしている。
そうすることで、残りの夏休みを自由気ままに遊んで過ごすのだ。
ただここ最近はずっと雨が降っていて外で遊べなかったから暇をもてあましていた。
テレビゲームも三日で飽きてしまったし、絵を描くのも大好きな模型を作るのも毎日やっていたら飽きてしまうに決まっている。
だからと言うわけではないけれど、雨でも遊んでくれる人がいるのなら僕は喜んで毎日ここへ来るつもりでいた。
「ありがとうジョシュ」
「君は、なんでもないことでお礼を言うのが好きなんだね」
「え、そうかしら」
「うん、変わってる」
僕たちは顔を見合わせて笑い会った。
初めて彼女に話しかけた数時間前に比べて、レインはよく笑ってくれるようになった。
もうあの寂しそうな顔はしていなかったし鬱陶しそうにすることもなくなって、口に出して言っていないけれど僕たちはもう友達になれていたのかもしれない。
「あ……」
「どうしたの」
「雨が」
「雨? あれ、そう言えばあんなに降っていたのに小降りになってきたね」
どれくらい話し込んでいたんだろう、いつの間にか叩きつけるように降っていた雨がポツポツと小降りになっていた。
これなら傘がなくても大丈夫そうだ。
僕がそんな暢気なことを考えていると、先ほどまで笑顔だったレインが急にソワソワし始めた。
キョロキョロと瞳が泳ぎもじもじとしている、トイレにでも行きたいのだろうか。
「どうしたんだい。もしかして、トイレ?」
「あの……ジョシュ」
「なんだい」
「もうすぐ雨が止むから、私……帰るね」
「え、まだ二時じゃないか。子供の遊ぶ時間はまだこれからだよ」
「あの……本当にごめんね。また明日!」
彼女はそう言ってまるで逃げ帰るようにしていなくなってしまった。
あまりにも突然の出来事に走る彼女の姿が見えなくなるまで僕は、まるで言葉でも忘れてしまったかのように黙ってその場に立ちつくしていた。
もしかして、トイレなんてデリカシーのないことを聞いたからだろうか。
その時の僕は、そんなマヌケな考えしか頭に浮かばなかった。
翌朝もカーテンを開けるまでもなく雨が降っていると分かった。
激しく降り注ぐ雨粒が屋根や窓を叩いては滴り落ちていく、でもなんだか今日は嫌な気分にはならなかった。
いつものように朝食を済ませると、さっそく僕は出かける支度を始めた。
雨が大嫌いな僕が外へ出る支度をしているのを見て、洗い物をしている母様が不思議そうに首を傾げた。
「ジョシュ、遊びに行くの?」
「うん」
「珍しいこともあるものね。あんなに雨が嫌いだって騒いでいたのに。お友達と遊ぶの?」
「うん、昨日たまたま公園で見かけてから仲良くなった」
「そうなの、でもあまり激しく暴れ回っちゃ駄目よ。泥だらけになったお洋服を洗濯するのは、お母さんなんですからね」
「分かってるよ母様。行ってきます!」
言われると分かっていた母様の小言を聞き流しながら、僕は昨日と同じ飴色の傘を持って家を飛び出した。
僕は、レインのことを詳しく母様には話さなかった。
いや、話さなかったと言うよりも話せなかったといった方が正しいのかもしれない。
よく考えてみたら僕は、彼女のことを何一つ知らなかったのだ。
どこに住んでいて何歳で、どこの学校に通っているのかなど名前以外の全てを知らなかったけれど別に僕はそれでも良いと思っている。
彼女が僕にそれを聞いてこないように、僕も彼女が話してくれるまでは聞かないつもりでいた。
「おまたせ!」
人のいない公園で彼女を見つけることはとても容易だった。
それ以前に彼女は、僕が見つけやすいようにと昨日と同じ場所に立っていてくれたようで、僕が声をかけると持っていた枝をその辺に放り嬉しそうに僕を見た。
まるで夢でも見ているかのように、本当に彼女は嬉しそうに笑った。
「本当に来てくれたんだ」
「当たり前だろう? ちゃんと来るって約束したじゃないか」
「約束……か」
約束という言葉を聞いた彼女の顔から急に笑顔が消えてしまった。
なにか悪いことでも言っただろうか、僕は不安気に彼女を顔を覗き見て素直に謝った。
「あの、ごめんよ」
「あ、その、えっと……私の方こそごめんね」
「誰かに約束を破られたのかい?」
「んー……まぁ、ね」
「なんてひどい奴! どこの誰だい!? 今度僕がとっちめてやるよ!」
「いいの、いいの! 本当に気にしないで、あれは仕方のないことだったから」
彼女の悲しそうな顔はひどく大人びて見えた。
なんだかその顔が急に彼女が知らない人になってしまったように思えて怖くなった僕は、迫るようにして彼女の側へ寄るとその消えてしまいそうに儚い存在を飴色の傘の下へと閉じ込めた。
昨日は驚いていたレインも、今日はすぐに嬉しそうな顔になった。
いつもの彼女が戻ってきてホッと胸をなで下ろす。
「今日はなにをして遊ぶ?」
「うーん……実は私、あまり二人遊びってよく分からないの」
「だったら追いかけっこなんてどうだい」
「それなら私も分かるけれど……でもジョシュ、追いかけっこなんてしたら濡れてしまうわ。それにお洋服を汚したらお母さんに怒られてしまうんじゃないの?」
「平気、平気! 今日はずぶ濡れになって遊びたい気分なんだ」
そう言って僕が傘をたたむと、意外そうな顔をしていたレインもにっこり笑顔になって被っていたフードを脱いだ。
そんな彼女の仕草に僕は、ハッと息をのんだし目を奪われてしまった。
だってフードをとった彼女はいつも以上にとてもキュートだったのだ。
真っ赤なリボンで結った髪は想像していたよりも長くて、さらさらと肩から流れ落ちてまるで金色のカーテンが風ではためいているように見えた。
そんな彼女を見ていた僕は、なんだか急にドギマギしてしまった。
「ジャ、ジャンケンで鬼を決めようか」
「いいわよ。で、ジャンケンってなに?」
「……」
彼女と遊ぶのはとても楽しい、まるで雨が降っていないかのような錯覚に襲われる。
二人とも頭の先からつま先まで全身ずぶ濡れになっているのに、気になるどころか心地よくさえ感じられた。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
「レインつかまえた!」
僕らが何度目かの追いかけっこをしている時、鬼だった僕はここにきて初めて彼女の腕を掴むことに成功した。
レインは僕が驚くほどじゃんけんに強くて、それだけじゃなく逃げ足も驚くほど速くて何度やっても彼女を捕まえることができなかったんだ。
最終的には僕のほうが疲れ果てて追いかけることができなくなると、またじゃんけんをして鬼を決めるという流れだったけれど結果は何度じゃんけんをしても僕が鬼。
だけど不思議と鬼は嫌ではなかったし、是が非でも彼女を捕まえてやろうという僕の負けず嫌いさに火をつけさせた。
漸く掴まえたレインの手首は、今にも折れてしまいそうなほど細くてそして
「レイン……きみ……」
一瞬にして僕の表情から笑顔が消えた。
それを見た彼女も急いで僕の手をふりほどき、何故か泣き出しそうな顔で数歩ほど僕との距離を置いた。
彼女の、レインのあんな顔を見たのは初めてだ。
「ジョシュ……あのね、私……っ」
「駄目じゃないか!」
「……へ?」
僕が怒ると彼女は、素っ頓狂な声を出して大きな目を更にまん丸にして僕を見た。
そう、僕が掴んだ彼女の手首は氷のように冷たかったのだ。
いくら夏とは言っても長時間体を濡らしていると体温を奪われてしまう、それなのにきっと彼女は僕に遠慮して寒くなってきたのを我慢して言わなかったのだろう、僕はそれに腹をたてたのだ。
「そんなに体が冷えてしまって、風邪を引いてしまうだろ。どうしてもっと早くに言ってくれなかったんだよ」
「あの、ジョシュ」
「追いかけっこは終わりにしよう、君も体をタオルで拭いた方がいいよ」
「え、ねぇ、ジョシュってば」
「家からタオルを持ってくるから、君はここで待ってて!」
僕はそう言って彼女に飴色の傘を無理矢理持たせると家へ向かって走り出した。
彼女が何度もなにかを言おうとしていたけど言わせなかった。
それは何故かって、きっとその時の僕も感じていたんだと思う。
聞いてしまったら、二度と今のような楽しい時間はやってこないかもしれないと。
僕が走り出した頃には、雨は小降りになっていた。
家に駆け込んだ僕は、母様が廊下やリビングにいないことを確認すると足音をたてないようバスルームへと行き、一枚の大きなバスタオルを拝借して急いで公園へと戻った。
けれど、さっきの場所に彼女の姿はなかった。
公園の中央に持ち手を失った飴色の傘が広げたまま置いてあるだけで、肝心の彼女の姿がどこにも見あたらなかった。
「レイン?」
きっと彼女が僕を驚かそうと悪戯しているに違いない、そう思ってタオルを抱えたまま公園中のありとあらゆる所を探し回った。
子供が隠れられそうな所から草むらの中、木の上まですべて探し回ったけど結局どこにもレインはいなかった。
「どこいっちゃんたんだろう……ん?」
仕方なく傘を拾いに行って初めて、僕は傘の下に木の枝で「ごめんね」と書かれているのを見つけてがっくりと肩を落とした。
きっと話を聞いて貰えなかったことに腹をたてて帰ってしまったんだ。
学校では、女の子がたびたび僕に腹をたてどこかへ行ってしまうことがあったけれど
その時は「またか」と思うだけで傷ついたりはしなかった。
それなのになぜが今の僕は、彼女が書き残したたった一言のメッセージを見て泣いていたんだ。
その日は、ずぶ濡れの泥だらけで帰ってきた僕を見て母様が激怒したのは言うまでもないだろう。
けれど母様のお説教も耳に入らないくらいその時の僕は落ち込んでいた。
もしかしたら彼女はもう二度と僕の前に現れないんじゃないか、そう思うとまた涙が出てきた。
僕が予想した通り、次の日から彼女は公園に現れなくなった。
次の日もそのまた次の日も、僕は飽きもせずにずっとずっと何時間でも彼女を待ち続けた。
けれど、彼女が僕の前に姿を見せることはなかった。
女の子にしつこくまとわりつかれることはあったけれど、その逆は自分自身でも驚いてしまうくらいに珍しいことだった。
名前以外なにも知らない二日だけ一緒に遊んだ女の子、最初は「不思議な子だな」って思ってたけれど時間が経つにつれて急速に彼女に惹かれていって、ほんの数時間しか一緒にいなかったのに彼女が帰ってしまうのが怖くなっていた。
最後の日もできるだけ彼女が時間を忘れてしまうようにしていたつもりだったけれど
結局、帰ってしまうどころかもっと最悪なことに完全に僕の前から姿を消してしまったのだ。
「はぁ」
今日も、誰もいない公園で傘を広げて僕は彼女を待っていた。
約束はしていないけれど、きっといつかここに戻ってくると信じて待ち続けた。
だけど僕の期待を裏切るかのように、その日もレインは現れてはくれなかった。
「レイン……ごめんよ。お願いだから、もう一度きみに会って話がしたいよ……一緒に遊びたいよ……レイン」
男の子が泣きべそをかくなんて恥ずかしいことだけれど、誰になんと言われて笑われようとも今の僕の心は暗く沈みきっていた。
何度も何度も彼女の名前を心の中で呼んでついに、心の声が口をついて出てしまった時だ。
「……ジョシュ」
「っ!!」
反射的に僕が振り向くとそこには、申し訳なさそうな顔をした彼女が居心地が悪そうに立っていた。
両手を後ろに組んでモジモジとしているその姿は、紛れもなく僕が三週間待ち続けた女の子だった。
「レイン!!」
「あの、ジョシュ……ごめんなさっ!! ジョ、ジョシュ?!」
「レイン!! あぁ、君は本当に本物のレインなんだね!?」
なにかを思ったり言うよりも先に僕は、飴色の傘を投げ出して彼女を抱きしめていた。
彼女の顔は見えなかったけれどきっともの凄く驚いていたと思う、動揺したように震える声で「苦しいよ」という彼女を無視して僕は更にぎゅっと抱きしめ続けた。
何故かって、もちろん二度と彼女が僕の前から消えてしまわないようにさ。
「ねぇ……ジョシュ……」
「どこに行ってたんだよ!! 心配したんだぞ」
「……ごめんね」
「僕が君を怒らせるようなことをしたり言ったりしたから、君は怒って僕の前から消えてしまったのかい」
「違う、違うのジョシュ」
体を通して彼女からの動揺が伝わってくる、何度かもごもごしたあと本当に申し訳なさそうに彼女が呟いた。
「か、風邪を引いて寝込んでいたの」
「やっぱり、あの時無理して遊んていだからだよ」
やんわりと言ったけれど内心では、彼女の言っていることが「嘘」だと僕には分かってしまった。
三週間も寝込む風邪などあるわけがない、きっと今日も本当は僕に会いたくなかったけれど一言謝ろうとわざわざ来てくれたんだろう。
けど僕はそれでもよかった。
レインを目の前にしてようやく、今まで自分がどうしてモヤモヤしていたのかに気が付いたのだ。
世間の大人が聞いたら「子供の癖に生意気な」って思うかもしれない、けれど僕は本気でこのレインという女の子に恋をしてしまったんだ。
「ねぇジョシュ」
「なんだい」
「もしかして……ずっと待っててくれたの?」
「当たり前じゃないか。この三週間、毎日毎日ここで待っていたよ」
「そっか……本当にごめんね」
「急にいなくなってしまうんだもの、心配だってするしそれに……その」
「それに?」
「もの凄く寂しかった」
そう言うとモゾモゾと彼女が身じろぎをして、僕と彼女の間に挟まれていた腕を引っ張り出してよしよしと雨で濡れた頭を撫でてくれた。
女の子に頭を撫でられるなんて初めてだ。
普段の僕なら怒るけれど、なぜだか彼女に撫でられるととっても心地よかった。
「私ね」
「ん?」
「本当は、風邪で寝込んでた訳でもなんでもないの」
「うん」
「ジョシュが凄く優しくしてくれるから私、怖かったの」
「怖い? なぜだい」
「いつか貴方を傷つけてしまう日が来るのが怖かった」
「もう十分傷ついたさ」
「ああ、もう……本当にごめんなさい」
「今日の君は、本当によく謝るね」
最初の頃に戻ったかのようにお互いクスクスと笑い会った。
今、この時、この瞬間が僕は嬉しくて仕方がなかった。
大好きな女の子を抱きしめていられるなんてこれほど嬉しいことがあるだろうか。
クリスマスや誕生日よりもずっとずっと嬉しい。
「ねえレイン」
「なぁに」
「よかったらその……僕の家にこないかな」
「ジョシュの家に?」
「も、もちろん両親もいるし別にやましいことを考えてる訳じゃないからね!?」
「……ふふ、知ってる」
「わ、笑うなよ。余計恥ずかしくなるだろう」
「いいわ。それじゃあ今日は、王子様のお宅へお邪魔させてもらおうかな」
レインはおどけたふうにそう言うと、また楽しそうにくすくすと笑った。
なんだか僕は、急に恥ずかしくなってさっき彼女に言ったことを激しく後悔した。
「赤い屋根の家だったよね」
「そう、よく覚えていたね」
僕らは仲良く手を繋いで歩いた。
いつものように彼女の手はひんやりと冷たかった。
けどあの時のように彼女が僕の手を振り払うことはなかった。
大きな傘に二人で入って、端から見たらまるで小さな恋人同士のように見えるだろうか。
誰かに見て欲しい、でもそういうときに限って誰ともすれ違わないもので結局、知り合いにも友達にも誰ともすれ違わないまま家に辿り着いてしまった。
「ただいま」
「おじゃましまーす」
綺麗に長靴を揃えるのを待って僕は、母様を驚かせたくて彼女をすぐに僕の部屋へと押し込んだ。
僕の部屋は玄関のすぐ横にあったので遅刻しそうな日はとても助かっている。
「母様、友達が来てるからお菓子とジュースよろしくね」
「あら、珍しいわね。なら丁度ドーナツがあるから持っていくわ」
「ありがと」
「可愛らしい長靴ね。女の子なの?」
「ふふん、まーね」
意味ありげな笑みを浮かべて僕はさっと部屋に飛び込んだ。
「今ジュースとお菓子持ってきてくれるって」
「ありがとう」
「あー……部屋、汚くてごめんよ」
「ん、男の子らしい部屋だね」
何度でも言うけれど、ちょこんと勉強机の椅子に座っている彼女は本当にキュートだ。
いや、きっと彼女がなにをしてもキュートだと僕は言うだろう、恋は盲目とは本当によくいったものだと思う。
窓の外をチラチラと見ていた彼女がふと顔を此方にむけた。
「ジョシュにちょっと切ない話を聞かせてあげる」
「切ない話?」
「そ、聞いてくれる?」
「もちろんだよ」
急に話だなんてどうしたんだろう、けど彼女の話はとても面白いから僕は大人しく聞くことにした。
「あるところに雨の大好きな女の子がいました」
その女の子は、いつも傘を差さずにお気に入りのレインコートと長靴を履いて住宅街の真ん中にある公園へ遊びに行っていました。
けど、周りの子供達はみんな雨が大嫌いで公園には人っ子一人いませんでした。
それでも女の子は、雨が大好きなので一人で水たまりを蹴散らしたり湿って濡れた木の枝で地面に絵を描いたりして一人でも十分に楽しく遊んでいました。
けれどある時、一人の少年が彼女に話しかけてきたのです。
少年はすぐ近くに住んでいていつも窓からその女の子を見ていたといい、遊び相手がいないなら自分が遊び相手になると言ってきました。
けど、女の子は別にそうして欲しいと頼んだ訳でもないのに偉そうな子だなと思って彼の言葉に素っ気ない返事をしていました。
自分が鬱陶しそうにすればその少年も諦めて帰ってしまうだろうと。
だけどその少年は、女の子の予想に反してすっと大きな傘を差しだしてきたのです。
それは飴色の、大きな大きな傘でした。
「風邪をひくよ」
女の子は、優しくされたのが初めてだったのでとても嬉しく思いました。
そして、それから女の子は少年と沢山お喋りをしてたった数時間だけなのにぐっと仲良くなりました。
その夏は、夏休みの半分が雨と天気予報で言っていたので女の子は毎日その少年と遊びました。
時にはずぶ濡れの泥だらけになったりもして、来る日も来る日も飽きもせずに少年と少女は遊び続けたのでした。
けれどある日突然、約束していたにも関わらず少年は公園へ来なくなりました。
女の子は、もしかしたら風邪をひいているのではないかと心配して、でももしかしたら来てくれるかもしれないと思い来るはずのない少年をずっとずっと待ち続けました。
ずっとずっと、ずっとずっと。
何時間も、何日も、何年も何十年も、女の子はずっとずうっと待ち続けました。
辛い時や寂しい時は、少年が言ってくれた言葉を思い出して自分を元気つけるのでした。
「ずっと、君と一緒にいてあげる。これなら寂しくないだろう」
その言葉を信じて、少女は待ち続けました。
そしてある時ついに、彼が戻ってきたのです。
姿はすっかり大人になっていたし声も大人の男性になっていたけれど、彼女にはすぐにそれがあの少年だと分かりました。
女の子は嬉しくなって彼に大きな声で手を振り呼びかけました。
けれど彼は、彼女に気づくことなくするりと脇を通り過ぎて行ってしまったのです。
女の子がどんなに声をかけても、女の子がどんなに彼に触れても、女の子がどんなに必死で叫んでも泣いても、彼が女の子に気が付くことはありませんでした。
そして、ようやく彼女は気が付いたのです。
彼の傍らに小さな小さな彼と同じような顔をした男の子がいることに、そして後から公園に入ってきた女性ににこやかに手を振っていることに。
女の子の一生に対して人の一生とは、あまりにも短く儚すぎました。
彼は大人になり愛する女性と愛するわが子を手に入れたけれど、自分はずっとずっとあの時と同じ小さな子供のまま、そしてなにより大人になった彼は現実しか見なくなってしまった。
子供の時のように夢や幻想を抱かない、だから彼には女の子が見えなくなってしまったのでした。
「そっか……でも、良かった」
約束は破られてしまったけれど、女の子はそれはそれで満足していました。
誰にもかまって貰えずにいた彼女に声をかけて、つかの間だけど楽しさと幸せを与えてくれた少年に憎しみも怒りもありませんでした。
女の子は、楽しそうに笑うかつての少年を眺めながら静かに、静かに消えていきました。
「おしまい。切ないお話でしょう」
「そうだね……。それにしても、その男は最低な奴だな! 約束を破るなんて」
「でも、仕方のないことなのよ」
「仕方のないことなのよ」あの時のようにレインがとても悲しそうな顔をした。
まるで自分が同じ目に遭ったかのように悲しそうな顔をするので僕は、また衝動的に彼女を抱きしめたくなったけれどふと一つだけひっかかることがあった。
「そういえば、その少年と女の子の名前って決まってないの?」
「二人ともちゃんと名前があるわ、聞きたい?」
「うん」
「少年の名前がジョイス、そして女の子の名前が……」
「ジョシュ、入るわよ」
肝心なところでノックの音がして、廊下で母様が入っていいかを伺っていた。
女の子だって言ったから母様なりに気をつかっているんだろう、けどなにかが頭の片隅に引っかかる。
「ジョイス」という名前には聞き覚えがあるんだ。
僕はしきりに考えながら、両手がふさがっているだろう母様の為にドアを開けたその瞬間、まるで今ドアを開けたのと同じように記憶のドアが解放され「ジョイス」という名前が誰だったかを思い出した。
「ああ!!!!」
「きゃあ!? ど、どうしたのよそんな大声を張り上げて」
急に僕が大声を出したので母様は、驚いて傾きかけたコップを慌てて平行に戻し怪訝そうな顔で僕を見た。
母様にどんな顔で見られようともこれが叫ばずにいられるだろうか、知りたくないことを知ってしまったように手や足がワナワナと震え出した。
そんな僕をよそに母様は、部屋の中をキョロキョロと見回して僕を更に凍り付かせる一言を言い放った。
「あら、お友達……帰っちゃったの?」
「え、いや、いるけど……」
後ろを振り返ると、ばつが悪そうな顔をしたレインがちゃんと椅子に腰掛けている。
そしてもう一度母様を振り返ると、母様は部屋を見渡すようにしてキョロキョロと友達を捜している。
ここまできて漸く僕は、知りたくもない事実を知ってしまった。
点と点が線になったように全ての謎が解き明かされたことに、もの凄いショックと動揺を隠せなかった。
レインの言っていた言葉が次々にフラッシュバックして頭を駆けめぐる。
「大人になると、夢や幻想を抱かなくなる」
「姿が見えなくなる」
「仕方のないことだから」
嫌だ。今あったことを全てなかったことにしたい、けどそんなことを願ったところで時間は止まってくれもしないし戻ってもくれないんだ。
「と、友達は忘れ物をしたって家に帰ったよ」
「あらそうなの? じゃあこれは置いていくわね」
「あ、ありがとう」
「やだジョシュったら、顔が真っ青よ? 熱でもあるんじゃ」
「だ、大丈夫だから!」
そう言って僕は、心配する母様の背中を押して無理やり部屋から追い出した。
後ろでは、相変わらずレインがばつの悪そうな顔で僕を見つめている。
クラクラと目眩が止まらない、心臓が驚かされた時のようにバクバクして相変わらず手足は震えていた。
「レイン……」
「……」
「さっきのお話って、もしかして君の」
「ほら見てジョシュ、もうすぐ雨が上がるわ」
「レイン」
「ここからなら虹が見えるはずよ」
「ねえレイン」
「雨が上がって晴れるまでの時間は一瞬なの」
「レインってば!!」
そこでようやく彼女は、難しい顔をして口を閉じ真っ直ぐに僕を見つめた。
悲しい色を含んだ表情は、まるで今生の別れでも告げる前みたいな顔をしている。
本当に今更だけれど、彼女の話なんて聞きたくなかったし聞かなければよかった。
なにも言わずにずっと僕の側にいて欲しかった。
けどあの時の僕は、彼女の話を断つ手段を思い浮かばなかったんだ。
「約束を破られたのは凄くショックだったわ。けど、貴方は約束を破らなかった」
「レイッ……!!」
「ありがとう、ジョシュ」
そう言って彼女は、窓を開けると光りの差し込む空を仰ぎ見た。
もうすっかり雨の上がってしまった外は、幻想的で眩しすぎる程にキラキラと輝いて夏の照りつける太陽が徐々に雲から顔を出す。
その時、僕は駆け寄って彼女を抱きしめるべきだったのかもしれない、けれど脳とは裏腹に体は動いてなどくれなかった。
幻想的ななにかを見つめるように僕は、ただただレインが太陽の光と一緒に消えていくのをなにもできずにボンヤリと眺めていることしか出来なかった。
最後に彼女が振り返ってニコリと微笑んだ後、何かを言っていたような気がする。
「ありがとうジョシュ……大好きよ」
涙で霞む瞳の先には、綺麗な虹が架かっていた。
あれから僕は大人になった。
父様と同じように大好きな女性と結婚をして子供もできた。
僕の息子「ジョシュア」は、丁度あの時の僕と同じくらいの年齢になっている。
彼女が消えてしまって以来ほぼ毎日のように公園に通い詰めたけれど結局、本当に二度と彼女が僕の前に姿を見せることはなかった。
ある時、いつも元気のいい僕が毎日お葬式のような顔をしているのを見かねた父様がどうしたのかと尋ねてきたことがあった。
話したくなかったけれど誰かに聞いてもらえば楽になると思った僕は、父様にレインという不思議な少女と遊んだことや消えてしまったことを掻い摘んで話した。
どうせ笑われるだろうと予想していた僕は、驚愕したような父様の顔を見て首を傾げてしまった。
「そうか……お前も、見たのか」
それだけ言うと父様は、それっきり難しい顔をして黙り込んでしまった。
そんな父様もつい先月、母様の後を追うようにして天へと昇っていった。
僕は、今でも時々あの公園へ足を運ぶことがある。
雨が降る日には、あの飴色の傘を差して
「お父さん」
「……ん? どうしたジョシュア」
長くボンヤリしていたせいか息子の呼びかけにずっと気が付かずにいたようで、痺れを切らしたジョシュアが軽く僕を肘で小突いてきた。
僕と妻の間に産まれた息子、妻も僕も美男美女だったので容姿はとてもハンサムな男の子だ。
そんな息子を見ていると昔の僕を思い出す。
「僕ね、新しい友達ができたんだ」
「はは、よかったな。で、男の子かな、女の子かな」
「女の子!」
「お前も父さんに似てハンサムだからな」
「学校の子じゃないみたいなんだ」
「そうなのか」
「でもね、凄く可愛い女の子なんだ。笑うと天使みたいで、ブルーの瞳が印象的なんだよ! 名前がね、えーと確か……」
「レインっていうんだって!」
今日も雨が降る、ジメジメして嫌な雨が降る
僕は雨が大嫌いだ
だけど
「彼女」がお前を大好きだっていうから
今だけは我慢してあげるよ
大嫌いな雨
大好きな雨
【The End】