おじいちゃんが亡くなった時の和尚さんの言葉です。
小中学生の頃におじいちゃんやおばあちゃんとの別れを経験して、私がもし死んだらお母さんには悲しんでほしくないなって思いました。
悲しんでほしくないけど、忘れられるのも寂しいから、時々思い出してほしいなって思っていました。
あの時はあぁだった、こうだったた。生きていたら今はどうしてたんだろうね。
そんな風に、時々でいいから思ってくれたら嬉しいなって考えていました。
のこされる側になると、悲しくて辛いです。寂しくてしょうがないです。
まだまだ一緒にいたい。気持ちの整理をしたつもりでも、弱っていく姿を見ると辛くて悲しくて寂しくて、気持ちの整理なんてとてもできない。
当たり前に明日が来るって思うけど、また今度でいいやって先延ばしにしたりするけど、もう明日がこない事だってあるだって思うと1日1日、大切な人と大切な時を過ごしたいです。
少しでも後悔しなくて良いように、自分の為に相手の為に大好きな気持ちを伝えたいです。
生きていても、病気になって薬の影響で意識がボヤけていくなら伝えるのは1日でも早い方が良いんだって分かりました。
伝えたいって、何かしてあげたいって思ったらその時にすぐに行動しないといけないんだって分かりました。
お葬式の時にいくら「ありがとう」の、お手紙を読んでも(魂になって聴いてくれてるとは思いますが)本人の肉体を通して聞いてもらったり、目で読んでもらったりしないと意味がないと思ったんです。現実の世界で生きる私は現実の世界でありがとうを伝えたいんです。