「フッ素樹脂加工」を施されているのですが、そのフッ素樹脂は高温じゃなくても有毒なガスや微粒子を出して、のどの痛み、熱、寒気、胸が苦しい、頭痛、咳など風邪 のような症状を引き起こすことがあります
何より助剤のPFOAという化学物質に発ガン性の危険性があり
その有毒物質は非常に分解されにくいため体の中に蓄積されていき
ガンを発生させ、妊娠中の赤ちゃんが奇形児、未熟児になる可能性があることをデュポン社も認めています。
有害物質である人口化合物「PFOA」は廃棄した後なども自然分解されず地中奥深くにとどまり、ダイオキシンやPCB汚染など、人体だけではなく環境破壊にもつながります。汚染された土地で育った野菜、野生動物、有害物質を含んだ土、雨が流れこんだ河川、海に住む魚、それらを食して生きる私たち。どう考えたって良いことなんて何一つありません。
地球で行うことは「生きとし生けるもの」に、どこまでも繋がる仕組みです。
これらはとてもわかりやすい地球因果の仕組みでしょう。
テフロンの害を知った当時の私は
なんて酷いものを作るんだ!って思いました。
商売繁盛のためなら人々の健康を害しても仕方ないって考えてるなんて商魂エゲツナイなって。
便利で安くて買えるのならなんでもいいのかって、それに飛びついて購入する消費者(自分も含めて)にも怒りがこみ上げました。
なんでこんな世の中なのー
悲しいよー
しかし・・・
怒りを感じ切ったからか?悲しみを感じ切ったせいか?
今はそう感じなくなりました
「悪の仕組み」は「ある」けれど
私達は「選ぶ」ことができるというのを知ったから
望む未来を見るということを「選択できる」のは「自分」だから
それを自分が「要らない、買わない」と決めたらそれでいいこと
許す許さないではなく
目をつぶるのではなく
そこにジャッジはいらないと思ったんです
怒りにフォーカスし続けることは要らないなって。
誰かの何かの「せい」に意識を向けなくても
しあわせになることはできるって気づいたんです
なぜなら
今自分が見ているもの(感情)が
自分の未来を作るから
いま誰かに、何かに対して叩いていたら
未来もずっと誰かを、何かを叩き続ける状況が現れてくる仕組みがあることを。
私(たち)は、より喜びの生活がしたいんですよね。
しあわせな気持ちで暮らしたいんですよね。
それは決して悪者探しをして叩くことではない・・・って気づいたんです
悪者探しは自分の無念さのはけ口に過ぎないということに。
希望する世の中になるにはどうしたらいいか?
それは、自分が望むものに意識を向けてそれを選んでいくことではないかなって気づいたんです。
そして「要らないものを手放す勇気を持つ」ことも希望する未来に大きくつながっていくんだってことを・・・
そのことを身を持って体験し、気づきを得たことから私は
悪が依然として存在することを認識するも
それらに対してどうとか
こうするべき、せねばならないとジャッジすることは無意味だなって思えてきたんです
社会や誰かを裁く自分がいたら
なぜ裁きたくなるのか
自分の心に問いかけていけば
相手の姿に隠していた自分の姿(答え)が見えてくるのではないかなって思います
私もまだまだデキてナイです
だから
皆さんと共に学んで歩んで行けたらうれしいです
うれしいたのしいおいしい
やさしい かわいい
いとおしい ここちよい
しあわせ
ありがとう
今日もありがとう
昨日もありがとう
明日もありがとう