2025年9月19日父が亡くなった。
元気な時に最後に交わした言葉、昨年の「私をこの世に送り出してくれてありがとう」だった。
最後にあったのは 9月14日、私の誕生日。
苦しい息づかいの中「早く殺してくれ」と言われた。
本人が望まない治療、延命。私の意見など通らなかった。
その5日後 父は亡くなった。訪問看護のユニフォームのまま、父のもとに駆け付けた。
背中に手を差し込むと まだ父の身体は温かだった。
父に送った介護用の杖、ショートステイに着ていっていたモンベルのパーカーを持って
葬儀が終わったその足で 福岡から神戸に車を走らせた。
私が生後3か月のとき、父が私を抱いて登った山 六甲山に登るために。
六甲山の中腹で眠ろうとしたら とても寒くて寝られなかった。
仕方なく麓へおりる。
気管切開されて 人工呼吸器をつけられて・・・・・
父が望まなかった治療を 私の息子が見て一言。
「お母さんはこんな目には絶対合わせない」と言った。
父が苦しみから解放されたのだから、と最初は思っていたのだが
・・・さみしくてたまらない。
宗教上、お花が1輪もなかった葬儀だったので 六甲に咲いていたお花を載せます
早い時間は誰もいなかった山頂、そのうち地元の方や大阪、京都 いろんなところから
登山者がやって来た。
いろんな人に 何故今日私が 六甲に登ったかを話して、いろんな人が聴いてくれた。
父が喜んできていたモンベルのパーカー。
これ着てショートや特養に行っていた。
父が自分の名前を自署したストック。
住んでいた宝塚市は見えなかった。
父と私が50年以上前にこの景色をきっと眺めていた。
神戸市の夜景
遺骨は一部父の先祖が住んでいた鹿児島の海で散骨をした。
※Windows10のサポート終了に伴い14年も愛用していたPCから最後の投稿
今月で初発の癌発症から12年経過
利用者さん方と泣いたり 笑ったり ラーメンを一緒に食べに行ったり、
山に登ったり・・・して給料を頂いています。
自分のやりたかった仕事を元気にやっています。
とんちゃん 大学4年生、就職無事に決まりました。





















