昨日は0時にベッドに入りました。

普段はハルシオン1錠で眠りに入りますが、昨日は全然効きませんでした。

 

ソラナックス1錠をプラスして、ようやく就寝。

 

とても嫌な夢を見ていました。

 

別れた彼女が自分の会社に電話を掛けてきて

毎日追われている夢です。

 

元カノから聞いた話ですが、過去に彼氏が突然連絡が取れなくなり

彼氏の職場に電話したことがあるそうです。

嫌がらせとか言った意味ではなく、単純に心配だったそうですが。

 

そんな電話が職場に掛かって来るようなことがあれば

私は恥ずかしくて今の職場には居られなくなります。

 

自分は昔からとても心配性な人間です。

石橋を1000回叩いて渡る性格で、常に最悪なシナリオを考えてしまいます。

 

(実際に最悪なシナリオに至ったことはほとんど無いのですが)

 

男女関係において、本当に信頼できるようになるまで

自分の勤務先は言わないほうがいいですね、自宅の住所も知られてるし。

 

本日は11時頃、起床しました。

 

起きた瞬間、心拍数はMAXになっていました。

 

ソラナックスを飲んでしばらくすると、

症状は落ち着いていきました。

 

自分はパニック障害なんだなと、こういう場面で実感します。

 

GWも今日で終わり、明日からは仕事です。

 

少しずつ回復していかないと...

 

ソファーに寝ころびながら、テレビを見ています。

何もする気になれません。

 

ああ、しんどい

これは2日前のお話です。

タイトル通り、元カノと絶縁しました。

 

今日は元カノとの馴れ初めと現在までの経緯について

お話したいと思います。

元カノとの出会い

私には昨年11月に知り合い、

そこから数か月交際した彼女がいました。

 

彼女は慢性疼痛の障害があり、福祉(いわゆる生活保護と障害年金)

で生活していました。

 

障害の原因は、過去に家族から家庭内暴力を

受けた後遺症とのことです。

 

知り合った当時、私は彼女のことがとても気の毒に感じてしまいました。

少しでも助けられることがあればと思い、交際に至りました。

元カノとの生活

彼女に惹かれた点は沢山あります。

だからこそ、彼女には病気と共存できる方法を見つけ、生活の

QOLを上げて幸せになって欲しいと考えていました。

  • 彼女が旅行に行きたいと言えば、旅行に連れていく
  • 彼女が家電が欲しいと言えば、資金援助をする
  • 深夜でも今すぐ会いたいと言われれば、バイクで駆け付ける

自分なりにできることは

精一杯してきたつもりです。

 

彼女からの相談や愚痴も毎日聞いていました。

  • 痛みが辛くて、このまま治らないなら死にたい
  • 私をこんなにした家族を恨んでいる
  • ここ数年終活をしている

etc...

 

毎日このような話を聞いていて、

私のメンタルはボロボロです。

 

夜勤の日であっても、彼女から連絡があれば

休憩時間に愚痴を聞いていました。

 

自分では気づきませんでしたが、ダメージは少しずつ

蓄積されていた様です。

結婚のお断り

そうして交際から数か月後、彼女から結婚の話を

匂わせられるようになりました。

 

彼女の中では、交際=結婚という認識だったらしく、

数か月以内に結婚を考えていた様です。

 

また、絶対に子供が欲しいとのことでした。

 

彼女には頼れる親がいないので、将来的に面倒を見てくれる

子供が欲しいとのことでした。

 

私は彼女に

  • 普段の生活も体が痛いのに、子育ては無理じゃない?
  • 私だって仕事は夜勤もあるし、彼女・私共に両親の援助は受けられない
  • 今は治療に専念して、良くなったら子供は考えればいいんじゃない?

と、お話をしました。

本音を言えば、

普段から死にたいとか終活とか言ってる人間が

子育てなんてできる訳ないだろ

ってところです。(言ってはいません)

 

すると彼女からは、

  • 私たちが無理でも、ヘルパーを頼めば助けてくれる
  • 近所の人たちも、応援してくれると言ってくれている
  • 最悪ダメなら、施設に預ければいい
  • 家族がいなければ、将来的に私の保証人になってくれる人は居なくなり、家を借りれなくなる

との、前向き?な回答が返ってきました。

 

私の価値観では、到底納得できる

回答ではありませんでした。

 

言い方は悪いのですが、子供が欲しい理由が

親のエゴに感じてしまったからです。

 

私は今はまだ決断できないとやんわりお断りしました。

 

すると彼女は激高しました。

  • 私は妊娠のタイムリミットが迫っていて、もう多分手遅れ
  • そんな気もないなら、最初から近づかないで
  • 貴方のせいで、もう子供は作れない

etc...

 

結局私は詫び金として、彼女に50万円渡しました。

 

お金を払う義務がないことは分かっているのですが

この問題が沈静化してくれればと思い、渡した次第です。

 

50万なんてはした金じゃ足りないと、

文句を言われましたが(笑)

 

私は、関係を切ろうと思っていましたが、彼女から

友達以上として関係は継続していてほしい

と強い要望があり、ここ最近まで関係を継続していました。

元カノからのSOS

GWが始まり数日後、彼女から

助けてほしいとの連絡が来ました。

 

眩暈と吐き気がして、時々意識が飛びそうになる

とのことで、一人で病院には行けず、連れて行ってくれる人も

いないとのことでした。

 

私は夜勤の日だった為、明けで1時間早く仕事を切り上げ

駅から彼女宅までタクシーで向かい、そのまま病院に連れていくことにしました

 

そして夜勤明けにタクシーで迎えに行き、

病院へ連れて行きました。

 

最初の病院で症状を話すと、

「うちでは見られないので大きな病院に行ってくれ」

とのこと。

 

仕方がないので紹介状を貰い、大学病院の

総合診療科へ連れて行きました。

 

大学病院では、血液検査、CT、レントゲン、心電図と

一通りの検査をして頂けた様です。

 

病院で検査を待っている間、彼女は突然不機嫌になりました。

理由を聞くと、私の彼女に対する心配する態度が悪いとのこと。

 

?????

・こっちは夜勤明けで寝ないで来て、タクシー代も負担して

付き合ってるんだが?

・パニック障害で仕事に行くのでやっとな状態だが、君が困ってるので

無理してきてるんだが?

・それ友達に求める内容か?

・俺の性格が悪いのか?

 

結局、何も異常はなく

胃薬と吐き気止めを処方され、帰宅の途につきました。

 

明日、耳鼻科に受診して別途検査を受けることになりました。

 

帰宅後は彼女は床で寝ていました。

気持ちが悪くて、ベッドまで移動できないとのことです。

 

ピザが食べたいとのことだったので、

宅配ピザを頼んで、二人で食べました。

 

その後、彼女といろいろと会話をしていましたが

途中で私が気に障る発言をした様です。

 

タクシー代として1万円を渡され、「帰ってくれ」と。

 

もう言い返す気力も無く、お金は受け取らず

東京から埼玉の自宅までタクシーで帰りました。

 

家を出る直前、

「私と話し合いしないで逃げるの?」

とか言われましたが無視しました。

 

帰宅後は、彼女の電話・メール・ライン全て

ブロックしました。

 

もう無理です。

彼女を助けて数か月、精神的にも金銭的にも疲弊して

最終的にパニック障害になりました。

 

それでも友達としてなら何とかなるかもって

付き合い続けてきましたが、もう無理です。

 

これ以上この関係が続いたら、私は

仕事にも行けなくなるでしょう。

 

そうなっても助けてくれる人間は、いません。

 

すまん、悪く思わないでくれ。

 

 

 

 

 

バイク

  • メーカ:Kawasaki
  • 型番:Versys-X 250 TOURER
  • 排気量:248cc
  • 車両重量:183kg
  • エンジン:4スト(DOHC)
 
最初はZ400を購入予定でしたが、250ccとは思えない大柄なボディと
Ninjaと同様なマルチメータに魅力され、購入を決めました。
 
2018年モデルの限定モデル(デジカモカラー)で、SP忠男パワーボックス付き、
3000キロ走行諸経費込みで65万円でした。
 
足つきの悪さや重い車重等、最初は大変でしたが
慣れた現在は、とてもいいバイクだと思っています。

免許取得から現在まで

2021/03 自動車学校申込
2021/04 バイク購入
2021/05 教習開始
2021/10 卒業検定合格・免許取得・バイク納車
2022/05 バイク歴7カ月目 

今回は両親について

お話したいと思います。

 

両親の出会いは、母が居酒屋で友達といる時に

居合わせた父が一目ぼれしたことで始まりました。

 

父が母のアパートに居座る様な形で

同棲が始まったとのことです、

 

当時母は、父と結婚したくなかったようですが

子供(私)が出来てしまい、仕方なく結婚したみたいです。

 

母親によると、出会った当時の父は

  • 毎日、朝まで酒を飲む
  • 給料は全てギャンブルに使ってしまう
  • スポーツカーを2台維持

といった感じで、典型的なクズ人間だったそうです。
父の収入では全然足りず、母の貯金を取り崩して

生活していた様です。

 

私は物心付いた時から、毎日の様に

両親の喧嘩を見て生活してきました。

 

母からは

「あなたにこんな辛い目に合わせるのであれば、堕ろせばよかった」

とか、たまに言われてました。

 

当時は何も感じてなかったけど、今考えると

言葉の虐待だと思う次第です。

 

父や母が家出することも

日常茶飯事でした。

 

母が家出しても、父は探しにも行かないので、
自分がよく一人で探しに行った記憶があります。

 


一度だけ、父が母と離婚しようと画策していた時期
があります。

その時、私は両親の間に入って
「離婚しないでほしい」
と必死にお願いしました。

今考えると当時に離婚していれば、

お互いに幸せな道を歩んでいたかもしれません。

 

母は、私が小学3年生くらいの時から

精神的に不安定になってしまいました。

 

夫を含め、いつも誰かの悪口を話すようになりました。

その話相手は、いつも私です。

 

また両親が喧嘩をすると、母は私に

「どちらが悪いか」

毎回、聞いてきました。

 

当然、父が悪い事もあれば、母も悪い事もあります。

 

そこで、それぞれの問題点を伝えると

母は激怒しました。

 

「お前も父親の味方か」とか「信頼できる家族は誰も居ない」

といった言葉を浴びせられました。

 

当時の私は

「全て父親が悪い」

としか、言えませんでした。

 

母がこの様になったのは、父と生活したことによる影響なのか、

元々の素質なのか、未だによく分かりません。

 

はじめまして。

 

30歳、独身男です。

 

生まれも育ちも北海道で、就職を機に

東京に引っ越しして、8年程生活しました。

 

新型コロナが流行し、仕事はリモートワーク中心となった為、

少し田舎の広い家に住みたいと思い、東京から埼玉県へ引っ越しをしました。

 

ここからは、私の生い立ちについて

ご紹介したいと思います。

 

両親の出会いと誕生

私はいわゆる、毒親

という両親の元に生まれ、育ちました。

 

母は父と結婚したくなかったそうですが、子供(私)が

出来てしまい、仕方なく結婚したとのことでした。

 

物心付いた時から、毎日の様に両親の喧嘩を見て

生活してきました。

 

父から母へのDV(暴力・言葉)や父母間のDV(言葉)、

母から私へのDV(言葉)等

数えたらキリがありません。

 

中学卒業後は全寮制の高校に入学し、

親との距離を物理的に離すことによって、何とか家族の関係を維持していました。

就職後

学校卒業後は、東京のIT系会社に入社しました。
 
辛いこともたくさんありましたが、
いろいろな人に助けられながら、かれこれ10年
仕事を続けることができています。
 
入社以降、ほぼ全ての期間夜勤勤務に従事してきた
こともあり、不眠症や自律神経失調症といった症状になってしまいました。
 
一時は強い抗不安薬で、睡眠を維持していましたが
副作用に耐えられなくなり、断薬しました。
その後、引っ越しやバイク免許取得及び購入といったイベントを通して
一時的に、不眠症については改善させることができていました。
 
昨年においては、一時期交際した女性との関係で、
心労により不眠症及び軽度のパニック障害を発症してしまいました。
 
現在は、睡眠薬や抗不安剤といった
薬を服用しながら、仕事をしながら何とか生活しています。

最後に

私の生い立ちについて、簡単に紹介させて頂きました。
詳しい内容については、別途書いていきたいと思います。
 

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