自然選択の考えに基づくと、性欲の弱い遺伝子は淘汰されると言えるのではないか。子を産みたい者が子を産む。そこに毒親の要素があるのではないか。
この本は脳科学や様々な事象から毒親を分析したものだ。さらに家族や育児の在り方も述べている。
毒親が現れる原因は何か。無難なものを挙げよう。
「親は生まれながらにして親ではない。」たしかにその通りである。親の未熟さを笑って許せるほど子どもは大人ではない。
「毒親に育てられたが故に我が子への接し方がわからない。」虐待は脳にも傷をつけることが当たり前のように浸透した昨今、社会性の乏しい人、家庭を見ると虚しささえこみ上げてくる。
著者はこの他オキシトシンやアルギニンバソプレシンの不足、ハーロウのレイプマシン、エディプスコンプレックスなど毒親のメカニズムを書くことでこれから少しずつ明るくなる可能性を示す。しかしあえて暗いところにも触れている。
社会的な生き物は何を目的に子を産むべきか。快楽を求める者。姑や世間体を気にして妊娠を望む者。夫との関係を保ちたい人など子を産む目的は様々だ。そうやって生まれた子が自分の生きる意味に迷った果ての一つが毒親ではないかと、著者は述べる。では何を目的にすることが正解なのだろうか。
他人の幸せを願うことは健全な人間の所業だろう。もちろん苦手とする相手が一人二人いても良いが、家族や隣人、同僚の幸せをいつも願っている。しかし人の数には限りがあるし、お世話をしようにも人はある程度一人で生きていける。つまり誰かを幸せにしたいが、その誰かがいない。一方で人は人をつくることができる。それも未熟な状態で。
自身の幸せのために子を産む。だから子育ての苦労に不幸を感じ子を放置するのではないか。社会的な出産とは、他人を幸せにしたいが故に行うもの。だから私は子を生まない。
時代や環境が万全でなく、ならば生まれたくなかったと願う。矛先は何処に。
「毒親」著:中野信子