大阪の人は関東でいうところの「山手線ゲーム」が「大阪環状線ゲーム」なんだとずっと思っていた。(山手線ゲーム:山手線の駅名をリズムに乗せて順番に言っていき、間違えたやつが車掌を目指すという飲み会のゲーム。)

   ところが、ゲームをしないと酒を飲む事を禁じられている大阪の若者は、普通に「山手線ゲーム」をやるらしい。



「マツモトから始まる〜?山手線ゲーーム!」


「\いえーい!/」
もしくは
「\ほんまやなー!/」



   そんな縁もゆかりも無い地域の線路に想いを馳せながら、彼らは今日も味のしない思い出をイッキしているのかと思うと、私は謎の悲しみに包まれるのであった。

   ここまで文を打ち終わったところで、ふと元祖山手線ゲームをやってるやつをちゃんと見た事がないなと思った。近年では「山手線ゲーム」というタイトルはそのままに、お題のみを派生させていくという「ネオ山手線ゲーム」が主流となり、徐々に本家を行うことは少なくなっていったのである。盛り上がるものというのは旬が早い。月日が経つにつれて「進化」しているのである。
   大体渋谷から始めるやつはミーハーだったり、鶯谷、御徒町の読みの異常な盛り上がり、そしてゲーム終盤の山手線沿線で「結局どこに住みたいか」という電車だったら謝罪では済まされないレベルの脱線トーク。この全てが進化による代償として消えていったのだ。

   私が気がついた。我々が思っている駅の名前を順番に言うゲームという考えが間違っていたのだ。山手線ゲームは人々の環境の変化に応じて独自の変化を遂げた、いわば酒飲みの場での娯楽の象徴だったのだ。
   そのため大阪だから大阪環状線ゲームになることはない。山手線ゲームは常に私の笑顔を支えてくれていたのである。

   そんな山手線ゲームをこれからもよろしくお願いします。もちろん今日は酒を一滴も飲んでおりません。