上を向く幸せ、下を向く幸せ
この1年間幸せについて考えてきた。
「幸せとは何なのか」「どういう生き方が幸せな生き方なのか」
初めに行きついたところは日常生活における小さな幸せこそが幸せそのものではないのか、ということ。
「生きることに心配しなくていい」「飢えに苦しむ人が世界にたくさんいるにも関わらず、食べ物に困らない」「わかりあえる友達がいる。お酒だって飲みたいときに飲めるじゃないか」「1週間と短いけれど、旅行も行ける」などなど。
現状行うことのできる、感じることのできる出来事1つ1つに対して、自分は恵まれているのだ。これこそが本当の幸せなのだ、と考えた。
考え付いたときはそれなりにいい考えだなと思っていた。
でもこれってただ単に今の生き方を、それが望んで手に入ったものでないにしても肯定して、自分に対して「このままでいいんだ、今が幸せなんだ」と言い聞かせているだけ。現状維持こそが素晴らしいという保守的な幸福論だなぁと最近思う。
それにいろんな幸せ(と思っていたこと)を書きだしたけど、その中には他人と比較して、下を向いて、自分が優位に立っていることを認識したうえで、それら幸せと定義ししたものもあった。
やっぱりそういうのって違うよね。現状が自分の理想通りの状態にいる人が現状を幸せと定義するのは当たり前だと思うけど、「理想なんて現実になるものじゃない、今を生きることが大切なんだ」と思うようなことはなんか違う気がする。
まぁ人によってはこんなうだうだ考えずに、今を一生懸命生きれば、後から幸せを感じることができるんだよ!という考えを持つ人もいるけど、そんな曖昧な生き方はしたくないし。
で、さらに考えて考えて行きついたことというのが
「常になりたい自分がいて、その理想に対して正面から向き合い、前を向いて、上を向いて自分の好きなことを一生懸命できること」が幸せなことであると思う。そしてそれによって周りの人が笑顔になるともっと幸せを感じることができると思う。
かなりきれいごとだなと書いてて自分でも思うけど、きれいごとを実現するのが、短い人生の意義のような気もする。
そのことを念頭に置きながら早く好きなこと、やりたいことが見つからないかなぁと思う今日この頃…
「幸せとは何なのか」「どういう生き方が幸せな生き方なのか」
初めに行きついたところは日常生活における小さな幸せこそが幸せそのものではないのか、ということ。
「生きることに心配しなくていい」「飢えに苦しむ人が世界にたくさんいるにも関わらず、食べ物に困らない」「わかりあえる友達がいる。お酒だって飲みたいときに飲めるじゃないか」「1週間と短いけれど、旅行も行ける」などなど。
現状行うことのできる、感じることのできる出来事1つ1つに対して、自分は恵まれているのだ。これこそが本当の幸せなのだ、と考えた。
考え付いたときはそれなりにいい考えだなと思っていた。
でもこれってただ単に今の生き方を、それが望んで手に入ったものでないにしても肯定して、自分に対して「このままでいいんだ、今が幸せなんだ」と言い聞かせているだけ。現状維持こそが素晴らしいという保守的な幸福論だなぁと最近思う。
それにいろんな幸せ(と思っていたこと)を書きだしたけど、その中には他人と比較して、下を向いて、自分が優位に立っていることを認識したうえで、それら幸せと定義ししたものもあった。
やっぱりそういうのって違うよね。現状が自分の理想通りの状態にいる人が現状を幸せと定義するのは当たり前だと思うけど、「理想なんて現実になるものじゃない、今を生きることが大切なんだ」と思うようなことはなんか違う気がする。
まぁ人によってはこんなうだうだ考えずに、今を一生懸命生きれば、後から幸せを感じることができるんだよ!という考えを持つ人もいるけど、そんな曖昧な生き方はしたくないし。
で、さらに考えて考えて行きついたことというのが
「常になりたい自分がいて、その理想に対して正面から向き合い、前を向いて、上を向いて自分の好きなことを一生懸命できること」が幸せなことであると思う。そしてそれによって周りの人が笑顔になるともっと幸せを感じることができると思う。
かなりきれいごとだなと書いてて自分でも思うけど、きれいごとを実現するのが、短い人生の意義のような気もする。
そのことを念頭に置きながら早く好きなこと、やりたいことが見つからないかなぁと思う今日この頃…
心とは
心が変われば 態度が変わる
態度が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる
これは僕の好きな言葉でヒンズー教の教え。何かの本を読んだときに出会った言葉で、今リビングの壁に貼っている。
この言葉は人生を変えたければ、心を変えなさいと言っている。また、心の持ち方が人生の根本であり、心が間違っていれば人生は自分の理想とは違う方向に向かっていくんだよということも伝えている。
じゃあ「心」ってなんなの?っていうことになるんだけど、この言葉からは「態度」を左右する要素が「心」ということになる。
態度っていうのは周囲の環境に対しての自分の反応って意味だと思うんだよね。例えば、上司から仕事を頼まれた時、何も考えずに上司の指示を受け入れるのか、表面では受け入れるが後で同僚に愚痴をいうのか、それとも仕事の負荷を真っ先に考えるのか、一度持ち帰ったうえで受諾するか判断するのか、その場で上司と仕事の意義、自分がする意義を聞くのか。
一つの状況でも様々な反応、態度がある。
つまり、これらの反応を決めているのが「心」ということで、何を持って態度を決めるのかっていうのが、人生を決めるポイントのようだ。
じゃあ自分の「心」ってなんだろう、って考えてみたんだけど、これが自分の中ではずーと曖昧だったんだよね。反応や態度なんてケースバイケースで一貫性なんてあるのかな、仕事に関してはこれこれで、遊びに関してはこれこれ、友人に対してはこれこれと様々な「心」があるのかな。でも一個一個持っていたら新たな状況に対してどう反応するのかな。新規に決める必要があるのかな。などなど。
自分の心はこれだ!というのが見つからなかった。
そんなとき出会ったのが「7つの習慣」の「何を中心に生きるのか」という話。
そこにはこう書いてあった。
自分の中心に置いているもの、もしくは無意識のうちにあるものが判断基準となって私たちは起こる事柄に対して反応しているのだ、人は「お金」「妻」「自分」「楽しさ」などそれぞれの中心を持っていてそれが自分の態度、反応を決める要素になっている、と。
複数個あるかもしれないが私たちの中には確かに中心が存在するとも。
「ふ~ん、ホントに自分にもあんのかな…」と思いながら読み進めていると、人が中心に置く代表的なものの例を見て「うわっ」と思ったね。自分にも自分が行うすべての行動に一貫性があったことを思い知らされた瞬間だった。明確な「心」が自分にもあった。
それは「自分」と「お金」。
これだけ見るとすごい汚い人みたいな感じだよね。自己中で金に汚い奴みたいな。ちょっとショックだったし。
でもね、それが現時点の自分なんだと感じられた。それはどうにも変えられない事実だと思う。
そしてこれから行う作業である「認識したあとにそれをどう変えるか」というのが大事だことだとすぐに気持ちを切り替えることができた。それは曖昧な感情が明確な感情に変化したからであり、次やることが見えてきたからである。大きな前進だよね。
これから「自分の心」「自分の中心」を正しく持つという難しい作業を行う。でもそれをすることで人生は変わる可能性がある。短い人生を自分の思う最高の人生になればいいな!!
態度が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる
これは僕の好きな言葉でヒンズー教の教え。何かの本を読んだときに出会った言葉で、今リビングの壁に貼っている。
この言葉は人生を変えたければ、心を変えなさいと言っている。また、心の持ち方が人生の根本であり、心が間違っていれば人生は自分の理想とは違う方向に向かっていくんだよということも伝えている。
じゃあ「心」ってなんなの?っていうことになるんだけど、この言葉からは「態度」を左右する要素が「心」ということになる。
態度っていうのは周囲の環境に対しての自分の反応って意味だと思うんだよね。例えば、上司から仕事を頼まれた時、何も考えずに上司の指示を受け入れるのか、表面では受け入れるが後で同僚に愚痴をいうのか、それとも仕事の負荷を真っ先に考えるのか、一度持ち帰ったうえで受諾するか判断するのか、その場で上司と仕事の意義、自分がする意義を聞くのか。
一つの状況でも様々な反応、態度がある。
つまり、これらの反応を決めているのが「心」ということで、何を持って態度を決めるのかっていうのが、人生を決めるポイントのようだ。
じゃあ自分の「心」ってなんだろう、って考えてみたんだけど、これが自分の中ではずーと曖昧だったんだよね。反応や態度なんてケースバイケースで一貫性なんてあるのかな、仕事に関してはこれこれで、遊びに関してはこれこれ、友人に対してはこれこれと様々な「心」があるのかな。でも一個一個持っていたら新たな状況に対してどう反応するのかな。新規に決める必要があるのかな。などなど。
自分の心はこれだ!というのが見つからなかった。
そんなとき出会ったのが「7つの習慣」の「何を中心に生きるのか」という話。
そこにはこう書いてあった。
自分の中心に置いているもの、もしくは無意識のうちにあるものが判断基準となって私たちは起こる事柄に対して反応しているのだ、人は「お金」「妻」「自分」「楽しさ」などそれぞれの中心を持っていてそれが自分の態度、反応を決める要素になっている、と。
複数個あるかもしれないが私たちの中には確かに中心が存在するとも。
「ふ~ん、ホントに自分にもあんのかな…」と思いながら読み進めていると、人が中心に置く代表的なものの例を見て「うわっ」と思ったね。自分にも自分が行うすべての行動に一貫性があったことを思い知らされた瞬間だった。明確な「心」が自分にもあった。
それは「自分」と「お金」。
これだけ見るとすごい汚い人みたいな感じだよね。自己中で金に汚い奴みたいな。ちょっとショックだったし。
でもね、それが現時点の自分なんだと感じられた。それはどうにも変えられない事実だと思う。
そしてこれから行う作業である「認識したあとにそれをどう変えるか」というのが大事だことだとすぐに気持ちを切り替えることができた。それは曖昧な感情が明確な感情に変化したからであり、次やることが見えてきたからである。大きな前進だよね。
これから「自分の心」「自分の中心」を正しく持つという難しい作業を行う。でもそれをすることで人生は変わる可能性がある。短い人生を自分の思う最高の人生になればいいな!!
今後のドラフトは・・・?
去年同様今年のドラフトも大いに盛り上がった。
共に一枚噛んでいるのが日本ハム。菅野指名には驚いたね。
今後菅野がどういう決断をするのか興味あることだけど、入団するのにしてもしないにしても今回の事例をしっかり考えることは重要だと思う。
今後のドラフトはどうなるのか、日本のプロ野球はどういうところを目指しているのか。
ちきりんの「自分のアタマで考えよう」のとおり、なぜ?だからなんなの?ということを中心に自分なりの意見を言いたい。
・今後のドラフトはどうなるのか。
自分の意見としてはルールが変わらない限り、「相思相愛の単独指名だと思っていたのに、横やりが!」→「指名拒否で浪人」(今回はどうなるかわかんないけど)ということは今後も起こると思う。
そもそもなんで相思相愛が生まれるのか、ということだけど理由は二つあると思う。
1.めちゃくちゃ憧れのチームがある。
ここで大事だと思うのは「憧れの度合い」。
僕はこの「球団への憧れ」が「プロ野球選手への憧れ」を上回ったとき「人→球団への愛」が成立すると思うんだよね。
つまり 球団>プロ野球選手 = 人→球団への愛 ということ。
2.素晴らしい素材。
これも当然!そもそも球団がほしい人材じゃなかったら「球団→人への愛」は成立しない。
だからめっちゃ憧れの球団のある入団当時から素晴らしい才能を持った人が存在する限り、相思相愛は今後も続くし、この二つの条件はそんなに難しいものじゃないと思う。
次になぜ「横やりを入れるのか・・・」ということ。昔からあったことだけど、福留、内海、長野…。その時のスカウト陣は口説く自信があったと思う。実際、ダイエーと相思相愛だった大嶺はロッテに行ったわけだし。
でも今回の菅野指名はほとんど見込みないでしょう。原監督が伯父ということもあるし、根回しもゼロ。そこまでしてなぜ行ったのか。
僕は日本ハムの首脳じゃないから正直わかんないけど、今後のプロ野球界のことを想っての指名だったんじゃないかな。これ以上好き勝手させていいのか!という思いがあってこそ。特に去年の沢村はその後新人王になりそうなわけだしね。
やはり、今後のプロ野球は「球団間の格差」を無くすこと、「地域に根差した球団を多く作ること」が大事だと思う。そのためには1つの球団にスター選手が何人もいるっていうのは人材の乏しい日本ではあってはならないことだし、チームが地域から愛されるためには強いチームになることが不可欠。お金がない球団にとってドラフトというは少ないお金で有望なスター候補を手に入れるチャンスだし、人気もある、お金もある球団に全てを持っていかれるのはたまらない。
日本ハム菅野指名はネットで言われている通り、男気のある指名だったのでは?
そして最後!
なぜ指名拒否するのか、というところ。ここが一番大事で今後プロ野球がどうなっていくのかという部分に直結すると思う。
・「最初に入った球団=活躍する球団」
僕は選手のステップとして
入団 → 成長 → 一軍定着 → 活躍 → 衰え → 引退
があると思う。活躍してFAになればいいじゃん!っていう意見もあるけれど、まだまだ日本では初めに入った球団が一番長く、大きく活躍できる場なんだよね。
違う球団に行く方法は一流選手になればなるほどFAという選択肢しかないし(メジャーではトレードが多いみたい)FAしたといても上のステップでいう活躍の後期だよね。
そう意味で一番活躍できる時期を好きな球団で過ごすためには初めに入る球団が日本ではすごく大事
で「指名拒否」がうまれるんじゃないかな~
以上が僕の考え・・・結局ありきたりの考えになってしまった・・・考えるって難しい。笑
共に一枚噛んでいるのが日本ハム。菅野指名には驚いたね。
今後菅野がどういう決断をするのか興味あることだけど、入団するのにしてもしないにしても今回の事例をしっかり考えることは重要だと思う。
今後のドラフトはどうなるのか、日本のプロ野球はどういうところを目指しているのか。
ちきりんの「自分のアタマで考えよう」のとおり、なぜ?だからなんなの?ということを中心に自分なりの意見を言いたい。
・今後のドラフトはどうなるのか。
自分の意見としてはルールが変わらない限り、「相思相愛の単独指名だと思っていたのに、横やりが!」→「指名拒否で浪人」(今回はどうなるかわかんないけど)ということは今後も起こると思う。
そもそもなんで相思相愛が生まれるのか、ということだけど理由は二つあると思う。
1.めちゃくちゃ憧れのチームがある。
ここで大事だと思うのは「憧れの度合い」。
僕はこの「球団への憧れ」が「プロ野球選手への憧れ」を上回ったとき「人→球団への愛」が成立すると思うんだよね。
つまり 球団>プロ野球選手 = 人→球団への愛 ということ。
2.素晴らしい素材。
これも当然!そもそも球団がほしい人材じゃなかったら「球団→人への愛」は成立しない。
だからめっちゃ憧れの球団のある入団当時から素晴らしい才能を持った人が存在する限り、相思相愛は今後も続くし、この二つの条件はそんなに難しいものじゃないと思う。
次になぜ「横やりを入れるのか・・・」ということ。昔からあったことだけど、福留、内海、長野…。その時のスカウト陣は口説く自信があったと思う。実際、ダイエーと相思相愛だった大嶺はロッテに行ったわけだし。
でも今回の菅野指名はほとんど見込みないでしょう。原監督が伯父ということもあるし、根回しもゼロ。そこまでしてなぜ行ったのか。
僕は日本ハムの首脳じゃないから正直わかんないけど、今後のプロ野球界のことを想っての指名だったんじゃないかな。これ以上好き勝手させていいのか!という思いがあってこそ。特に去年の沢村はその後新人王になりそうなわけだしね。
やはり、今後のプロ野球は「球団間の格差」を無くすこと、「地域に根差した球団を多く作ること」が大事だと思う。そのためには1つの球団にスター選手が何人もいるっていうのは人材の乏しい日本ではあってはならないことだし、チームが地域から愛されるためには強いチームになることが不可欠。お金がない球団にとってドラフトというは少ないお金で有望なスター候補を手に入れるチャンスだし、人気もある、お金もある球団に全てを持っていかれるのはたまらない。
日本ハム菅野指名はネットで言われている通り、男気のある指名だったのでは?
そして最後!
なぜ指名拒否するのか、というところ。ここが一番大事で今後プロ野球がどうなっていくのかという部分に直結すると思う。
・「最初に入った球団=活躍する球団」
僕は選手のステップとして
入団 → 成長 → 一軍定着 → 活躍 → 衰え → 引退
があると思う。活躍してFAになればいいじゃん!っていう意見もあるけれど、まだまだ日本では初めに入った球団が一番長く、大きく活躍できる場なんだよね。
違う球団に行く方法は一流選手になればなるほどFAという選択肢しかないし(メジャーではトレードが多いみたい)FAしたといても上のステップでいう活躍の後期だよね。
そう意味で一番活躍できる時期を好きな球団で過ごすためには初めに入る球団が日本ではすごく大事
で「指名拒否」がうまれるんじゃないかな~
以上が僕の考え・・・結局ありきたりの考えになってしまった・・・考えるって難しい。笑
