今日は、ゆいゆいが水痘になってしまい、
(予防接種のおかげか、熱もなく割りと元気)
保育園をお休みしていたため、家でEテレを観ていました。
みんなのうたで流れた、
聴いて涙が止まらなくなりました。
お母さんは、こんな気持ちでお弁当を作ってたのかな?
卒業してお弁当を作らなくてよくなった時、
どう感じたのかな?
お母さんのお弁当食べたいな。
…お母さんに会いたいな…。
母が倒れたのは、11月5日の日曜日。
私は実家から高速で3時間弱の距離のところで
暮らしていて、その日は、もうすぐ還暦を迎える母に、
弟二人とお金を出しあって、旅行をプレゼントしようと
JTBでカタログを選んでいました。
カタログを買い、家に帰ろうとした時、
上の弟から電話が…。
もうすぐ長男が産まれる弟からの電話とは、
遂に生まれた?とウキウキしながら
電話を取りましたが、内容は真逆。
母が救急車で運ばれて、命が危ないと…。
急いで家族全員分の着替えをスーツケースに
詰め込んで、母が運ばれた実家近くの病院に
向かいました。
病院に着き、集中治療室に入って母を見た瞬間、
…あぁこれはもうダメだ…と感じました。
沢山の機械と線に繋がれ、10リットルも生理食塩液を
投与された姿は、全身が浮腫み、見慣れたお母さんの姿ではなく、
触っても温もりを感じない…。
あまりに急に訪れたこの状況に、現実味が無さ過ぎて、
なぜかヘラヘラ笑ったりしている私。
私の1時間後に上の弟が到着し、
その3時間後に下の弟が来て、母に会いましたが、
やはり二人も同じ感覚だったようで、
そこから約4時間、母のベッドを囲んで、
久々に家族全員揃ったね~とか、
(下の弟に)お前いつ結婚するんだよーとか、
お母さんのマニキュア剥げてるよ、とか。
ヘラヘラ笑いながら色んな話をしました。
段々心拍数が弱まり、
11月6日の午前3時32分
ついにその時が来ました。
「産んでくれてありがとう」
「後のことは任せて」
最期にこの言葉を母に送りました。
この時は涙が出ましたが、
それ以降は、泣く暇もないほどバタバタして、
あっという間に初七日まで終わってしまいました。
今は、実家から家に戻り、普通に子供たちを
保育園に送り、仕事をし(今日は休んでますが)、
疲労感はあるものの、気持ちはひどく落ち込むこともなく、
過ごしていましたが、「お弁当ばこのうた」は
不意打ちでした。
これから、ちょっとした場面で母を思い出しては
涙するのかな。
そうして少しずつ、母の死を受け入れていくのかな。
今日はそんな風に感じた日でした。